ep.032 仮面と軍服

「どうする──っ!」


 アルバの張り詰めた声にライは我に帰った。足音は確実に近づいてきている。このままここにいれば、袋の中のネズミと同じ運命を辿ることになる。


 しかし、それなら直前のエルシオの行動が分からない。暗闇になれないライたちを撃つのはエルシオには造作もないことだ。むしろ、跳弾までさせて避けることを促す方がずっと難しい。


「ライ、動かないと」


 エルザの顔にも焦りが見える。が、ライはエルシオの行動に引っかかったまま、次の動きを考えられずにいた。


「──試されてるんだ」


 リュエルがハッと目を見開く。アルバは我が意を得たりとばかりにニヤリと笑う。


「なるほど、理解しました。この状況を作り上げたのは魔弾の射手です。なぜ、ナタリアさんをわざわざここで回収し、自ら手を下さなかったのか。そして、包囲していることを仄めかしたのか。──私たちを試すためです。この状況下でどう動くのかを魔弾の射手は見ています。そして、それは同時に試験として成り立つ状況でもあるということ」


「ってことは、逃げ道が用意されてるってことっすか?」


「うん。私が試験官なら、生存確率ゼロの戦場で試験はしないもん。──もちろん、帝国軍第三位組織ガンマの名前持ちネームドが作った試験ですから、簡単なものではないとは思いますが」


 ルカが壁に手を当てた。耳をくっつけて目を閉じる。距離約千に軍靴の音、そして風の唸るような音が先の方から微かに聞こえた。


「出口はもう一つあるみたいっす。センパイの言う通り、方法はある」


 足音を殺しつつ走り、風の音を拾いながら薄暗い道を行く。水溜まりを踏み、天井から滴る冷たい水を被って、身体は濡れそぼっていた。足を止め、張り付いた銀髪をライは目から払う。


「……道が、崩れてるわ」


 開けた視界の前で大きな穴がぽっかりと口を開けている。飲み込まれたらそのまま奈落の底だ。這い上がることなんてできないだろう。ライは仕込んでいたワイヤーを手繰った。


「くそ、足りない」


 苛立たしく地面を蹴る。小石が落ちる音が響いた。ルカがぴくりと手を動かして、しゃがみ込む。


「待って、底が近いっす。これなら、それで降りられるかもしれないっすよ」


「本当ね。ルカ、流石だわ」


 エルザは微笑むと、ライの持っていたワイヤーを取って器用に結び目を作っていく。それを瓦礫にくくりつけて投げた。ワイヤーは空を切って飛び、剥き出しの鉄骨に巻きつく。ぐいと何度か引っ張った後、エルザは宙空に身体を投げ出した。茶色に近い金髪がふわりと踊り闇の中に溶けていく。足場はちょうど真下にあり、エルザは振り子の要領で身体を揺らして足を軽やかに地面に着けた。


「道があるみたいよー」


 のどかな口調で言われると何でもないように思えるが、エルザがたった今やったのは足場があるかも分からない暗闇への降下だ。一番穏やかそうに見えて、エルザは常に大胆で過激な行動に出ることが多いのだ。


「ああ、もう!」


 アルバが続いて飛ぶ。


「センパイ怖いっすか?」


「べ、べ、別に怖くなんてないんだから──ふぎゃぁああ!」


 膝をガクガクと震わせるリュエルを抱いてルカが地面を蹴った。目を閉じて必死にしがみつき、しきりに睫毛を震わせる姿にルカは思わず笑みをこぼした。最後にライが飛び、地面に足を着けると同時に、ワイヤーの繋ぎ目を撃つ。役目を全うしたワイヤーを巻き取って顔を上げると、なぜかアルバがエルザに詰め寄っているのが目に入った。


「……だから、いつも言ってるだろ、後先考えずに飛び出すなって。そういうのは、俺かライの仕事なの!」


「いいじゃない。ちゃんと地面はあったのだし、落ちてないんだから」


 あ゛ー、と呻きながらアルバが髪をぐしゃぐしゃとかく。悪びれた様子のないエルザはいつもの如く全く反省していない。


「私の方が年上なのよ。アルバは過保護すぎるのよ」


「かほごっ!?」


 返す言葉も思いつかずにアルバは沈黙する。まだリュエルに抱きつかれたままのルカは忍び笑いをした。


「とにかく、先を急ごう」


 ひやりとした湿り気を運んでいた風が乾いていく。通路を降りてから灯りがなくなったが、幸いにも出口は近かった。


「やったあ出口ー!」


 リュエルが飛び出したその鼻先を銃弾が掠める。腰を抜かしてへたりこんだ彼女をライは素早く回収し、壁の裏に隠れた。遅れて銃弾が壁を抉る音が連続する。老朽化して脆くなった壁が穴だらけになって崩れ落ちるのもそう遠いことではないだろう。


「これも魔弾の射手のっすか?」


 ライは一瞬考えてから首を振った。


「いや、これは多分別口だろうな。エルシオはそこまで徹底して俺たちを殺そうとはしてなかった。クリア条件は満たしているはずだ」


「って言ってもな、このままだと仲良くお陀仏だぞ、こりゃ。んで、戻ったら戻ったで吊し上げられる、と。デッドエンドだな」


 端的にアルバが状況をまとめたはいいが、事態の悪さだけがはっきりした。ライは拳銃に触れて歯噛みする。ざっと二個小隊分の人間を一度に相手にするのは流石の元暗殺人形でも厳しい。その上、非戦闘要員のリュエルを連れて脱するのは難しいだろう。あるいはナタリアがいれば、などと考えても彼女は既にここにはいない。


「大人しく姿を現せ! 貴様らの正体は掴んでいる!」


 嫌な音を立てて壁が崩壊、ライたちの姿が一瞬で露わになった。しかし、そのまま問答無用で撃たれることはなく、腹の出たふくよかな陸軍軍人の視線がライたちを舐め回す。


「ふむ、これが共和国特殊諜報部隊とやらか。ガキどもばかりではないか。しっかし、こやつらを捕らえて突き出せば階級も上がるとは」


 口ぶりから誰かがこの男に入れ知恵をしたらしい。金の力で階級を買ってここまでやって来た男を動かすのは簡単だったろう。故に、背後の人間は全く掴めない。

 下卑た笑い声を上げた男が腹の脂肪を揺らしながら、エルザに向かって手を伸ばす。ぴくりとアルバの指が動いた。ライとアルバは視線を交わす。たとえ切り抜けることはできなくとも、これ以上黙ってはいられなかった。


「──その必要はありません」


 男の頭に穴が穿たれる。呆然としたまま、男は糸の切れた操り人形のようにくず折れた。その後ろから仮面で顔を隠した共和国軍人の姿が現れる。


「ちゅ、中尉っ!?」


「て、敵襲! 後方に──」


 言い終わる前に同じ声の絶叫が響く。静かな夜は喧騒に包まれる。

 男を撃った仮面の軍人はライたちに向けて恭しく頭を下げた。


「……お前ら、なんで」


 アルバの微かな声に仮面の軍人は答えを返す。


「まだ、あなた方を失うわけには参りません。ここは我らに任せ、お逃げください」


 素早くライは帝国兵と交戦している仮面の軍人たちを確認する。僅か五人ほどであるにも関わらず、互角に帝国兵と渡り合う。実力はガンマに匹敵するか。


「──っ、ライ、逃げるぞ」

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