no.XXX 最終報告

 ◼️歴1986年 11月5日

 本日より、ガンマ潜入任務に着任。無事に内部へ入り込むことに成功した。まず、ここでガンマについての基本事項を記す。


 帝国軍の組織にして存在しない第三の組織、暗殺の“ガンマ”。

 構成員の出自は不明な者が多く、抹消されているか、秘匿されている為、アクセス不可能。しかし、彼らはカルギス陸戦条約で最高刑に値する犯罪者であることは確かだろう。そもそも、犯罪を犯し、軍事裁判に本来ならばかけられている者、帝国にとっての逆賊であれど戦闘能力を買われた者、それらを集めて構成した部隊のようだ。故に、個々人の練度は恐るべき高さだが、集団行動は不得手と言える。とはいえ、ガンマの任務が暗殺である以上、その情報は無価値だ。


 本作戦の目標、《死神》とはまだ接触できていない。そして、ガンマを統べるという《女王レジーナ》は小官の前に姿を現していない。警戒されているのか、それとも元々奥から出て来ないのか。現時点で判断することは不可能だと結論づける。



 ◼️歴1986年 11月11日

 《死神》の姿を確認した。報告通り銀髪藍眼の少年兵の姿をしていた。本当にこれが《死神》なのか。まだ10を過ぎたばかりの少年があのような性能を示し、我が軍の兵を殺戮したのか。──信じられない。

 しかし、あの姿には既視感があるような……いや、分からない。



 ◼️歴1987年 2月4日

 《死神》の性能テストを見る幸運を得た。間違いなくあの少年兵が《死神》だ。ガンマの構成員を赤子の手を捻るようにあしらい、酷薄な目で銃を向ける姿には戦慄を覚える。

 以下に入手した《死神》についてのデータをまとめておく。

 《死神》、帝国側での呼称は“暗殺人形”。暗殺に特化した兵器だ。およそ人間らしい感情を持たず、通常の人間を遥かに超えた身体能力及び知脳を持つ。ガンマにおいては常人離れした者がほとんどを占めるが、“暗殺人形”は別格だ。

 人間であるはずなのに、人間であることをやめている、その恐ろしさを身をもって理解した。あれは、命を奪うことを息を吸って吐くことと同じ事のように認識し、《女王》の命令通りに動く完璧な機械。戦場では間違いなく最凶のカードだ。

 現在、新設が計画されている特務部隊もあの《死神》にはおそらく敵わないだろう。



 ◼️歴1987年 5月21日

 “暗殺人形”、ライ・ミドラスとの接触に成功。言葉を交わしたが、人間味をまるで感じなかった。人形、という名が相応しい。



 ◼️歴1987年 8月10日

 《死神》は変わらず無表情のまま、《女王》の命令通りに動き続ける。そのままでは暗殺は不可能だ。実力差があり過ぎる。アプローチを変え、人間性を引き出すことを当面の目的とし、隙を作ることを目指す。



 ◼️歴1987年 10月26日

 方針転換の結果は芳しくない。《死神》の中には初めから何もなかった。心という概念が抜け落ちている。何故、いや、どのように帝国は彼を育てたのか。

 しかし、完全に効果がなかったとは思いがたい。《死神》は小官を認識している。とにかく、まずは距離を縮めることを優先させる。停戦条約が無効になるまでまだ時間はある。焦る必要は無いと断言しておく。



 ◼️歴1987年 12月25日

 潜入任務に着任して一年が過ぎ、初めて《女王》に目通りが叶った。《女王》──ガンマでは“アリア”と呼ばれている──の執務室に辿り着くまでに、危うく命を落とす所だった。万が一、ノルデンリヒトを攻撃することがあれば、決して最上階に手を出してはならない。出せば、いたずらに兵を失うことになるだろう。

 《女王》は漆黒のベールで顔を隠していた。その為、我々が最優先に据えている人物かどうかの確証が持てない。しかし、名称と存在感を踏まえれば、間違いは無いはずだ。



 ◼️歴1988年 2月19日

 《死神》との接触は続けている。賢い子だ。自立した思考を持たず、唯々諾々と任務をこなしてはいるが。



 ※未送信

 ◼️歴1988年 4月5日

 ライに話し方を教えてみた。命令は素直に受け取るから、不可解な顔をしながらも敬語を取り払って話してくれた。素直に嬉しい。

 ライはまだ、何も知らない。無垢で綺麗な、だがそれ故に凄絶なまでの残酷さを持ち合わせている。

 ライは、人を殺めることの罪を知らない。間諜として多くを裏切り、多くの命を奪ってきた俺に言える義理はない。それでも、ライには自分で選ぶ力を与えたい。たとえ、それが、罪の自覚になるのだとしても。



 ◼️歴1988年 5月30日

 交流は順調。帝国側の情勢は安定している。先日、《死神》と同じほどの年齢の少年を目にした。深紅の髪と翠色の瞳の少年だ。彼の名はエルシオ・リーゼンバーグ。リーゼンバーグという名の中将が帝国軍に約五年前にいたような気がする。確証が持てないのは、リーゼンバーグという名自体、エルシオを除けば抹消されていると考えられるからだ。踏み入るには相応の覚悟が必要な案件と判断する。優先事項は別であるため、深追いはしないことにする。

 エルシオ本人については、《死神》にやたらと突っかかっているが、優れた狙撃手らしい。



 ※未送信

 ◼️歴1988年 6月6日

 海の話をしたら、初めてライが関心を示した。広い紺青の海原と遥か先の水平線に溶ける光。そうか、ライは“綺麗”なものを何一つ知らないのだ。光も届かない深い夜の中で生きている彼には、星明かりさえも“美しい”と思わないのだ。──そう思うと、悔しくなる。こんな狂った世界を、いつまで経っても終わらせることのできない自分の無力さが歯痒い。



 ※未送信

 ◼️歴1988年 9月20日

 頭を撫でると、ライは微かに藍色の瞳を細める。本人は気づいていない。しかし確かにライは俺に僅かなりとも心を開いてくれている。

 こんな感情を抱くべきではない。

 分かっている。

 俺は、ライを殺すためにここに居る。

 しかし、ライが笑う顔を見てみたい、そう願ってしまう。


 戦争を終わらせるために、彼を殺すのは本当に正しいのだろうか。



 ──本部より通達

 ◼️歴1989年 3月4日

 《死神》の暗殺を決行せよ。

 これ以上は待てない。


 re:◼️歴1989年 3月4日

 まだ確実な手が無い。《死神》を始末する期をしばし待つ。



 ──本部より通達

 ◼️歴1989年 7月16日

 最終通告だ。《死神》を処分し、速やかに帰還せよ。貴官には、新設部隊である特務部隊の指揮官として特務大佐の席を用意した。我々とて、貴官のような有能な士官を失いたくはない。

 以上、健闘を祈る。



 ※未送信

 ◼️歴1989年 7月17日

 時間切れか。ライを、俺は一体殺せるのだろうか。ライは俺よりもずっと強い。……いや、それ以前に、どうやら俺はライを殺したくないと思っているらしい。暗殺者としてあり得ない理由だ。

 特務部隊、大佐、そんなものは要らない。ただ、ライの笑った姿が見たい、それだけだ。俺はたぶん、もうずっと前から壊れている。

 ユーリもそう思うだろう?

 笑うことも成長することもない死んだ息子と“暗殺人形”を重ねるなんて──自分でも分かる──バカげている。

 父さん、と薄汚い暗殺者に笑いかけてくれる人間はもういない。ユーリは俺が殺したようなものなのに。



 ※未送信

 ◼️歴1989年 7月23日

 ──割れた。

 なぜだ。ミスは犯していない、そのはずだ。しかし、アリアは確かに俺を見て微笑んだ。それはまるで地獄で嗤う天使のように、アリアはベールの下で唇を歪め、“裏切り者”と口を動かした。

 イカれた女王が動かす駒は分かりきっている。


 ──ライだ。



 ※未送信

 ◼️歴1989年 7月30日

 今日、ライはきっと俺を殺しにくる。不思議と恐怖は感じない。初めから、俺はたぶん死にたかったのだと思う。死んでも、ユーリへの贖罪になるとは思わない。だが、暗殺者として生きるにはもう俺は疲れ果ててしまった。

 罪業は消えない。死ぬことは償いではない。しかし、俺が死ぬことで残る何かがあるのなら。


 もしも、ライが会ったばかりの頃の“暗殺人形”のままであったなら、大人しくこの首を差し出そう。

 だが、もしもライが少しでも“暗殺人形”では無い何かになれていたとしたら、その時は──。



 ◼️歴1989年 7月30日

 re: ◼️歴1989年 7月16日

 白銀翼徽章を返上する。

 これは相応しい誰かに授けて欲しい。


 筆、共和国軍特殊諜報部隊所属

 レグルス・ベルガ少佐



 ***


「俺は……、殺したく、ない」


 苦しそうに眉根を寄せて、ライは肺から言葉を絞り出す。


 ああ、そんな顔ができるようになったのか。


 ここにいるのはもはや暗殺人形などではない。そう気づいて、死ぬことが定められた身体は温かな喜びに満たされる。最後に見る顔が笑顔でなかったのは心残りではあるけれど、何も為せないと思っていた自分にも残せるものがあると分かったから。

 だから、きっと。

 薄汚くても、醜くても、生きてきたことは間違いではないのだろう。


 いつか、誰もが優しく在れるきれいな世界ができたら。それが決して届かぬ理想郷だとは信じたくない。


「最後に、ライ、笑うことを覚えろ。それはきっとお前の力になる」


 笑って、幕を引こう。

 終わりがあれば、始まりもある。ここでレグルスは終わる。しかし、ライはここから始まるのだ。


 ライ、お前ならなんだってやれる。

 自分で決めるんだ。これから先を。


 遠い遠い果ての果て。頭の隣で響いたはずの銃声は聞こえなかった。朽ちる意識のその先で、幼い少年が笑ったような、そんな気がした。

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