ep.041 魔女の牙城

「ソフィア。起きてください」


 淡い水色の髪の幼女は車椅子の上で目を開けた。ポーッとした顔を抱きかかえていた大きなクジラのぬいぐるみにうずめながら、自分自身の執務室を見渡す。散らかったお菓子の数々。例えば、クッキー。ヒト型の可愛いものや、果てにはお菓子の家っぽいものまである。他には、丁寧にクリームを舐め尽くしたケーキ皿も、角砂糖を入れすぎて溶け残りが積もっているティーカップなんかも机を埋めている。とりあえず、お菓子の神さまも卒倒するほどの甘党、それがソフィアだったりする。


「なんじゃ、キリク」


「面会の時刻が近づいてますけど、このままで良いですか?」


 ぱちり、と半分しか開いていなかったソフィアの目が開かれる。即座に《智恵の魔女ミネルヴァ》の顔に変わると、きびきびと指示を出し始めた。


「そこのクッキーは後で食べる。ちゃんと包んでおくのじゃ。憎っくき黒い生物どもに奪われてはならぬ。防衛戦にまず必要なのは、難攻不落の要塞じゃからな」


「……そうですねー。前にアリがたかってましたもんね。魔女様の半泣き顔が見れて私としては嬉しい限りですけど」


「余計なことを言ってないで、手を動かすのじゃ!」


 へいへい、とものすごく適当な返事をしつつも、キリクは手慣れた動きで瓶にクッキー、執務室のクローゼットの奥に箱に入れたケーキを片付けていく。


「別に、お菓子が好きなのを隠す必要はないのでは?」


「何事もイメージが肝心じゃよ。決してあなどられてはならぬのだ。妾は鉄血参謀とでも言おうか、血も涙もない非情で冷徹な参謀でなければならぬ」


 キリクは、マジメ腐って色々と口上を並べるソフィアの腕にあるクジラを見る。生き物のぬいぐるみばかりがクローゼットの奥に並べられているのは、どこにも行けない少女が知らない場所を見て触れたいと思っているからだとキリクは知っていた。


「──ところで、クジラさんはどこにしまいましょうか? クローゼットはもうぱんぱんですけど」


 もちろん抱いたまま面会に臨むのもアリだと思います、なんて口にしたら、ソフィアの目がつり上がった。


「ふざけるでないぞっ! ……ふうむ、なら妾も手札を切ろう。キリク、最近花の調子はどうじゃ? たしかー、そなたの趣味は園芸だったじゃろう?」


 意地悪く唇を歪めつつ、ソフィアは自分の切った手札の威力を確認する。キリクの顔から表情が抜け落ち、能面のような顔になっていた。


「プライバシーの侵害です! なんで知ってるんですか!」


 ふっ、とソフィアは満足げに笑う。


「咲いた花の首をもいでニヤニヤしている姿が報告に上がっておるぞ」


 キリクは沈黙した。嘘だ、家の中に花を植えているというのに、なんで……!?


「妾を舐めるでない。まあ、花の頭をもぐのはアレが人の首みたいだからじゃろう? 普段のでは足りぬか?」


 キリクの目が鋭利に細められる。ソフィアは余裕の笑みを崩さない。


「最近、戦争が再開してからあなたに差し向けられる刺客が減り気味でして。いつも、丁寧に首を落とし、送り手に送り返しているんですけどねー」


「我ながら悪趣味じゃなー」


 送り返すことを思いついたのはソフィアの方だ。動けぬ幼女と侮り、放たれる刺客は数多。ならば、恐怖で報い、支配しよう。決して《智恵の魔女ミネルヴァ》を見くびってはならない、と骨の髄に刻みつけよう。


 結局クジラさんをクローゼットに無理矢理押し込んだ直後、ノックの音が部屋に響いた。


「入れ」


 机上で手を組み、凍てついた微笑みの仮面をつけてソフィアは顔を上げる。


「閣下。特殊諜報部隊隊長、ライ・ミドラス少佐。以下隊員、アルバス・カストル大尉、エルザ・レーゲンシュタット中尉、ナタリア・ガーデニア准尉の四名、到着致しました」


 案内役の上級士官はそれだけ告げて足早に去っていった。苦労の甲斐あって、共和国軍の中で最も恐ろしいと言われている参謀長の前には長く居たくないらしい。苦笑しつつ、上級士官の後から入ってきた銀髪の青年、銀髪の青年、茶色みの強い金髪の女、そして赤茶の髪の少女を眺める。


「よく来たな、特殊諜報部隊各員。妾は《智恵の魔女ミネルヴァ》。共和国軍の参謀長官じゃ。このような身体での、立ち上がって挨拶できないことを許してほしい」


 そう言って微笑むと、アルバとライの二人は瞠目した。他の士官よりは動揺が小さい、少なくともそう見せている。やはり、悪くない。普段なら、大袈裟に狼狽えるか、舌舐めずりを始めんばかりの目つきでこの椅子の簒奪を考えている所だ。


「エルザ・レーゲンシュタット中尉、息災にしていたか?」


 エルザが頷くと、ゆるくウェーブを描いている髪がふわりと風をはらんだ。


「閣下はお元気ですか?」


 走馬灯のごとくソフィアは普段の大変不健康な食生活を思い出した。耳元でキリクが囁く。


「このままだと脂肪おばけになりますよ。ここは一度うちの軍きっての名医に性根を叩き直してもらったらどうです?」


 返事は机の下でキリクの脇腹をつねることでなされた。一瞬顔をしかめたキリクの姿にライは怪訝な顔をする。ソフィアはわざとらしい咳払いをした。


「見ての通り元気じゃよ。それから、ナタリア・ガーデニア准尉。良い名をもらったな、妾はそなたを歓迎しよう」


「感謝します」


 人形のような動きで少女は頭を下げる。彼女こそが帝国最高の暗殺人形。人形らしい、といえば、らしかった。硝子の瞳で何を見ているのか、考えるとソフィアはぞくぞくする。並外れた知力を持つ彼女にとって、人の心を読むことさえ容易い。けれど、暗殺人形は別だ。元来心を持たない存在であるがゆえ、心のうちは読めなかった。人の心を持つようになったライも、未だに捉えきれない。ナタリアを突然拾ってきたこともソフィアには想定外だった。


「──さて、今回はそなたたちに任務だ。そなたたちには使徒化計画について調査を進めてもらう。この計画の全貌は未だ掴めていない。リュエル・ミレット少尉の提案より、ガンマが殺した者について探ってもらうことにする」


「恐れながら申し上げますが、今優先すべきなのは失踪したリュエル・ミレット少尉とルカ・エンデ准尉の追跡ではないかと」


 口を挟みつつ、アルバが突き刺すような視線を投げかける。ソフィアは手を組み直した。


「残念ながら、妾の方で調べさせてはいるが、手がかりは掴めておらぬよ。その間、別の調査を請け負ってほしいと言っておるのじゃが。そなたたちは妾の直属部隊。この話を受け入れないということは立派な命令違反である上、独自で動くことは軍規違反になるのじゃが、それで良いか?」


 わざとらしく片目をつむって、ソフィアは微笑む。アルバは苦々しい顔をし、険しく眉を寄せていたライを小突いた。


「……了解しました。任務についての詳細をお伺いしましょう」


 固い声でライが言う。その答えを待っていたとばかりにソフィアはもう一度微笑んだ。頬にかかった淡い蒼色の髪を指先で払った。


「さて──」


 ソフィアの話は使徒化計画の基本情報から始まった。


 ──使徒化計画。


 詳細不明。放棄された実験場がリンツェルンの地下にあったが、現在地は不明。参加者、被験者、すべて不明。ただ一つ言えるのは、この計画が共和国の技術の粋を集めて生み出され、闇色の最高機密で塗り固められたものであるということだけ。参謀長の地位でさえ、計画を明かされるには至らなかった。だから、帝国がどの程度まで計画を把握しているのか、及び計画の関係者の周囲を探ることとする。もちろん、極秘任務だ。こちらの動きを気取られてはマズい者たちがいる。


「表向きにはリュエル・ミレット少尉の捜索で良いと思うが、報告は一日毎に上げてもらう。何が主で、何が従なのか、見誤らないようにな。健闘を祈る」


 本当はリュエルの捜索自体を進めてほしくはない。だが、ここで釘を刺したところで彼らなら独自調査を始めてしまうだろう。なら、こうして妨害してしまえば良い、という話だ。ついでに彼らに何を敵に回したかを知ってもらう機会にもなることだし。


「了解しました」


 ライが敬礼すると、後の三人もそれに続く。


「行って良いぞ」


 ライ、ナタリア、エルザ、アルバの順で部屋を出ると思われた。が、エルザの姿が扉から消えると、アルバが足を止めて振り返った。冷え切った感情の色のない瞳が幼女を捉えている。


「──嘘ですね。閣下は全て知っているはずだ。ルカとリュエルの居場所を知っていますね?」


「ふむ、なぜじゃ?」


 アルバが意外とばかりに片眉を動かした。


「なぜ──、ですか? それはこちらの質問なのですが」


 ソフィアは思わずくつくつと笑い声を上げる。アルバが虚を突かれたような顔をする所も含めて、とても愉快だ。


「うむ、まあ、その通りじゃ。二人の居場所はほとんど特定できている」


「なら、なぜ妨害するんですか? 俺にはその理由が見えませんね」


 硝子のぶつかる音がして、黒い手袋がティーカップと砂糖壺をソフィアの前に置いた。ソフィアの細い指先は砂糖壺と紅茶の間を何度も往復する。アルバがどんどん顔になる。横でキリクは笑いを必死で噛み殺していた。


「あえて言うなら、時間稼ぎじゃ。最終的にはリュエル・ミレット少尉は回収してもらうことになる。答えはそのくらいで良いじゃろう」


 アルバの顔は依然として険しい。


「──お前はどこまで知っている?」


 低く唸るようにアルバは問うた。ソフィアは唇を動かす。


アルバス、そなたの名が色を冠していることまで」


 アルバの身体から殺気が膨れ上がる。気温すらマイナス値を割ってしまいそうな、冴え冴えとした死の気配。普段は細められているキリクの双眸が、一瞬だけ開かれた。彼の抜いた刀の切っ先はぴたりとアルバの喉元で静止する。東洋の方で鍛え上げられた鋼はとてもよく斬れるのだと、前にキリクが言っていたことをソフィアはふと思い出した。


「……そこまで知りながら俺を自由にしてるんですか?」


 喉元に刃をあてがわれているにも関わらず、鼻で笑うアルバ。キリクに目線で刀を下ろすように合図を送り、ソフィアは不敵な笑みで一蹴した。


「そなたはすでに妾の盤上に載っておる。せいぜい懸命に踊ってみせよ」

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