ep.029 港街散策

 青く晴れた空は透き通るようだった。ナタリアは頰を撫でる風に目を細め、赤茶色の髪に載せた帽子を押さえる。


「……やっぱり、ルカ、女装似合う」


 少年の姿に扮したリュエルが口を尖らせて呟いた。隣では可愛らしいワンピースに身を包んだ黒髪の少女──もとい、ルカが同じように口を尖らせる。


「なんでっすか!? なんでボク、女装なんすかっ!」


「大丈夫、いつも死んだ魚の目をしてるお前でも、美少女の姿になれば、新しい性癖をそそるというか、なんというか」


 金髪の青年の軽口に即座にルカが噛み付く。


「な、に、が、大丈夫なんすかぁっ!」


「大丈夫、似合ってる。可愛い女の子がいれば警戒も緩むだろうし、万が一交戦になれば、狙いが分かりやすくなるからな」


 焦茶の髪に藍色の瞳の青年はルカに励ましのつもりで声を掛けるが、逆に心を抉っていることには気がつかない。死んだ魚の目を、さらに虚ろにしてルカはぶつぶつと呟きを漏らす。どーせボクは女顔っすよ……、等々。後ろで腕を組むサングラスの女は苦笑いに唇を歪めた。


 共和国特殊諜報部隊が派遣されたのは、つい先々月に大規模戦闘が行われた戦場の近く、そして帝国に奪われた港町リンツェルンだ。リンツェルンの地下には何かがある、という漠然とした情報の真偽の確認とその何かを掴んでこいというのが、参謀長官からの命令だった。そういうわけで、一般市民に紛れて捜査をするため、軍服ではなくそれぞれ適当な服を着ている。リュエルに戦闘能力がないことを誤魔化すのもあって、ルカは女装、リュエルは男装をする羽目になっていた。


「でもなー、落ちる前に気づけよって思うんだよ。なあ、ナタリアちゃん」


「そうですね。ですが、その情報を手に入れたのが遅かったのでしょう。仕方がありません」


 無機質な声でナタリアは答え、ライを見た。


「わたしは、何をすれば良いですか、ライ?」


 藍色の瞳はナタリアを認めて微かに笑む。けれど、すぐに淡い感情の色は消え失せて表情が消えた。


「作戦は以前話した通りだ。ペアになって入口、または関連する情報を集めることになる。手がかりは皆無といっても良いくらいの状態だから、長丁場になることも考えておこう。それで良いか、リュエル?」


 銀縁の眼鏡を押し上げ、リュエルは頷く。ライに呼び出されて隊員全て集まった後、リュエルは個別に呼ばれて上層部から話を聞かれていたらしい。作戦のことも少しだけ聞いた、とリュエルは言っていたが、記憶力のずば抜けた彼女にしてはぼんやりとしか覚えていないようだった。


「はい、私の記憶にもないので、あまり役に立たないかもですが、頑張ります」


 ふん、と可愛らしく意気込んでリュエルは拳を握って見せた。少年姿も相まって愛らしい様子だ。


「じゃ、行こっか、エルザ」


「ええ、女の子漁りじゃなくて任務なんだから、きちっとしなさいよ」


「ギクッ」


 アルバ・エルザペアはいつも通りの会話を交わしながら、人の中に溶けていく。


「少佐、私たちも行ってきます! ほら、ルカ行くよー」


 まだぶつぶつ言っているルカを文字通り引きずって、リュエルもまた人の中に紛れて消える。そうして、残ったのはライとナタリアの二人だ。ライの顔を見上げて、ナタリアは先程から感じていた違和感の正体にやっと気づく。


「髪が……」


「ん?」


 ライは少しだけ頭を動かして目線を合わせた。ナタリアはなぜか綺麗な瞳を見ていられなくて、ふいと顔を逸らす。


「……ぎんいろの、髪でないのが落ち着かないだけです。あなたにはそちらの方が良いように思われます」


「そう言って貰えると嬉しいな。俺は、自分の色がどうしても好きになれなかったから」


「なぜですか」


 困ったような気配の沈黙が一時落ちる。ライは自分の髪に触れて呟いた。


「これは……、呪いみたいなものだから」


 諦めのような、それでいて何かに憤るような、けれどとても冷ややかな表情がライの端正な顔を彩る。思えばナタリアはこの青年のことを何一つ知らないのだった。

 ライの右手がナタリアの髪を一房すくう。あまりに自然な動作でナタリアは反応すらできなかった。


「君の髪も瞳も、俺は好きだよ。とても綺麗だ」


 嘘偽りのない純粋な言葉がナタリアの呼吸を刹那の間奪った。ナタリアは胸に手を当てる。心臓の鼓動が不自然に早くなっていた。


「……不快です」


 掠れた声で呟く。


 違う。不快なのはライの言葉ではない。むしろ、その言葉を、“心地良い”と思ってしまった自分が不快で、怖いのだ。

 だって、知らない。

 こんなにこころが揺れる言葉を、知らない。

 ……知りたくない。

 こころに名前を付けたら、ナタリアは壊れてしまうから。


「……すまない、忘れてくれ」


 本当に申し訳なさそうに目を伏せたライの姿からナタリアは目を逸らした。冷たい風がナタリアの髪を攫い、そしてライの表情は髪に隠れて完全に見えなくなった。


 無言のまま、二人は雑踏を歩く。帝国兵が半分、市民が半分。目に見える範囲では抑圧行為も帝国兵による略奪もなく、ぴりりとした空気と帝国兵の姿を除けばほとんど前と同じ様子だった。

 調査に来たとはいえ、何をどう探すのか。ナタリアの専門ではない任務なので、勝手が分からない。できることはライに続いて歩くことだけだった。


 視界の端で二度光が瞬いた。次いで、一度、三度。ナタリアは目を細め、光の元へ視線だけを走らせる。これといった特徴もない男が鏡の破片をいじっていた。足を止めず、ナタリアは男に向かって微かに顎を動かす。人混みに紛れ、さりげなくナタリアの手に男は紙片を押し付けて消えた。

 《顔無しノウフェイス》とガンマでは呼ばれる文字通り顔の無い男だ。そもそも男なのかさえも怪しく、千の顔を持つと言われる誰でもない誰か。

 ナタリアは紙片に素早く目を通し、服に忍ばせる。


 Z-13区画にて、ネズミ捕り。


 餌は地下の機密区画。ナタリアがすべきなのは罠への誘導と退路を断つこと。ならば、どう動くのが最適解か。


「どうした?」


 ふと足を止めたナタリアにライは声をかける。赤茶の髪を揺らし、ただ人形のような少女はやはり人形のように首を振った。


「何でもありません」

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