ep.034 遊戯盤の差し手

「ふむ、帝国に機密情報が暴かれたようじゃとな?」


 車椅子に乗った幼い少女は作ったような声で言う。淡い蒼色の髪を無造作に結い、少将の階級章がきらめく軍服を羽織って、老女のような話し方をする彼女からは幼さは感じられない。


「その通りです! 参謀長閣下、あの都市を奪われたことは我が国にとって大変な損失です。港から機密区画まで、このまま捨て置けばヤツらに良いように利用され、いずれ我々を崩しかねませぬ」


 参謀長閣下、と呼ばれた幼女は笑いそうになるのを無表情の裏に隠す。ばかめ、と頭の中ではそう嘲笑いながらも深刻な表情を作ってみせる。


「では、貴君なら如何とする?」


 幼女に問われ、陸軍大佐は即座に答えた。


「奪還は諦め、リンツェルンを完膚なきまで帝国のクソ野郎どもと共に叩きのめします」


 元から全てあの女は知っているのだと口にしたところで、久しぶりの派手な爆撃戦を決行できると湧き立つ陸軍高官バカどもの手綱にはならない。脳筋と話すのは疲れるとばかりに首を振り、幼女は部屋の隅に控える軍服の従者に目配せをした。頬に傷のある男は小さく頷いて彼女の車椅子に手を掛ける。


「妾はここで失礼するぞ。後は貴君らに任せた」


「はっ、《智恵の魔女ミネルヴァ》殿」


 からからと車椅子を押しながら幼女の執務室に入った途端、男は先程まで堪えていた失笑を漏らした。


「ホント、アイツらバカですね。何ひとつわかっちゃいない」


「うむ、まあ、あの街は所詮捨て駒。馬鹿どもの遊び場にするくらい別に妾の知ったことではないわ」


 幼女は可愛らしい顔立ちをニタリと笑みで彩る。


「今頃は記録係を見た頃か。これで帝国の死天使を手に入れれば駒は揃う。やっとここまで来たぞ」


「それも良いですけど、そんな凶悪な顔ばかりしていると可愛らしいお顔が台無しですよ、ソフィア」


「……その呼び方をやめろと言っておるじゃろ」


「照れてるクセに」


「むぅー」


 ソフィアは頬を膨らませて抗議する。やっと年相応の顔を見せた彼女に男──キリクは小さく微笑んだ。


 十歳の見た目を、そして事実、齢十の幼い少女は共和国軍の擁する最高の頭脳であり、帝国の夜を統べるアリアへの対抗手段である。それゆえに彼女の足は砕かれ、心臓には爆薬が仕掛けられている。この基地を出られぬように、そして、出れば即座に物言わぬ肉片に変じるように。存在意義を規定され、檻の中に囚われた彼女を人は《智恵の魔女ミネルヴァ》と呼ぶ。


「とにかく、あの部隊はまずまず上手くやっているようで安心じゃ。あの──ラインハルト、じゃったか?」


「ボケたんですか? さすがにラインハルト・ミドラスなんてちょっとバランス悪くないですか。ライですよ、あの暗殺人形は」


「ああ、そうじゃった。ライはなかなか使えるな。悪くない」


「アレですっけ、おっさんが最期に受けた任務で、そして殺せなかったやつ」


「そう、《夜叉オグル》レグルス・ベルガが目をかけていた暗殺人形じゃ」


 キリクは自分の頬に走る傷をなぞる。この傷はかつてレグルスに付けられたものだ。《首狩りディミオス》の名をほしいままにするキリクが唯一負けた相手、そしてこのちっこい魔女様の子守りを押し付けて消えたクソバカ野郎。


「ソフィアも大きくなりましたね」


 しみじみと呟くキリクを睨みつけ、ソフィアは執務机に放り出されたチェスの駒を指先で弾いた。弾くのは黒のクイーン。それは乾いた音を立てて遊戯盤の上を転がり落ちる。ソフィアの唇が吊り上がった。


「──さあ、始めよう」


 ***


 喪服のような黒衣の女は黒いベールの下で唇を歪める。円卓には十三の席、そして十二人の人間。空席のひとつは十一年前から空っぽのままだ。この席に着く権利を有するのは、帝国軍最高幹部のみ。


「──では、始めましょうか」


 艶かしい声が静謐を乱した。


「共和国はリンツェルンを潰しに来るでしょうな」


 マクシミリアン大佐は腕を組み、口火を切った。


「それは魔女の計らいか?」


「いや、別口だと思われる。海戦は起こらない以上、ここに戦力を投入する意味はほとんどない」


「だが、このまま捨て置くわけにもいかんだろう。まんまと奪われてしまえば、我々の沽券に関わる」


「ではある程度までは交戦すると?」


「それが最善だろうな。街が半壊した時点で作戦は終了、そのくらいで手を打とう」


 アリアは議論を進める高官たちを黙って眺める。わざわざ口を挟むまでもないという静観だった。同様に、治安局の局長リオン・イスタルテは興味なさげに手遊びにふけっている。


「──アリア様、これでよろしいですか」


 畏れるように海軍総督がアリアのベールに視線をやった。この場にいる人間は全て、ここで交わされる議論ですら茶番でしかないことを理解している。最終決定権は皇帝にあるが、実質的にこの国を動かしているのはこの黒の女王だ。帝国憲章は国民の平等を、決議の公平を謳っているが、現実はそうではない。ガンマと治安局がしのぎを削り、軍は彼らの手足。そして、国がまだ崩壊していないのは外に共和国という共通の敵がいるからである。敵の敵は味方、というわけだ。そして皇帝はもうずっと沈黙に沈んでいる。皇妃に至っては顔さえ出したことがない。つまり、誰にもガンマと治安局は止められないのだ。


「ええ。良いと思いますよ。そろそろ新たな段階に移る頃でしょうね。そう思いませんか、リオン?」


 ふん、と鼻で笑いつつもリオンは頷いた。


「そうだな、アリア。して、貴様はどうする?」


 くすりとアリアは笑う。


「どう──、ですか。ふざけた質問をされるので、思わず笑ってしまいました。ですが一言だけお答えして差し上げます。私は《智恵の魔女》の出方をもう少し見ておくことにします」


「つまらん答えだな」


 ほとんど意味のない返事だったが、収穫も僅かにある。というか、拾おうと思わなければ拾うこともできないほど小さなメッセージが隠されていた。今はまだ、アリアは動かない。そういうことだろう。

 犬猿の仲、しかし意見は合わせてくる二人の承認が降りたことで、高官たちはぱらぱらと席を立ち始めた。夜の女王は立ち上がりながら、背後を一瞬振り返る。その様子をずっと、皇帝は紗の奥から見下ろしていた。


 ──その虚な藍色の瞳を見る者は誰もいない。

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