ep.030 夢追い人

 日が傾き始め、橙色が街を染め始める。ざわざわとした人々のさざめきが、そう遠くもない場所から流れてきて、二人の耳に入った。


「行ってみよう」


 ライは短く呟き、ナタリアは無言で付き従う。Z-13区画はもう目と鼻の先だった。


「──やめてください! 俺たちはもう十分あなた方の要望を受け入れてきたはずです!  傷つける必要なんてないでしょう!」


 年若い青年が倒れた老婆を背に庇い、声を上げている。帝国兵はその必死の嘆願を鼻で笑うと、銃剣を無造作に青年に向かって振り下ろそうと腕を振った。


 ナタリアの耳元で風が唸る。次の瞬間、銃剣の切っ尖が砕けた。そして、もう一度風が唸り、ライが弾いた小石が今度は銃の胴体に亀裂が入る。


「な、な、なんだ!?」


 五、六人で固まっていた帝国兵たちは、理解を軽く超える怪奇現象を前にして口をパクパクとさせることしかできない。


「……ライ、そんな派手なことをしては気づかれてしまいます。なぜ、そんなことを?」


「特に理由なんてない。ただ、見ていたくなかっただけ」


 ナタリアはぱちりと瞬きをする。


「理解できません」


 何かとんでもない悪霊でも呼び起こしてしまったのかと、帝国兵たちは顔を白を通り越して青白く脱色させる。もはや銃剣を全員取り落とすと、一目散に遁走する。それはもう泥棒顔負けの逃げ足だった。


「大丈夫ですか」


 先程帝国兵の銃剣を粉々にしたことを臆面にも出さず、ライは青年と老婆に声をかける。


「え、ええ。い、今の、なんだったんでしょう?」


 混乱が抜けきらない青年に、ライは真顔で嘯いた。


「鳥が石でも落としたんでしょう」


 ナタリアはライの口から出た言葉に驚きを堪え切れずに息をこぼす。ちなみに鳥は一羽も空を飛んでいなかったが、青年は合点がいったとばかりにがくがくと頷いていた。


「本当にありがとう、そこの方。それとお兄さん」


 老婆はゆっくりと立ち上がり、深々とお辞儀をして覚束ない足取りで杖をついて去っていく。青年は決まり悪そうに頭をかいた。


「助けようと、したんですけどね。いやあ、あはは、俺も助けられちゃった」


「ですが、あなたがいなければ鳥も間に合わなかったと思います」


 ライが隣で変な音の咳をした。


「俺は、かみゅる」


 噛んで名乗りに盛大に失敗した青年が耳まで真っ赤になる。


「……か、カイル・ウェッジウッドです」


 消え入りそうな声で青年はそう言った。


「俺、従軍するんです。あ、もちろん、共和国軍に。士官学校を卒業して、一回だけ故郷の街に戻って来ようって。一月ここに居て、それから、戦場に」


 ライは複雑な色を瞳に浮かべる。カイルはその表情には気づかず、夕闇に呑まれつつある街を感傷的に眺めていた。


「君は、きっと──」


 ナタリアにはすぐにライが言おうとしていることが分かってしまった。この優しい青年は軍人には向いていない。

 幸運にも最初の戦場を生き延びてしまったが最後、ひとり、人を殺す度に自分を傷つけていく。そうして屍を積み上げて、最後には屍のような顔をして泣き笑いをするのだ。もう、二度と元には戻らないばらばらの心を抱えて。


「……そう、かもしれません。俺は軍人には向いてない、と同期にも言われます。でも、俺が居て少しでも何かが変わったら……、いえ、何かを変えるために俺は行くんです。少しでも高く、上を目指して世界を変えてみせる」


 なんて、夢物語みたいですよね。そう言って冗談のように笑ってみせても、カイルの目の中にある強い光は翳りはしない。


「その覚悟があるのなら、君はきっと大丈夫だ」


 言いかけた言葉をライは変えて、微笑んだ。月も惹かれて落ちてきてしまいそうなほどの優しい笑み。カイルもしばらくぼうっとその表情に魅入った。


「もしかして、いえ、違っていたら申し訳ないんですが、あなた方は軍人さんですか?」


 ナタリアは僅かに目を見開く。はたと見て軍人と分かるような特徴はないはずなのに。


「なぜ、そう思ったのですか?」


「えっと、カン? なんかそんな気がしまして……、たぶん共和国軍人さんかなって」


 困ったように頰をかく姿には嘘はないように見えた。万が一、ということもあるという可能性まで考えるのなら、口を封じてしまうべきなのかもしれないが。そう思い、ライを見るとライはゆっくりと首を横に振った。


「よく分かったな。もしかしたら、君は案外大物になるのかもしれない。──覚えておくと良い、ライ・ミドラスという名前を」


 黄昏を過ぎ、紫がかり始めた空が見下ろしていた。ライとナタリアは踵を返す。青年にはきっと二人の姿は夕闇に溶けるように映ったことだろう。


「しょう──」


 叫びかける少年の口を黒髪の少女が慌てて塞ぐ。微笑ましくその様子を眺める背の高い女と、ひらひらとこちらに向かって手を振る青年。各々最終的に街の荒廃した部分にたどり着いていたのだった。

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