ep.039 血まみれのドブネズミ

 一面の焼け野原。灰色の地面は血と死体で埋め尽くされ、この世の終わりと言っていいような光景が延々と続いている。腐臭、血と硝煙の匂いが混ざり合う地獄では、少年の嗅覚は既に死んでいた。ぼさぼさの黒髪で死んだ魚のような目をした少年は死体の側で這いつくばり、鼻を突っ込むような格好で死体の衣服を検分する。金、食糧、弾薬、武器、何でもいい。金になればそれで構わない。隣の死体は綺麗な長い金髪だったから、髪を切れば売れるかもしれない。どこかの死体から奪ったぶかぶかの軍服を引きずり、少年は金髪の死体に触れた。すると、ぱちんと死体の目が開いた。まだ生きているらしい。それでは髪が切れないし、奪えない。少年は落ちていたナイフを拾った。ほとんど使われずに落ちていたから、銀色の刃はきらきらと輝いて少年の汚れた顔が映り込んだ。それを見て少年は思った。


 ──自分も周りの動かない人間と同じ顔だ。


 どれだけ頑張っても頬の筋肉はピクリとも動かない。それなら、自分は死んでいるのだろうか。確かに何も感じない。ただ、雑音だらけの世界で耳が痛いだけで。

 死んだ目をした少年はナイフを振りかぶった。銀色は男の胸に沈み込む。長髪の男が奇怪な声を上げる。いつもよりも耳が痛かった。ナイフを引き抜くと、紅い噴水が上がる。少年の顔も身体も全部紅く紅く染まっていく。高くて奇妙な声は耳障りだから、喉を掻き切った。すると、また血が噴き出す。甲高い音は、ひゅーひゅーという不思議な音へと変わる。これなら五月蝿うるさくない。満足して眺めていると、ソレはやがて動かなくなった。血まみれの少年は手に握ったどろどろのナイフに視線を落とした。ケタケタと初めて聞く音がする。わずかに残った銀色の部分に映り込んだ少年の顔は確かに嗤っていた。


 それが少年が初めて自分が生きていることを自覚した瞬間だった。それから少年はたくさんの戦場を転々とした。ナイフで残忍に人を刺し貫いて、紅く染まった手で金目の物を拾い集めて売り歩く。まだ年端も行かぬ少年が、だ。それも、ケタケタと嗤いながら。


 ケタケタ、ケタケタ、ケタケタ。


 壊れた人形のように人を殺して繰り返す。


 タノシイ。


 悲鳴を上げて怯えた顔をする人間が好きだ。温かい人間の身体から噴水みたいに噴き出す血の雨に打たれるのが心地よい。けれど、それから永遠に沈黙するのはあまり好きではない。もっと、もっと、叫んで泣いて縋って。もっと楽しませてほしい。だってそうでなければ、生きるのはつまらないから。


「君。我々の命令にだけ従えば好きに殺して良い、と言ったらついて来るか?」


 いつも通りしゃがみ込み、血でぬめった手で金貨をかき集めていたら、声が降ってきた。立ち上がらないまま振り返って見上げると、黒衣の男が唇を歪めて立っていた。よく見る軍服とは少し違うデザインの服だが、軍服の一種だろうか。


「軍人がボクに何か用っすか?」


 男は煙草を蒸し、小馬鹿にするように鼻で笑った。


「私は軍人ではない。治安局所属の捜査官だ」


「ちあんきょく? そうさかん? 意味がわからないっす。エラい人がボクみたいな死体漁りを拾って何か良いことでもあるんすか?」


「あるとも。君は人を殺すのが得意だろう? 我々もそういう人間を探していた。指定した人間ならいくらでも好きにしていい。どうだ?」


 血で固まったぶかぶかの軍服に両手の血をなすりつけてから、少年は立ち上がった。


「これより楽しいっすか?」


 血溜まりに沈む滅多刺しにした死体を指差す。男は大きな笑みを浮かべた。その目だけは笑わずに、少年を冷静に観察してしているようだった。男は無邪気で惨虐な少年に向かって口を開く。


「ああ。間違いなく、こっちの方が楽しいさ。何せ、こちらが相手するのはよく鳴くブタどもだからな」


「ふうん、そうっすか。じゃあ、行くっす」


 ぼさぼさの髪を揺らし、少年は煙草の匂いのする背中を追いかける。名前のない少年はそうして治安局に拾われた。


「──ネズミ。貴様に任務だ。下水道を根倉にしているブタを粛清しろ」


「りょーかいっす」


 ネズミに与えられる任務は常に粛清の執行だった。綱紀を正す、といえば聞こえは良いが、実際はただの殺戮だ。人殺しに狂った獣を飼うためのエサでもある。とはいえ、ネズミにはそういう細かいことはどうでも良かった。命を無残に握り潰すことでしかネズミの心は満たされないからだ。

 抜き身のナイフが曇ったランプの光を受けて鈍く光る。下水道はよく音が響くので、遠くからでも人のいる場所を容易に特定できた。ネズミは息を鋭く吸うと足音をできるだけ殺して走り出す。ガンマほど完璧な隠密行動はできないが、わずかな足音は水音にかき消され、向こうの人間には気づかれないだろう。

 苔で緑色にうっすらと色づく壁にくぼみが見えた。ネズミはかかとでくぼみを蹴り付ける。すると、がこんという音と共に壁が一部浮いた。ニタリと八重歯を剥き出しにしてネズミは嗤う。壁を蹴り開け、光の中に飛び込んだ。


「撃て」


 少年の声がした。銃弾がネズミの肩を、脇腹を、えぐる。


「ん? なんかいつものヤツらと違うっすね」


 凶悪な笑みを浮かべ、血を流しながら、ネズミはナイフを振りかざして手当たり次第首を掻き切っていく。彼らが悔やむべきだったのは、彼らの銃の熟練度が低かったことと狭い空間に密集しすぎたことだ。つい先ほどまで歩いて話していた者が次の瞬間絶叫しながら血を撒き散らす。その光景に平静を失った人々はそれぞれ色々な行動を取った。ネズミの方向へ叫びながら突撃する者、仲間を押し退けて扉に向かおうとする者。けれど全員等しくネズミの振るうナイフの餌食となった。血の海ができて、死体しか残らなくなってもネズミはケタケタと嗤い続けた。


「そういや、指示出してた赤髪いないっすねー」


 ふと気づいて、ネズミは腕組みをして記憶を辿る。


『王様、お逃げください! ここは我らが──』


『だが……!』


『早くっ! まだあなたを失うわけにはいきませんっ!』


 会話の端々を思い出すと、どうやら“王様”とやらは逃げたらしい。転がっていたレンガを拾って、部屋の隅の食糧が詰まった壺を叩き割る。後ろに人がひとり何とか通れるくらいの穴が掘ってあった。地面に落ちたトマトを踏みつける。人の肉を踏み潰したような音がした。


「ま、いっか。いつもより楽しかったから」


 行動が読まれていたことは気にならなくもないが、さしてネズミには重要ではない。赤髪の王様のことだけ報告すればいいのだ。自身の血とその他の血で染まったまま、ネズミは治安局本部地下、ネズミの所属するゼロ課の本拠地に帰投した。ここが治安局の最暗部だ。ひとりの局員の権限は他の課とは比べ物にならない。しかし、だからと言って割り当てられた部屋が絢爛豪華だというわけではない。無骨なスチールフレームのデスクが並び、一番大きい(他とひと回りくらいしか変わらない)机に鷹を思わせる眼光の鋭い男が座っていた。その男──リオン・イスタルテとその秘書官がまず目に入る。いつもよりも机が埋まっているのは意外だった。


「せめて血を落としてから帰ってこい。汚れるだろう」


 他の人が聞けばその声の冷ややかさに声も出せなくなる所だが、ネズミは臆さないばかりか面倒くさいという表情を隠しもしない。申し訳程度に顔を治安局の制服で拭ってみた。


「報告を」


 凍てついた視線がネズミの身体を突き刺す。視線が目に見えたら、今のネズミは文字通りのハリネズミだろう。


「一人逃したっす。“王様”らしいっすよ?」


「ほう。──イエリー、その周辺に包囲網を敷け。王は生きたまま捕らえろ」


「了解致しました」


 黒縁眼鏡の女は深く腰を折ると、ヒールを鳴らして踵を返した。


 ガンマと治安局の根本的な違いは、存在が公に認められているか否かだ。帝国の闇の中で生きていると、ガンマの存在は当たり前の脅威として刷り込まれるが、対外的には知られていない亡霊のような組織であり都市伝説の域を出ない。知られずに動ける利点もあるが、治安局が持つのは公に取り締まることが許されるという利点だった。


「で、ネズミ。貴様に任務だ」


 鷹のような目をした男は顎の下で手を組み替えた。


「共和国軍に潜入し、“記録係”を奪って来い」


 ガタンと誰かが椅子をひっくり返しながら立ち上がり、次いで息を呑む音と上ずった声が聞こえる。


「局長! 正気ですか!? こんな問題児を共和国に送るのですか!?」


 その叫びはこの場全員の総意だったらしく、痛いくらいの視線が、真ん中に血を滴らせながら立っているネズミに浴びせられた。ネズミは涼しい顔のままリオンを見る。


「なら、貴様が行くか?」


 全員同時に黙り込む。リオンは侮蔑の色を瞳に浮かべた。煙草を握り潰してから開かれた手のひらの上で、火の消えた煙草が無惨な姿を晒していた。


「どうする? 愛国的で献身的なボランティアはいないらしいが」


 冗談じみた言葉とは裏腹に、いつも通り目は笑っていない。ネズミは肩をすくめた。


「共和国では殺していいんすか?」


「潜入に支障をきたさない程度なら許可する」


 誰を殺すかがミソだろうが、実質殺したい放題だ。ネズミは八重歯を見せてニタリと笑う。


「りょーかいっす。じゃあ、行って来るっす。で、記録係について何かないんすか?」


「無い」


「は?」


 あまりにもあっさりとした返答にネズミは眉を上げる。自分を飼うのが面倒になったのだろう、と他人事のように思った。捨て駒扱いだ。重役の一人や二人を殺して捕まっても、ロクな情報を持たないネズミを拷問しても意味がないし、仮に記録係を見つけて奪ってきたらラッキー。ネズミが共和国でどう動こうが、治安局は得しかしない。


「ま、いいっす。好きにやるっすから」


 ネズミは足元の血溜まりを踏み、長い黒髪を翻した。紅い靴跡が白い床に点々と続いていた。


 どうであれ、今の場所より楽しいのなら、関係ない。


 ドブネズミのような少年の口元が凶悪に歪んだ。

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