ep.042 罪と罰

「リュエルがいねーと大変だな…」


 アルバはぼやきながら、部隊総出で集めた資料の山をつつく。ナタリアは紙束とモノクロ写真でできた建造物がぐらりと傾ぐのを見た。


「アルバ大尉、崩れます」


 口にした瞬間、一際大きく山が揺れて崩れ落ちる。


「……あ、やっべ。ねえねえ、ライには言わないでくれないかな?」


 声を潜めて耳打ちするアルバだったが、部屋にちょうど戻ってきたライの姿を目にして固まった。


「何か、今見てしまったような気がするんだが」


「えーと、ちょおっと、怪奇現象が……」


「大人しく投降すべきかと思います」


 ナタリアは呟き、散らばり広がった資料を集め始める。リュエルとルカが失踪してから二日。隊員それぞれの階級は高いものの、命令を請け負うのが役割の部隊では二人の行方を掴むことができずにいた。その代わりと言っては何だが、《智恵の魔女ミネルヴァ》から与えられた任務については少しずつ手掛かりが集まってきていた。


「ガンマはどうやって使徒化計画を知ったのかしら?」


 つい先程まで熱心に資料を読み込んでいたエルザがやっと顔を上げる。


「確かに。内通者がいたにせよ、そのパスを繋ぐまでにはこの計画について知る必要があった──。しかも、ガンマの犯行と見られる暗殺はかなり初期からある」


「そう、ライの言う通り。考えられるとしたら、ガンマの総帥が共和国に所縁ゆかりのある人物だということになるけれど」


「まー、ワンチャンそうかもな。《夜の女王》の正体は誰も知らない、そうだろ?」


「はい。年齢、顔形、経歴、すべて不明。そして、アリア様の持つ暗殺技術はわたしを凌駕しています」


「ナタリアを超える、なんて信じられないけれど。あなたがそう言うのなら本当なのよね、きっと」


 こくりと頷くと、ナタリアは手近な写真を手に取った。


「……これは昨日撮られたものですか?」


 ナタリアの隣に座っていたライが肩を寄せ、ナタリアの手にあるno.34と振られたモノクロ写真を覗き込む。

 白衣の男の目と口と鼻から流れ出した血は涙のようにどす黒く男に死に化粧を施し、死装束の白衣は飛散した血によってまだらに染まっていた。


「そうみたいだな。この殺し方を見たことがある気がするけど……」


「「《血塗れのスカーレットミラ》」」


 ナタリアとアルバの声が重なった。ライは藍色の瞳を見開く。


「そうか。あの人が」


「血流の暴走でもさせたみたいね。そういう技術があるのを聞いたことはあったけれど、実際に様子を見るのは初めてよ。なかなか、エゲツないわね……」


 ナタリアから写真を受け取って、エルザは深い溜息をついた。元犯罪者たちがほとんどで構成されるガンマのやり口は基本的に残忍だ。ナタリア、ライ、そしてエルシオがマトモなくらいで。そも、殺しにマトモも何もないだろうが。ただ、中でも一際残虐で名が通っているのがミラだった。


「現場は今どうなっている?」


「《智恵の魔女ミネルヴァ》様がそのままの状態で保存している、と。今から行けるか、と連絡が先程入ったわ」


 まるでこの会話を見越したようなタイミングだ。もしもそれがあの幼女の計らいだとしたら、恐るべき予測能力だった。


「すぐに向かおう」


 ***


 何か別の予定があるのだとか言って、あの蒼髪の幼女はついてこなかったが、彼女の手引きによって封鎖区画へとナタリアたちは足を進めた。彼女は幼女らしからぬ顔でにたりと笑って、“共和国と人の腐臭が同時に嗅げるぞ”などと言っていた。

 ナタリアはいつものように沈黙を引き連れて歩く。けれど、それはライとアルバも同じで、多少なりとも気配を察することができる人なら、ここを歩いている人間は一人と判断を下してしまうかもしれない。


 胸がむかつくような不快な臭いが鼻を突く。ナタリアは形の良い眉をぴくりと動かした。薄暗い部屋は殺風景で、寝台と机が並んでいるだけの独房のようだ。血塗れの男は入口すぐ横の壁に寄りかかるようにして死んでいる。壁には赤黒い血の花が、ずり落ちた毛布にも染みがあった。ナタリアは手袋をした手でそっと毛布を持ち上げる。


「ライ、見てください」


「何──」


 ライは死体の指の先にある文字を見て固まった。血の付いた人差し指が最期に書き記した言葉──


 Sin


 そう、罪、と。


「これは罰なのだと、言いたいのかもしれないわね」


 エルザはそっとぽっかりと虚に開いたままの瞳に目蓋を下ろす。深い絶望を、その目にゆらゆらと湛えていたから。そして彼の罪科が重いことをエルザは知っている。


「コイツは使徒化計画に携わっていたことには間違いないみたいだな。ガンマに殺されて、罪という言葉を書き遺すくらいには、後ろ暗いことに首を突っ込んでいたようだからな」


「ああ、そう見るのが妥当だろう。何か、手掛かりがあればいいんだが……」


 ライの目線が机で止まった。奇妙なことに微かに埃の積もった机上の真ん中はつるりとした面がのぞいている。何かをつい最近まで置いていたかのように、四角い跡が残っている。近づいてみると、その机の下の隅に大きな箱が押し込められていた。


「何か、入っています」


 一呼吸早く、机の下に潜り込んだナタリアはそう言って中のものを引っ張り出した。いや、正確に言えば、引きずり出した。四角い箱は鉄でできていて中が詰まっているみたいにずしりと重かった。そして、その箱の先には引きちぎられた太い紐と文字が一文字ずつ並べられた板がぶら下がっている。紐の先からはみ出しているのは赤い金属、銅だ。機械には欠かせない素材と形状からこれは何かの機械だとナタリアは理解する。


「これは──?」


 ライの問いは無視された。それとも誰も答えを持ち合わせていないのか。だが、もしも、この場でこの機械の名を口に出すことができる人がいたのなら、きっとコンピュータと答えるだろう。


「古いわね」


 ぼそりとエルザが呟いた。アルバは目を細める。


「確かにホコリがだいぶ積もってる」


「……ええ。何の機械なのかしら。よく見ると、この部屋全部そうなんじゃない?」


 言われた通りに周りをもう一度見渡してみると、ナタリアの目に見える景色はさっきとは少し違って見えた。冷たい鉄塊が広い部屋を埋めている。ケーブルを切断され、駆動することを辞めた機械はどこか大きな亡骸のようにもみえた。つまり、部屋に何も無いのではなく、そもそも部屋自体が既に機械で占められていたから何も他のものを置くスペースが存在しなかったのだ。


「この紐を繋げば、何かわかるかもしれないな」


 導線に触れようとするライの肩をアルバは叩く。理由を訊こうと開いた口が今一度閉ざされる。その様子を見ていたナタリアも自ずと理解した。──敵襲。冷気が足元を浸していく。白い煙は下から降り積もるように揺蕩う。バタンと鋼鉄の扉が閉ざされる音がした。


「マズイぞ、これは」


 アルバが顔をしかめて扉へ向かって走る。


「白い塊がありますが、これを破壊すればよろしいですか?」


 ナタリアの足元で白い固体がもくもくと煙を吐き出している。しゃがもうとしたナタリアの腕を掴んでエルザが止めた。その剣幕に押され、ナタリアはぱちりと瞬きをした。


「火傷するからだめよ。砕くのもだめ。砕けば私たち自身の首を絞めることになるわ」


「そう、なのですか。わたしは初めてこのような物質を目にしましたが、エルザ中尉はよく知っていらっしゃるのですね」


 “褒め言葉”を口にすればお礼の言葉が返ってくると学習していたけれど、違ったのだろうか。エルザは眉を寄せてから困った顔をしてみせた。乾いた氷、と呼ばれるこの物質は固体から液体を飛び越えて気体になる。何よりも気体が人体に有害だから、密室で使えば命を脅かしかねない。と、ここまで知っている人間はどれだけいることか。逆に、知っている、というだけでその人を警戒する理由になる。そこまで考えて、エルザは視線を一瞬アルバに留めた。


「ライっ! 扉なんとかなるか!?」


 アルバの声が冷気を裂いて飛ぶ。冷たい白い煙はそろそろ腰辺りまできていた。エルザの顔に脂汗が滲む。銃声が鳴り響き、ライの拳銃が火を噴く。が、努力は虚しく、動きさえしない扉は沈黙で返した。ナタリアは苦しくなって口を意味もなく開閉させる。焦りが目に見えるアルバとエルザを見て、扉の前へと進み出た。


「わたしが活路を開きます。ライは下がっててください」


「あ、ああ」


 ふっ、と鋭く息を吐きながらナタリアの手は目に映らない速度で動く。そっと後から指で触れると鋼鉄の扉が斜めにズレた。唖然とするアルバとエルザを促し、ナタリアは外に出る。けほん、と乾いた咳が口からこぼれた。


「これがガンマの総帥が持つっていう、暗殺技術か……」


 戦慄を隠しきれず、アルバが言う。


「暗殺人形として、俺とナタリアを分ける最大の違いでもある。そして、ナタリアが最高の暗殺人形である所以だ」


「アルバ大尉、エルザ中尉、急いでください。敵の気配がします」


 ナタリアは足を止め、腰の拳銃を抜いた。ライもそのすぐ隣で同じ動作をすると、ナタリアの琥珀の瞳を見て頷いた。なぜか、藍色の瞳から言葉が聞こえたような気がした。目は喋らない、顔だって様々に変化するが決して言葉なんて発しない。言葉を編む機能があるのは口だけのはずなのに。軽く頭を振ると、ナタリアは意識を現実に引き戻した。


 引き金を引く。火薬が弾けて放たれた弾丸は、回廊の曲がり角から湧いて現れた軍服を寸分違わず撃ち抜いた。呻き声とともに身を潜めていた軍人たちが姿をあらわにする。ライは微かに驚いた様子をみせる。


 ——それもそのはず、軍人の顔は仮面で隠されていたのだから。


 だが、それでもライの指先が狂うことはない。正確無比に仮面の軍人の心臓が穿たれた。だが、その間に他が距離を一気に縮めてくる。暗殺人形相手に近接戦を挑むとは、良い度胸だ。ライは獰猛な笑みを浮かべ、顔を狙った蹴りをバックステップを踏んで避け、引き金を引く。が、信じられない反応速度で仮面の男は身体をひねると、不可避と思われた銃弾を避けてみせた。しかし、そのタイミングを測ったようにライの後ろから放たれた弾丸が男の心臓を撃ち抜く。


「ライ、すまん。援護する!」


 アルバは硝煙が薄く立ち上る拳銃を構え、笑う。特殊諜報部隊にやって来てから、ライはアルバに背中を預けるようになった。誰よりも的確にライの動きと意図を読み、完璧な援護をしてのけるアルバは、たった独りで暗殺人形として戦ってきたライを確かに変えた。


「ああ、頼んだっ!」


「任されたぜ!」


 アルバとライの連携は見事なものだったが、それでもなお決定打を与えられずにいた。仮面の軍人たちの動きは人間離れしていて、まるで暗殺人形のようだ。もちろん、ナタリアとライに及ぶべくもないのだが、こうも数が多いとなれば片がつかない。ナタリアは銃をしまい、両手を構える。何よりも鋭利な刃である手を振るおうとした時、爆発音が背後で轟いた。


「ライ、アルバ、ナタリア、こっちよ!」


 砂塵で悪くなった視界の向こうでエルザの声が聞こえる。砕けたコンクリートの欠片がごろごろと散らばった廊下を、縫うようにして声の方へと向かう。ナタリアたちがエルザの所まで辿り着くと、手榴弾が三つ空を切って飛んだ。雷管から抜かれたピンが地面で三度音を立てると同時に、爆音と爆風がナタリアの身体を叩く。薄目を開けて様子を見れば、ただでさえごろごろだった瓦礫は倍増し、通路は見事に塞がっていた。エルザはいつものおっとりとした微笑みを浮かべたまま、首をこてりと傾げる。


「早く行きましょ?」


 さすがのライも一瞬ぽかんとして、ナタリアはぱちぱちと二度まばたきをした。そして、何となくエルザを敵に回したくないとナタリアは思った。


 水が流れる音がする。チチチとネズミが走る音、とぷんと雫が濁った流れに波紋を落とす音。微かに向こう側に見える光はきっとこのトンネルの出口だろう。どうやらエルザがぶち抜いたのは下水道のようだった。


「仮面の軍人、つまり特務部隊が使徒化計画のバックにいると考えて良いみたいね。不気味で怖いわね」


 エルザは言うが、賢いナタリアたちはここで“怖いのはアナタです”とツッコミを入れたりはしない。ライは少し引きつった顔をして、口を開いた。


「彼らがあんなに強かったのはそのせいかな?」


「じゃねーの。だって俺たちをあれだけ手こずらせたんだし。ってことは身体の改造とか、そーゆーイカれた方面なんだろうな」


 やれやれと肩をすくめてアルバは息を吐いた。


「そういえば、さっきのどさくさに紛れて彼らの銃を一つ持ってきたんだが──」


「見せてくれないか?」


 言われた通り、ライがアルバに拳銃を手渡す。いつも使っているものとは手触りと重さが違う上に、装填スピードと連射スピードが段違いだったから、気になっていたのだ。明らかに性能が良い拳銃に興味があったのはナタリアも同じで、琥珀色の瞳をアルバに向けた。


「なんか、俺たちが使ってるのとだいぶ違うな──って、わ、わ、わ、わわわ、うおっ!?」


 どうしたのですか、と問いかける前に、ぽちゃんと何やら重い物が水底に引きずり込まれる音がした。代わりに訪れたのは冷ややかな沈黙。絶対零度の視線がアルバに注がれた。


「……すいません。落としました」


 エルザは額を押さえて首を振る。ライは溜息をつき、ナタリアはどういう風に反応すれば良いかわからず無表情のままだ。


 何はともあれ、手に入れた唯一の証拠品は今となっては澱んだ水の底だった。

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