ep.037 糸口
ナタリアはぼんやりと虚空を見つめていた。目の前ではライが眠っている。死神を殺すのをやめる、という選択をした時からナタリアは暗殺人形ではなくなった。
「中尉、ライは目覚めるのですか?」
もはや日課のように定刻に現れるエルザにナタリアはライから目を離さず尋ねた。何度目かもしれない質問に小さな溜息を吐いて、ナタリアの頭をそっと撫でる。
「大丈夫。もうすぐ起きるわ」
「そうですか」
ナタリアが今身につけているものと同じ軍服の背中が扉の先に消えた。
「……な、たりあ」
「ライ。わたしはここにいます」
まばたいて、ゆっくりと藍色の瞳が開かれる。ナタリアは気づかず詰めていた息を吐き出した。
「よかったです。目を覚まさないのではないかと何回も思いました」
「ありがとう。ここまで運んでくれたのは君だろう?」
「はい。幸い、両軍共に撤退した直後でしたので、交戦の必要はありませんでしたから」
ナタリアは目を伏せ、躊躇うようにライを見た。
「その、ずっと考えていました。あなたに、何を言えばいいのか。わたしはあなたを傷つけて、しまったから」
軍服を裂いて最低限の止血をし、戦火に巻かれないように走った。少しでも速く、ライの呼吸が止まってしまう前に。やっと、傷つけるのは悪いことだというライの言葉の意味をナタリアは理解し始めた。
「……申し訳ありません。ですから、どうかわたしを棄てないでほしいのです。まだ、わたしはどう生きればいいかわかりません。ひとりでは、立てません」
目を閉じて頭を深く下げた。すると、小さな笑い声が降ってくる。ナタリアは不審に思い、顔を上げた。
「何言ってるんだ。俺は君にここにいて欲しかったから引き留めたし、会いに行ったんだ。君を棄てるなんていう選択肢は俺にはない」
「そうよ、それにウチの隊長を助けてくれた恩人だしね」
いつの間にか現れて、ずいっとエルザが顔を出す。ほらアルバも、とエルザは知らないフリをして遠くを見ているアルバを見かけによらない怪力で引き寄せた。
「え、なに!? 俺もなんか言うの!?」
「言いなさいよ」
急かされ、アルバは頭をかきながら口を開く。
「えっと、じゃあ、ナタリアちゃん、これからよろしく」
「よろしくお願いします」
ばあーん、とやかましい音と共にリュエルとルカが部屋に転がり込んできた。
「本気で共和国軍に入るんすか?」
「どこにも行く所はありませんし、皆さんの役に立てるのでしたら。必要がなくなれば、棄ててくださって構いません」
「そんなことを言ってるんじゃないですよ。ルカは嬉しいんです。こんなに可愛くて強い子が仲間になってくれるのが」
キョトンとするルカを気にせず、リュエルは目を輝かせながら理解不能という顔をしたナタリアの手を取った。
「分かりますよ。なぜって、私がそう思ってるから!」
ルカが否定するにもできないという微妙な顔で遠い目をする。あながち間違っているとは言えないが、ルカにとっては同時に不安要素が一つ増えたことにもなる。
「そうですか。ひとのこころというものを理解するのは難しいです」
真顔でナタリアが頷くものだからルカにできたのは溜息をつくことだけだった。前も同じだったが、誰かが目を覚ますと、病室が途端に賑やかになるのがこの部隊なのだ。仲が良い、と表面上は取ることができる。しかし、それだけが理由だとは必ずしも限らない。──お互いを監視し合っている、とも言えるのだから。
「ところで、
銀縁メガネを押し上げ、リュエルは共和国軍の軍服に身を包んだナタリアを見る。
「なんでしょうか? わたしにお答えできる質問であれば良いのですが」
「使徒について聞いたことは?」
「……あります」
答えが遅れたのはその言葉を聞いたのがかなり前だったからだ。その返事に部隊の面々が三者三様の反応を見せた理由は分からないまま、ナタリアはできるだけ詳しく説明する。
「アリア様がおっしゃっていたことがあります。共和国には七人の使徒がいるのだそうです。ガンマに匹敵しうる唯一の戦力だとおっしゃいました。わたしが知っているのはここまでです。お力になれず、申し訳ありません」
「いや、その数字が聞けただけでも進展だ」
ライが顎に手を当てた。
「それが、何か重要なのですか?」
ライの髪をぐしゃぐしゃにしながらアルバが身を乗り出す。
「俺らが関わっちゃったちょーヤベェ案件がそれなんだ。使徒化計画とかいうやばいやつ」
「知らない言葉です」
「あの、大尉。ガンマのナタリアさんが使徒という単語を知っているということは、使徒化計画をガンマの総帥は知っているのではないでしょうか。しかも、私たちが前に
アルバとエルザが目を見張る。アルバに至っては面白いとばかりにニヤリと唇を歪めた。そして、リュエルの思考はそこでは止まらない。
「次に私たちが調べるべきなのは、研究者の中でガンマに殺された者。──大尉たちは既にここまで辿り着いてる、そうですね?」
「完敗だ。俺はそこまで思い至らなかった。さすがだな、リュエル」
ライは手放しでリュエルを褒めた。リュエルは真っ赤になって、恐縮です、となんとか一言呟いた。
「センパイすごいっす! ならやることは決まったっすね。センパイの中にそのデータはあるっすか?」
リュエルは目を閉じてしばらく考え込む。
「ごめん、無い。情報管理部に行かないといけないみたい」
ゆっくりと首を振ったリュエルの袖を軽く引いて、ルカは部屋を出て行く。
「ボクたち探してくるっす。隊長たちは次の作戦でも考えててくださいっす」
ルカとリュエルの騒がしいペアが出て行った後、部屋は途端にしんとした。ナタリアはぱたんと音を立てた扉を手持ち無沙汰に眺める。
「リュエル・ミレット少尉は、とても賢いのですね」
「ああ、俺らけっこー脳筋だからな。助かってる」
「そうね。諜報部隊といっても私たちは魔女様配下の遊撃部隊だし」
「魔女様とは誰のことなのですか?」
エルザは微笑んだ。
「共和国軍の参謀長よ。《
アルバとライが頷くのを待たずにエルザは続ける。
「会ったら驚くと思うわ。彼女、ものすごく若いから」
「ナタリアよりも?」
「ええ。話し方はおばあちゃんみたいだけどね」
「人物像が俺ん中でめちゃくちゃになってるんだけどさー、どういうことなの? つまりロリババアってこと?」
どごん、とコンクリートに鉄骨を叩きつけたような音が響いた。見ると、アルバの金髪が白いベッドに埋もれている。しかも濁った声で
「い゛た゛い゛、エルザ」
「自業自得よ。ロリババアなんて言ったら、あの子凶悪な顔をしてあなたをエルンリッヒ戦役みたいな戦場で死ぬまでこき使われるわよ。文字通り、ね」
殴られた痛みで涙目だったアルバの顔から今度は血の気が引ける。
「……それやだ」
エルンリッヒ戦役は十三年前、エルンリッヒ島と呼ばれる島で行われたヘタをすると(いや、しなくても)今世紀最悪の戦いである。帝国軍と共和国軍が狭い島の中で入り乱れて大混乱、その上密林でサバイバルだ。極限状態に陥った兵たちの醜い争いは絶えず、食べられるものは草の根をかき分けてでも食べるという餓死と隣り合わせの生活が日常になっていた。さらに蔓延した病で多くが命を落とした壮絶な戦場として記録されている。
おバカな両軍の上層部が適当に兵を放り込んでおけば島一つくらいすぐに落ちるだろう、と甘く考えたのが事の始まり。悪かったのは、エルンリッヒ島が帝国と共和国のいずれにとっても好条件の拠点となり得たことだった。それから泥沼化してにっちもさっちも行かなくなった所で、これまたアホな上層部の誰かがめんどくさいから吹っ飛ばしてみようかな、などと考えて島ごとドカンだ。今では立派に海底山脈の仲間入りを果たして魚と楽しく過ごしていることだろう。
だが、何よりも、アルバにとってあの戦場は大事な人が死んだ場所として記憶されている。決して、忘れることができない痛みと共に。
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