ep.018 戦火に舞う天使

「何? 待ち伏せだと?」


 本部に緊急の通信が入った。すぐさま情報は参謀本部に伝えられ、カイン・マクシミリアン大将の耳に入る。


「は、我が軍の数倍はいると思われます。このまま作戦を決行すれば、敗走は免れないかと、とのことです」


 伝令として送られた兵士は敬礼をしたまま、前線からの無線をそのまま再現する。その言葉に飴色のテーブルを囲む参謀たちの顔は渋くなった。


「共和国に筒抜けだったか。ふむ、特殊諜報部隊が動いているという情報があったから当然と言えば、当然か」


「感心している場合ではないだろう!? 物資と兵力を失うのは可能な限り避けるべきだ」


「ならば貴様は我々が撤退すべき、と?」


「ぐ……」


 立ち上がって物資と兵力の懸念を主張していた他の陸軍大佐は黙り込む。ドカリと腰を乱暴に椅子に戻した。


「ならば、《死天使ヘルエンジェル》を投入すれば良い」


 マクシミリアンは灰色の髪をかき揚げて、足を組み直す。その声で空気に緊張の糸が張り詰めた。


「……あれを使うのか」


「だが、暗殺人形たった一つでこの戦況が打破できるとは思えん」


「その上、小娘だそうじゃないか」


 バン、とテーブルを手が叩く。ざわつき始めた参謀たちは驚きをそれぞれの目に浮かべて、音を立てた主を見た。


「ガンマの暗殺人形、その名を冠しているだけであれはどれだけでも兵をほふる兵器と同じだ。貴方がたも知っているだろう、《死神グリムリーパー》の能力を」


「た、確かにあの絶望的な戦線は暗殺人形が戦況を変えた。しかし、今回もそれが可能であると確証はない!」


「では、あの暗殺人形は《死神》と同等かそれ以上の性能だと言えばどうだろう?」


 ニヤリと唇をマクシミリアンは釣り上げる。


「……では、我々はこの戦場で暗殺人形を失わずに戦況を変えられる、と?」


「ああ、その上、奴らには裏切り者の《死神》がいる。《死天使》を投入すれば、おそらく奴が出てくる筈だ。仮に暗殺人形を失うとすれば、《死神》が現れた時だろうな」


 自信に満ちた言葉に誰もが息を呑む。あの《死神》と互角、その情報はかなりの威力を持っていた。


「つ、つまり、《死天使》を使えば、戦況を変えられるだけでなく、同時に《死神》まで釣れる、ということか」


「その通りだ」



 ***



「──作戦名は、《地獄の天使ヘルエンジェル》。理解はできたか!」


 ナタリアから少し離れた位置の隊長は通る声で告げる。それは圧倒的に不利な状況を覆す魔法の作戦。暗殺人形を敵地に送り、敵の指揮系統を破壊する、文字通り頭狩りヘッドハントだ。


 停戦が切れるのは、あと数分後。ナタリアはふっと息を吐いた。敵陣に単身で切り込むことには慣れている。行けと命令されるのなら、飛び出すだけだ。


 緩やかに時間は流れる。刻々と高まる戦の前の緊張感、誰かがごくりと唾を呑み込む音がした。青い花だけが変わらずに揺れていた。


「停戦無効まで、あと30秒」


 カウントダウンが始まる。ナタリアは手の中の銃を握り、暴発防止の安全装置を解除した。恐ろしいほどに冷静な思考で、ナタリアは突撃の算段をつける。琥珀色のガラスのような瞳が青い花を写す。


「突撃っ!」


 怒鳴り声が沈黙を破った。ナタリアは同時に走り出す。赤茶色の髪がなびく。髪を纏める黒いリボンが一拍遅れて動いた。


 青い花の海に飛び込む。千切れた花弁が宙を舞って、風に解ける。体勢を可能な限り低くし、ジグザグと駆けて共和国の陣地に接近する。


 誰も彼女を止められない。身に付けた装備の重さにも関わらず、ナタリアの動きは速い。共和国兵が攻撃を開始した帝国軍に気を取られたわずかな時間で、暗殺人形は敵の喉元に喰らいつく。


 跳ぶ。紺に白い差し色の軍服の中に、漆黒の軍服を纏う少女は飛び込んだ。


 赤茶色の髪、冷たい空っぽの琥珀の瞳。端正な顔は天使と見紛うほどの美しさ。


「……お、女?」


 時間が止まるかのような錯覚に共和国兵は陥った。そして、《死天使》はその名の通り死を呼んだ。


 銃声が響く。火を噴いた銃は的確に敵兵の脳天を撃ち抜いた。仲間が静かに後ろに向かって倒れる様に、兵士たちはやっと目の前の少女が帝国兵であることを認識する。


「て、敵──」


 声を上げかけた男の頭をナタリアは無表情で吹き飛ばした。硝煙の煙が消えるよりも先にくるりと振り返って、銃の尻で他の兵士を殴り殺す。


 森から現れた帝国軍に攻撃を始めたとはいえ、ここにはまだかなりの共和国兵が固まっている。ゆえに簡単に彼らは銃を撃てない。戦場で舞う天使を撃つよりも、同士討ちフレンドリーファイアの可能性の方がよっぽど高い。ナタリアはそれをよく知っている。だから、戦場では最初に敵陣に強襲をかけるのだ。


 指示を出そうとする兵士を優先に、撃って撃って撃ち続ける。もう既に共和国軍に混乱は始まっていた。抵抗も許さない、圧倒的な戦闘性能を暗殺人形は見せつける。


 誰かが撃った銃弾がナタリアの頰を掠めた。パッと赤い血が飛ぶ。それでもナタリアの動きは止まらない。


 かちりと弾切れの音がした。ナタリアは軍靴を振り上げ、兵士を蹴り上げる。倒れる兵士を壁に、滑らかに弾倉を装填。再び攻撃を開始する。


 青い花は踏みにじられ、潰され、赤に染まる。風は血の臭いと硝煙の臭いを運ぶ。空気に満ちているのは色濃い死の気配だ。怒号が飛び交う中、ナタリアだけは別の世界にいるかのように綺麗なまま、兵士を殺し続ける。


 ──ぜんぶ違う。


 殺して、殺して、殺し尽くしても、ナタリアの空っぽの心は埋まらない。ナタリアが本当に求めているのは、ライの命だけだった。


 また一回、引き金を引く。兵士の頭に紅い花が咲いた。ぐらりと揺れた身体は他の死体に積み重なって沈黙する。


 彼女の周りには積み上がる死体の山。それは共和国軍を瓦解させ、恐怖に陥し入れるには十分な光景だった。美しい少女はたった一人で戦場を支配する。


「……へ、ヘルエンジェル」


 誰かが呟いた、小さな呟き。しかし、その言葉は共和国兵に伝播でんぱする。


 地獄に舞い降り、死を告げる天使。


 名は体を表すというが、誰が名付けたともしれない二つ名は、確かにナタリアの為にあった。

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