ep.033 記録係

 動き続けるリュエルの手が記録を寸分違わず再現していくのを横目に、ライは湯気をくゆらせる人数分のティーカップからアルバの顔に視線を向けた。


「あの仮面の軍人は誰なんだ?」


 アルバの目がライから逃げる。知らない、と口にしようとしているのは明白だった。


「……少尉、あんた何か知ってるっすね?」


 ルカの言葉が鋭くアルバの口を縫い止め、アルバは諦めの溜息をついた。


「ガンマと同じように作られた部隊があるっていう話を聞いたことがある。通称、特務部隊。なんか仮面被ってるらしーから、そうかなぁ、みたいな?」


「聞いたことがないな」


 ライは自身の記憶を手繰り寄せながら呟く。


「ボクも知らないっすけど、なんで少尉は知ってるんすか?」


「──それは、俺をヤツらの間者だって言いたいのか?」


「二人ともやめなさい。私は聞いたことあるわよ、それ。都市伝説みたく、まことしやかに囁かれているの、仮面の特務部隊って」


 仮面の軍人、確かに都市伝説だ。特務部隊が実際に存在したとして、仮面を被る意味が分からない。顔を隠すことに何か意味でもあるのだろうか。みょーちきりんな仮面で暗躍して目立ちたいわけではあるまいし。(それはもはや暗躍ではない)


「皆さん、取り込み中悪いのですが、複写が終わったので解読に入ろうと思います」


「暗号だったのか?」


 リュエルのきちんとした筆跡で綴られた紙を一枚つまみ、さっとライは目を通した。一見すると、単純に意味不明な研究のデータが並んでいるように思える。


「はい、最初の日付と次の日付で付された印の位置が異なります。他の日付もあわせてその順番を見ていくと……これは、旧帝国式暗号ですね」


 ぶつぶつ言いながらリュエルが紙片を眺めているのは良いのだが、誰一人として彼女についていけていない。現在の共和国式暗号と帝国式暗号ならライにも分かるが、旧式となると学習していない。


「これが天才っすか」


「そうね、私もこれだけ頭が良かったら大統領の座を今から乗っ取りに行くのに」


「え? 今なんて?」


「リュエルみたいに頭が良かったら、私、世界征服しに行くわ」


「え? 野望、膨らんでね?」


「聞いてたんじゃない。アルバは頭良かったら何するの?」


「んー、俺、プチっと帝国潰してくる」


「ほらー、一緒じゃない」


「一緒か? 言われてみればそうかもしれん」


「少佐、あの二人謎っすね」


 ルカに耳打ちされ、ライは思わず苦笑した。


「ああ、すごく仲が良いんだな」


 その言葉にルカが何とも言えない顔をして、沈黙する。後ろでわーきゃー騒いでいるアルバ達に重ねて、リュエルが口を開いた。


「花、へ、報告、する。秘薬、の、完成、は、目前。使徒化、計画、は、新たな、段階、に、入った。鳥、は、花、を、焼く、だろう。記録係、は、全て、を、見て、いる」


 しんと静寂にリュエルの声が落ちた。


「……使徒化計画?」


 耳慣れない単語にライは思わず聞き返すが返事はなく、代わりに目に入ったのはそれぞれ険しい顔を見せる面々の姿だった。


「鳥と花って、なんなんでしょうか。花って普通にお花のことですよね……?」


 眉を寄せて呟いた所を見るに、リュエルは単純に意味を考えているっぽいが。


「鳥は共和国、花は帝国を意味しているのではないかと思うんだが……」


「なんでですか、少佐?」


「鳥は共和国軍の徽章に入っているし、帝国の皇族の紋章は不滅を意味するダフネが描かれているから」


「なるほどです」


「ボクは記録係が気になるっすけど、センパイ、何か知ってるっすか?」


「確かに、俺も気になる」


 ルカとアルバが身を乗り出す。ふと、リュエルが奇妙に動きを止めた。


「──お呼びでしょうか」


 リュエルの口が動く。無機質な機械のような声が彼女の口から出たものであると認識するまで時間がかかった。


「私は記録係と申します。階級とお名前をどうぞ、ご用件はその後お伺いします」


「センパイ?」


「私は記録係です」


「リュエルは?」


「ですから私は記録係です」


 ルカとアルバは目を白黒させ、首を傾げてなぜかライを見る。しかし、首を傾げたいのはライの方だ。


「私はエルザ・レーゲンシュタット中尉です。使徒化計画と記録係について──」


「認証不可。レーゲンシュタット中尉にはアクセス権限がありません」


 エルザが言い終わる前にスパッと切り捨てられる。いつものリュエルなら人の話は最後まで聞きましょうと怒り出す所なのだが、このリュエルはそうではないようだ。


「ライ・ミドラス少佐だ」


「認証不可」


「ルカ・エンデ准尉っす」


「認証不可」


「アルバ・カストル大佐だっ!」


 階級の問題かとばかりに盛大にサバを読んだアルバはなぜか自信満々な顔をしている。周りの視線は冷めているけれど。


「認証。アルバス・カストル大佐、アクセスコードをどうぞ」


「え、まじ?」


 青い目を丸くして、アルバは逆に慌て始める。


「アクセスコードなんて、知らねぇー! どどどうしよ。なんか、誰か言ってー」


「ここは無難にいちにっさんし?」


 ルカの謎のアドバイスむなしく、記録係は冷ややかな目をして認証不可と判断したらしい。


「皆さまにはアクセス権限はありません。記録の閲覧は不可能ですが、どういたしますか?」


「どうって言われてもな……。じゃあ、君は誰なんだ?」


「私は共和国軍所蔵の記録係です。あらゆるデータ、記録の保存をしております」


 リュエルの記憶能力の本当の利用法がこれか。記録係という言葉に反応して別人格が表に出てくるようになっているらしい。一士官にしておくにはもったいない能力だとは思っていたが、既に利用されていたとは。そして問題はリュエルが持つ記録が何であるか、だ。この状況を見るに、使徒化計画についてだろう。帝国同様、共和国も結構腹黒いようだから、とんでもない計画であったとしても今更驚くことはない。


「使徒化計画について調べないといけないな」


 何気なしに言ったライの言葉にアルバがパッと顔を上げる。


「……やめた方が良い。それはたぶんこの共和国が持つ最大の闇だ。今ならまだ、知らなかったで済む。だから、関わるのをやめろ。いくらお前でも──消されるぞ」


 アルバの瞳の奥で複雑な感情が渦巻いていた。しかし、ライにはまだ絡まり合った感情を読み解けるほど人の心が理解できていない。それをもどかしく思うのは久しぶりだった。


「ボクは興味あるっすけど、中尉は?」


 エルザはゆっくりと微笑む。


「そうね、ライ次第ではないかしら。けれど、私たちをリンツェルンのあの区画に送った人間が私たちが使徒化計画について知るよう仕向けたのなら、あそこから私たちが帰還した時点で、関わったものとみなされるはずよ。そうすると、踏み込むにせよ、立ち止まって背を向けるにせよ、狙われることは確かだわ。それなら、踏み込んだ方が私たちの身を守る上でもプラスになるはず」


 情報を持ち帰り、リュエルが解読し、記録係が姿を現した時点で既にこの件に関わっている。ならば後は前に進むか、ここでやめるか。そして、そう問われたらライは前に進む方を選ぶ。選べ、したいかしたくないか自分で決めろ、そう言った人の言葉をライは決して忘れない。それに、レグルスなら躊躇わずに踏み込むだろうから。


「俺は踏み込もうと思う」


 アルバは深い溜息を吐いた。ライがそう答えるのも想定済みだったようで、やれやれと肩をすくめる。


「一応警告はしたからな。たとえどんな結末になろうとも、俺は責任を持ちませーん」


 最初に拾い物ティーカップで湯気を立てていた紅茶はいつの間にか冷め切って、赤茶の液体はさざなみすら立てずにじっとしている。ライは冷たい紅茶をひと口すすった。


「えっと、皆さん何の話をしてたんですか?」


 リュエルは一人でぽかんとしていた。


 ***


 ライたちが部屋を後にし、ルカはまだ状況がよく分かっていないリュエルと二人残っていた。


「センパイ、じゃなくて、記録係」


「──はい。なんでしょうか、ルカ・エンデ准尉」


 なんでめっちゃ棒読みなんすか、しかもなんか嫌そう、とぼやきつつ、ルカは記録係を見た。感情がくるくると目まぐるしく変化する水色の瞳は今は凪いでいる。


「センパイの人格はふたつあるってことなんすか?」


「はい。私は記録係です。ですから、あらゆるものを記憶し続けなければなりません。たとえそれがどんな光景、どんな惨状であろうとも、目を逸らすことはゆるされません。決して、目を閉じてはいけないのです。だから、逃れたかったのだと思います。リュエル・ミレットはそうして生まれました」


 記録係はまつ毛を伏せた。共和国の闇を見つめ続けてきた彼女はその瞳に何を映してきたのだろう。決して目を閉じてはいけない、それが何を意味するのか理解できないルカではない。


「それなら、あんたはどうなんすか? まだ見続けているあんたは」


「心配しているのですか?」


 ナタリアのような無機質な声で問われた。ルカは口を尖らせる。


「だったらなんだって言うんすか」


「……いえ、嬉しかったので。おもんばかった人はいませんでした」


 ふいとそっぽを向いたルカに記録係は言う。


「ところでルカ・エンデ准尉、前からリュエルが知りたがっていることがあります」


 まばたいて、記録係の瞳がルカの黒い瞳を捉えた。


「あなたは、誰ですか」


 ルカの目が冷ややかに細められる。


「随分と大胆っすね。そんなことを言われたら──」


 黒い手袋をはめたルカの両手は記録係の白いうなじを滑り、首に据えられた。


「──その首を、へし折ってしまいたくなる」


 耳元で囁く。


「え、ど、どうしたの!? ルカ」


 あまりの顔の近さに急速に茹で上がるリュエルに、ルカはチッと舌打ちを漏らした。


「逃げられたっすね」


「ん? 何が?」


 ルカはゆっくりと手を離し、潤んだ水色の瞳に向かって笑いかける。


「大丈夫っすよ、センパイ。ボクはセンパイがそう望む限りルカ・エンデでいるっすから」


 きょとんとするリュエルは置いてルカは部屋を出る。唇を歪めて。

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