ep.027 いばらの王

 街灯の明かりが揺れていた。道を歩く二人の男の陰が伸びている。夜に沈んだ街は異様なほど静まり返り、二人を除いて出歩く人影はなかった。この沈黙の都市こそ、帝都ソフィリア。知恵の名を冠された帝国の首都である。


「──帝国は戦争に勝てるのか?」


「どうなんでしょうね。休戦を挟んだとはいえ既に開戦から七年。両国にとって、疲弊は大きなものになっています」


 七年前、この戦いは帝国が共和国の領土に侵入したことによって始まった。元から帝国と共和国の間には軋轢があり、一説によると百年戦争の一環として起きた戦であると述べられることもある。長きに渡る争いがなぜ始まったのか、その理由を知るものは既に死に絶えた。安寧を──楽園を手に入れるためだと今では謳われているが、何をもって楽園と為すのか、何をもって人を湯水のように消費する戦いを是とするのか、誰一人として答えを持たない。あるのはただ、狂った愛国心と駆逐されることへの恐怖、そして、圧倒的な力への絶望。


「軍は腐ってやがる。人間は豚かなんかとでも思ってんだろうな。俺たち一般市民は軍の穴埋めに引っ張り出されて、戦わされる。──さしずめ武器を与えた首輪付きの豚ってところか」


「豚……、そうかもしれませんね」


 低い声で罵詈雑言を吐く男に、背の高い男の方が静かに頷く。


「皇帝は沈黙し、皇妃は姿を現さない。戦争をやめる気もなさそうだが、かといって、税を上げるわけでもない」


 わけわからん、と憤りに任せて男は街灯を殴りつけた。ぐわん、金属の軋む鈍い音が夜の闇に微かに響いた。


「……ここで結構です」


 背の高い男が呟く。じゃきり、と金属が擦れる音が立ち止まった男の背後からした。先程まで軍を罵倒していた男が息を呑む。誰でも分かる。あの金属は銃の安全装置を外す音だ。


「どういうつもりだ、ウィリアム」


 ウィリアムと呼ばれた背の高い男は嗤った。


「あなたを逮捕します、リアム・ツィリヒ。治安維持法、第一条、反逆罪で」


「チッ、貴様、治安局か……!」


 リアムは歯軋りをし、街灯の明かりを背後にして立つウィリアムを睨みつけた。治安維持局、それは帝国軍の第二位組織であり、通称ベータと呼ばれる組織だ。アルファ、つまり第一位組織は帝国軍上層部なのだが、実際には同じ帝国軍内であれど、ガンマ含めすべて別勢力と考えるのが妥当なところである。


「抵抗するのは賢くはありませんよ。私の部下の銃口はあなたの心臓に向いている」


「……んで、俺を連行してブタ箱に突っ込んでどうするわけだ? 拷問か?」


 リアムは背中を流れる冷や汗を感じつつ、命知らずな言葉を吐く。ウィリアムの細い目がさらに侮蔑に細められた。


「ああ、あなた方が戴く“王”を教えてさえくれれば良いのです。──そうすれば、長く苦しまずにすみますよ?」


 こつこつと長身の男は靴を鳴らして、リアムを見下ろす位置に立つ。


「我らが帝国に反逆する愚か者が」


「がっ!?」


 リアムの身体が吹き飛んだ。蹴りを放った姿勢から、薄ら笑いを浮かべたウィリアムは無様に転がるリアムの背中を踏みつける。手錠を取り出した長身の男が口を開きかけた刹那、衝撃が彼の身体を襲った。


「何っ!?」


 消音器サプレッサーで音を殺した銃撃が、ウィリアムの背後に控える男たちにも放たれる。よろめいて、ウィリアムは肩を押さえた。銃を構えていた彼の部下たちは、一人は足を、一人は腹をそれぞれ撃ち抜かれる。まるでデタラメで不揃い、その上急所まで外れた銃撃だ。もちろん意識を奪うまでも至らないし、出血と痛みも酷くはない。


「リアム、すまなかった」


 少年の声が響く。まだ大人になり切っていない、けれど少年らしい感情をおよそ削ぎ落とした声だった。マントで顔を隠してはいたが、その手に握られた拳銃が街灯に照らされて鈍く光っている。その銃口からは微かに硝煙が上っていた。


「彼を助けに来たんですか? それとも自殺ですか? ああ、答えるまでもありませんね。仲間を守って敵刃に敗れる、素晴らしい心がけです。……それくらいの気持ちを国に向けて貰えれば嬉しいんですけどねぇ?」


 細い目が顔を見せない少年を睨め付け、蛇を思わせるぬらりとした悪意が少年を絡め取ろうとする。


「こんなヘタクソな銃の腕では、誰の役にも立ちませんよぉ?」


 ボソリ。少年が何かを口にした。


「ええ?」


 少年の冷めた翠色の双眸が男を目を真っ直ぐ見た。


「僕の専門は銃じゃない。当たりさえすればいいんだ」


 大人びた声で淡々と少年が続けた言葉にウィリアムは全てを身をもって悟ることになる。本当に、銃弾が身体を掠めるだけで事足りたのだ、と。


「──その銃弾に塗ったのは、毒だから」


 顔を歪め、男たちは喉を掻きむしる。空気中に放り出された魚のように身体を痙攣させ、白い泡を吐いて地面に転がった。蒼白な顔を引きつらせた彼らの息はもうとっくに絶えていた。


「相変わらず凄惨だな、“王様”。新しい毒でも試したのか?」


 少年は小さく頷く。リアムはその口元に暗い笑みを見て取った。

 自分たちは、まだぬくぬくと親元で、そして学生として生きているべき年齢の少年に全てを押し付けた。革命の旗頭、──王として。かつて、帝国軍に家族も居場所も奪われた少年を上に戴いた。たとえリアムたちと同じかそれ以上の憎悪を、怒りを身の内に宿してはいても、年端も行かぬ少年を後ろ暗い道に放擲するなど、決してただしいことではない。祖国に銃を向けるのは、紛うことのない罪。望んで荊棘いばらの冠を被ろうが、望まずに被ろうが、彼にそれを求めたのは自分たちだ。帝国への反意を持ちながらも、行動する気概も知恵もない、腑抜けた反逆者。聡い少年は、それをきっと見透かしていたのだろう。達観した眼差しで、冷徹に民に戦死を命じる王の座に迷うことなく手を伸ばしたのだから。


「──囮に使って悪かった。だが、わざわざあんなに挑発しなくてもいい。もっと命を大切に──」


「いや、大切にしてる。あのまま立ってたら、俺も撃たれてたかもしれないからな」


 むすっとした気配が生まれた。


「──的は大きかった。流石に僕でも同士討ちはしない、……はずだ」


 年相応の姿が自信なさげな呟きの中に見える。それゆえ余計に、彼に背負わせた物の重さを自覚してしまうのだ。


「エヴァンの兄貴は、銃の名手だったんだっけか」


 ぽっと言ってしまってから、後悔した。少年にもう既に居ないものを思い出させてしまった。


「ああ。兄さんは、どんな的であっても外さない。ここに──」


 ──居てくれれば、どんなに良かったことか。


 エヴァンが最後まで言い切りはしなくとも、続く言葉の幻が聞こえてしまう。月のない夜に、行く当てのない宙ぶらりんの言葉の残響が溶けた。街は死んだように沈黙を続ける。望みなど口にしても叶わない、と静寂はせせら笑う。


 ただ、戦争のない世界が欲しい。


 人に銃を向けなくてもいい世界が欲しい。


 ただ、ただ、優しい世界が欲しかった。


 無力な者に、無力なままでいいと言える世界が。


 戦う意味を失くし、引き下がることのできなくなった戦争を終わらせる。その為ならば、この命は惜しくない。そして、この年若き王ならば、自分の死を決して無駄にはしないから。


 横を見ると、赤髪の少年が翠色の瞳を微かに細めた。

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