ep.023 壊れた人形
確か、今日は任務は無くて、レグルスはガンマ本部にいるはずだ。だから、ライは目的も持たずに歩き、いつものようにレグルスが姿を現すのを待った。しかし、不思議なことに姿を見せてくれない。
ライはピタリと足を止めて、踵を返した。爪先を向けたのは、レグルスに割り当てられた部屋だ。ガンマは階級の高い人間がほとんどの為、自分だけの部屋が割り当てられている。
「ライだ。入ってもいいか?」
敬語でない話し方を教えてくれたのはレグルスだ。他の人には使わない。俺と話す時だけで良いから使ってくれ、そう言われた約束を暗殺人形の少年は律儀に守っていた。
「ああ、もちろん」
返事の後に茶色の扉が開く。ライは手の中で拳銃のロックを解除した。
「少し、話をしたかったんだ。入れ」
そうして顔を見せたレグルスはやつれた顔をしていた。ライは銃を無表情で、レグルスの心臓に向ける。だが、その動作が完了するよりも先に、レグルスはライの手から黒い鉄塊を奪っていた。体術も、銃やナイフの実力も、既にライの方が勝っている。しかし、たったひとつ、この手癖だけは敵わないし、防ぐこともできない。
「少し、話をしよう、ライ」
レグルスには、ライが自分を殺しにきたことなど分かっていたはずだった。精神的な疲労か、目の下が微かに黒い。焦げ茶の髪は相変わらずに無造作に束ねられていた。
いつものように、二人の時間が生まれる。
レグルスがガンマに来たのは3年前のことだ。つまり、ライがレグルスと過ごした時間も3年。もう、そんな奇妙な関係も終わる。
レグルスは簡素な造りの机に腰を掛けて、ライの銃を手の中で
「そろそろバレる頃だろうとは思ったさ。今更いう必要は無いと思うが、俺は共和国陸軍所属の軍人だ。俺の任務はガンマに潜入し、情報を流す、つまり
微動だにせず、ライはレグルスを見つめ続け、レグルスは淡々と話を続ける。
「……俺には、息子がいたんだ。
心細かったんだろうな、と呟き声が落ちた。
「だが、戦場に子どもが来れば、どうなるか、分かるよな。帝国の黒服を着た連中が、幼い子どもを嗤いながら、何度も何度も刺すのを俺は、ただ黙って見ていることしか出来なかった。……間に合わなかったんだ、俺は。だから、俺は何でもする、と躍起になった。そうして、帝国の密偵なんかになったのさ」
何かとても苦いものが、言葉を通してライの中に流れ込んで来るようだった。ほんの一瞬、しんとした部屋は寒かった。
「それが、俺に何の関係があるんだ?」
暗殺人形は首を傾げて問いかける。空っぽの藍色の瞳には、人の哀しみなんて分からない。
「そうだな。俺はライ、お前を殺すためにお前に近づいた。暗殺人形は共和国にとって、大きな脅威だ」
あり得ることだ、と簡単にライは片付ける。共和国が暗殺人形を壊したいと思うのは当然のことで、ライにはレグルスが顔を歪ませる理由が分からなかった。
「……やっぱり、俺にはできない。お前を見ていると、死んだあいつが蘇る。死んだ人間とお前を重ねている、そう言われればそうなのかもしれない。それでも、俺はお前が大事だったんだ」
感情を押し殺していても、その言葉は痛かった。
「俺が、大事……? 意味が、分からない。俺はただの人形だ。人間ですらない。心のないものを壊すことをなぜ躊躇う?」
暗殺人形は、人間ではない。そう思い込まされて造られる。ライも、それを疑ったことはなかった。
「人間だ。お前にも心がある。俺は、そう思ってる」
レグルスは断言した。今までで一番力強い声で。その瞳はどんなに疲れ果てた顔をしていても、強い光を放っていた。
「ひとつ、質問をしよう」
ライの目を褐色の瞳が覗き込む。
「お前は俺を殺したいか?」
「それは愚問だ。俺は裏切り者を殺せと命じられた。俺は命令を忠実に遂行するのみ。思考など必要ない」
即答で切り捨てる。しかし、レグルスはもう一度同じ問いを繰り返した。
「それなら、どうしてそんな顔をするんだ?」
ライは自分の顔に手を当てる。分からない、触れるだけでは。レグルスの瞳に映った自分は、眉を寄せて思い詰めたような顔をしていた。
違う、違う、違う。
暗殺人形には心なんてない。目の錯覚に過ぎない、と思い込もうとする行為自体も人形のものではない。
これではまるで、人間みたいではないか。
顔に手を当てたまま混乱するライに、レグルスは追い討ちをかけるように言葉を重ねた。
「……考えろ。したいか、したくないか、自分で決めろ。答えを出せ」
これもまた新しい命令だ。ライは考えようと努力する。何の不調も起きていないはずが、なぜか、胸の辺りが痛い。
暗殺人形にはあってはならないものだ。不具合だ。何かが壊れてしまう。
「俺は……」
やがてライが声を発した。掠れた声は虚空に溶ける。この問いの答えを出せば、アリアからの命令に矛盾する。破綻だ。歯車は狂ったままで、それでもレグルスを──。
「殺したく、ない」
レグルスはくしゃっと顔の真ん中にシワを寄せて笑った。とても、嬉しそうに。
「──それで良い。じゃあ、俺からお前に言葉を贈ろう」
穏やかな笑みを浮かべたレグルスは、ライにふたつ、言葉を残した。
「ここを出て心を探せ。世界は広いんだ。帝国領だけじゃない、共和国領も。戦争とか、クソみたいなことばっかでも、世界は綺麗なんだからな」
レグルスの手の中の、ライの銃が動く。思わず身構えたライだったが、銃口がライへ向くことはなく、レグルスは自身の頭に銃口を据えた。
「最後に、ライ、笑うことを覚えろ。それはきっとお前の力になる」
引き金に指が掛かる。
「──なぜ」
ライの口からこぼれた疑問。言いたいことは他にもあるはずなのに、出てきた言葉はたったそれだけ。レグルスは穏やかな、温かい笑顔を見せた。
「ばーか。そんな顔してるお前に、殺させるわけにはいかないだろ」
じゃあな、と軽い別れの言葉が紡がれる。ライは口を開いた。パクパクと動かして、しかし、何の言葉も出てこない。
パァン、と火薬が弾ける音が聞こえた。水底で外の音を聞くような遠い遠い音だった。
そして後に残ったのは、動かない死体と暗殺人形。死体のこめかみから流れ出す僅かな血と、手から転げ落ちた拳銃。
手足が目に見えない水に浸かったようで、動かなかった。冷え切って感覚だって遠かった。
もう、この人は動かない。
数えきれないほど多くの人の命を奪ってきた。だが、こんな心の動きは知らない。理解したくない。ライは胸を押さえて、うずくまる。
痛くて痛くて、胸の中が空っぽになっていく。
これを何と、人は呼ぶのだろう。
──悲しい。
ライはそう思った。心を持つのは、人間だけだ。それなら、きっと。
人間になりかけの暗殺人形は、壊れていた。
ライが持っている武器はあの銃だけではなかった。もう一丁銃があり、ナイフや針、人を殺すには十分すぎる武器を持って、いつでも殺すことはできた。動くことができなかったのは、もう壊れていたからなのだ。
──人間と過ごした人形は、何を願うのだろう。
答えは簡単だ。
ニンゲンになりたい、と願って、ニンゲンの真似事を始めるのだ。
真似事はいつか、真実になって、心を見つけた銀髪の暗殺人形は人間になった。そして、もう人形ではなくなった少年は笑うことを覚えた。藍色の瞳は空っぽではなくて、夜の空に星を抱くのだ。
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