ep.022 ひとつめの暗殺人形と分からないこと

 ──人間と過ごした人形は、何を願うのだろうか。




 一番最初の暗殺人形は、星くずのような銀色の髪と夜の空のような藍色の瞳をしていた。


 空っぽの人形の少年には立派な名前があったけれど、秘されたそれはただの音の羅列でしかなくて何の意味も成さなかった。


 心の無い、人を殺すためだけの人形を作ろうとしたのは誰だろう。知られることのないことだ。しかし、その発想は終わらない戦争を身を投じる帝国に大きな力を与えたのだった。


 暗殺を主たる任務としながら、実力は一騎当千の覇者。その上、感情という余計なものを持たない絶対の兵器だ。その兵器の管理を任されたのが、存在しないとされる軍部の第三位組織、ガンマだった。


「ライ、今日はこの人を殺してくださいね」


 黒いベールの向こうで紅い唇が弧を描く。今日の予定を口にするような軽い語調で、黒いロングドレスの女はそう言った。銀髪の少年は差し出された紙束に手を伸ばす。


「了解しました」


 散逸を防ぐために紐でくくられた書類を受け取るのと同時に、ライは無機質な返事をした。凛とした声に一切の感情は含まれない。藍の瞳は揺らぎもしない。


 踵を返し、静謐せいひつなアリアの執務室からライは音もなく出て行く。冷たい空気が遠ざかった。硬い廊下を軍靴は静かに歩みを刻む。光を取り入れるためだけに作られた簡易的な銀の枠の窓から入る光は、人形のように美しい少年の銀髪を白く見せていた。


「よっと……、なになに? 今日の標的ターゲットは帝国のお貴族様か」


 しばらく歩いて、突然ライの手から紙束が消える。暗殺人形の不意を突くのはとんでもなく難しいはずなのに、いとも容易く男はライの手から紙束を抜き取っていた。


「返してください。これは俺の任務です。中尉には関係はありません。その行動は無意味です」


 空っぽの藍色の瞳を、焦げ茶の髪を無造作に束ねた男に向ける。男はチラリと褐色の瞳を動かして端正な顔の少年を見下ろした。


「そんなんで、人生楽しいのかぁー?」


 気の抜けた調子で、男はぼりぼり頭をかく。黒の軍服はボタンはきちんと止まっているが、一着を着回しているのでシワがよったり伸びたりしていて、とても真面目な軍人には見えない。


 その予測は大変正しい。


 レグルス・ベルガ中尉は神出鬼没で、盗み食いやら報告書不提出でミラ中佐に絶対零度の視線を注がれている常習犯だ。そこまで好き勝手にやっていても、アリアがとがめない、その事実が最も“ガンマ”らしくないレグルスの実力を証明していた。そうしていつもフラフラしているレグルスは、なぜかライの前によく姿を現すのだった。


「レグルス中尉。俺には心は存在しません。ですから、あなたの問いに答える能力を有していないのです」


 勝手にライに渡された紙束を持ちながら、レグルスは歩き出してしまう。ライは足早に大股で歩くレグルスの後を追った。


「暗殺人形に心はない。……ま、俺は信じてないけどなー。ライ、お前は暗殺人形やってて何か感じないのか?」


「何を感じるのですか? 分かりません」


 んじゃあー、とレグルスは手のひらをライの頭に置いてポンポンと叩く。びくり、とライは身体を強張らせた。


「どうだ?」


 ニヤッと笑う。ライは相変わらずのガラスのような目をして、理解不能とばかりに瞬きをした。


「……分かりません」


 ふーん、そうか、と適当なことをレグルスは言って、ポイッと資料を放った。目の前に降ってきたそれを右手で掴み取る。


「頑張りな、任務」


 軽くレグルスはライの肩を叩いて、殺風景な廊下の向こうに消えて行った。途端に白くて真っ直ぐな廊下の温度が下がったような気がする。いつもと変わりのない、人影のない場所なのに。


 暗殺人形であるライに来る命令は、常に高度なものだ。多くの時間をガンマの外で過ごすが、帰って来ればいつもレグルスが側にいた。訳の分からないくらいに、いつも、しつこく。


 だが、どんな日々にも終わりは来る。

 ライとレグルスの場合、それが決定的なものだった、というだけ。


「ライ、今回の任務は今までのものとは違います」


 アリアは呼び出したライが部屋に入ったや否や、開口一番にそう言った。がらんどうの藍色の瞳はベールの下で口が動くのをただ見つめる。


「ガンマの掟を知っていますね? ひとつ、任務の完璧な遂行。ふたつ、我々の存在を徹底的に隠すこと。そして、みっつ。──裏切り者には死を」


「はい。理解しています」


 アリアの唇は艶めかしく動く。微かな恍惚こうこつを滲ませた声が響いた。


「裏切り者を始末なさい、ライ・ミドラス。あなたが殺すのは、レグルス・ベルガ。彼は共和国の密偵です」


「レグルス、中尉、ですか」


 ライは自分の思考が揺らぐのを感じた。迷い、戸惑い、と人が名前を付ける心の動き。ライはそれをゆっくりと息を吐きながら、殺す。暗殺人形に心はない。命を奪うことに躊躇いを覚えてはならない。


「ええ、ええ。彼はとても素晴らしかったですよ。この私も気がつくまで少し時間を要しました。共和国にも素敵な暗殺者がいるのですね」


 いつに無く饒舌じょうぜつに話しながら、アリアは執務机にひじを乗せて頰を押さえる。しばらく、顔を隠した黒服の美しい女は静かにわらい続けた。


「さあ、お行きなさい。あなたは上手に裏切り者を殺せますか?」


 銀髪で藍色の目をした綺麗な暗殺人形は、人間味のない動きで頷いた。

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