ep.014 裏切りという大罪

 帝国の黒の軍服に身を包んだナタリアは、音も無く廊下を歩く。向かうのは、アリアの執務室だ。


 いつも通り、軽いステップで罠を躱して、机の前に跪く。赤茶の髪が揺れ、白い頬に掛かった。


「報告です。共和国の《死神》と接触しました。ライ、と名乗る元ガンマの青年でした」


 黒いベールで顔を隠した女は艶やかな声をそこで初めて発した。


「立って楽にして良いですよ、ナタリア」


「はい」


 短いナタリアの返答の後、アリアはベールの下の瞳を細めて唇に笑みを浮かべる。


「思っていたよりも早い邂逅かいこうでしたね。どうでしたか、彼は?」


 ナタリアはその口調から、アリアが《死神》の正体を知っていたという確信を得た。もちろん、問い質すという発想はナタリアには浮かばない。琥珀色の瞳を黒いベールの先に向けて、答える。


「能力的には、わたしと同等、またはそれ以上の性能を保持しています。今回は不覚を取り、仕留めることこそ叶いませんでしたが、次は失敗しません」


「私が尋ねているのはそういうものではないのだけれど……、まあ良いでしょう。珍しく貴女が私に頭を下げたのは、そういう理由だったのですね」


 冷たい微笑み。どんな屈強な男も逃げ出さんばかりの凍てつく声音にもナタリアは動じない。そんな感情は存在しない。


「はい」


「初めてですね。貴女が任務を失敗するなんて……。別に責めているわけではないのです。元々、あれは少し荷が重い」


 衣擦れの音が静寂に満ちた部屋に響く。黒い喪服のようなロングドレスを見に纏った美しい女は、いつの間にかナタリアの目の前に立っていた。


「ライはガンマの暗殺人形でした。貴女の先輩、そういう認識で良いでしょう。とても、優秀な暗殺者でしたよ。貴女が不覚を取っても生きて帰れたということは、あちらには貴女を殺す意思が無いのですね」


 からの瞳でナタリアは色の分からないアリアの瞳を見つめる。その瞳は全てを見透かしているようだ。呼吸が少しだけ困難に感じた。


「ですが、彼は裏切りという大罪を犯した。裏切りは私たちの手で裁かねばなりません」


「理解しています」


「ええ、命令を変えるべきですね。ナタリア、裏切り者を始末なさい。一切の慈悲は必要ありません」


「はい。必ず、この手で《死神》を殺します」


 ナタリアは敬礼し、命令に恭順する姿勢を見せる。アリアの口元が満足げに綻んだ。白い陶磁器のような手がナタリアの頰を撫ぜる。冷たい肌の感触にナタリアは瞬きをした。


「……次から報告は要りません。私が欲しいのは、《死神》を殺したという報告のみです」


「わかりました、アリア様」


 ナタリアは踵を返す。この場所に長居する理由はない。


 軍靴を動かし、向かう先は機密情報を保管する部屋だ。どこか暗く、ひやりとした廊下に人はいない。どうやら軍議が開かれているようだった。


 ナタリアにはもちろん参加権はない。ナタリアに与えられた階級は准尉。軍施設を彷徨うろついてもおかしくない程度の階級だ。


 さらにガンマは存在しない組織であるため、ナタリアが戦線に投入されることもある。一人で多くの敵兵を屠る駒として。


 しかし、彼女の今までの戦果を考えれば、勲章ものであり、准尉は明らかに低すぎる。それはナタリアが目立つの防ぐためでもあるが、暗殺人形ごときにくれてやる階級も勲章もない、そういう意思の反映された結果だった。


 この軍議は停戦が終わることに関するものだろうか、次の攻撃地点の決定でもしているのだろうか、などとナタリアは推測してみる。いずれにせよ、次の戦線には投入される可能性は低いはずだ。発言権のあるアリアがガンマの総帥である以上、上層部も簡単にナタリアを使うことはできないだろう。


 そうしてしばらく歩く内に目的地に辿り着いた。借りてきた鍵で重いロックを外し、暗がりの中に滑り込む。


 空気の淀んだ部屋に明かりを灯す。ナタリアはそのまま指を資料の収められた木造りの棚を滑らせていく。


 まずは過去10年の従軍名簿。ライが与えられた階級はおそらくナタリアと同じ准尉だろう。准尉の名簿のページをめくり、最後まで見落とさないように眺める。


 ライ・ミドラス。その名前は一番下に小さく書かれていた。主だった戦果は無し、指揮経験無し。つまり、備考欄は白紙だった。


 ナタリアも表向きの資料ではこういった書き方をされているはずだ。ナタリアは丁寧に名簿をしまう。これに用はない。


 さらに奥に進み、機密性の高い資料に手を伸ばす。アルファ部隊の名簿、ベータ部隊、イプシロン……。3番目にあたるガンマの名は無かった。


 ガンマは資料を残していないのだろうか。

 あり得ることだが……、と思いながら、視線を動かしていく。すると、ナタリアの瞳は兵器というラベリングされた棚に吸い寄せられた。


 暗殺人形は兵器と同じ。なら、最高機密の秘匿兵器として記録されている可能性がある。ナタリアは手の中にある鍵の感触を確かめ、最高機密文書の保管庫に向かった。


 ガンマの特権としての最高機密へのアクセス権がナタリアにはある。三重のロックを解除、さらに先に進む。外気とは遠く隔てられた保管庫は、古い紙特有の匂いがこもり下には埃が溜まっている。


 読みにくい色あせた文字を追い、最下段の薄い資料を引き抜く。


 それは暗殺人形、というラベルの付いた秘匿兵器の資料だった。埃を払い、ナタリアはファイルを開く。


 ライ・ミドラス。ナタリア・イネイン。


 二つの名前が僅か二枚の紙片に記載されている。


 ライの名前の上には丹念に上から黒塗りされた跡があった。インクが染み込み、完全に文字は読めなくなっている。長さからして、名前だろうか。


 ライ・ミドラスは偽名……?


 他の部分は暗殺人形としてのスペックが載ってはいるが、大したことは載っていない。


 収穫があったとすれば、ライ・ミドラスは偽りの名前かもしれないという、ぼんやりとした推測たった一つだった。


 ふう、とひとつ息を吐いたナタリアは優しくライの名前を指でなぞる。ざらついた紙の感触だけではない重みを感じた。


「……ライ。あなたはなぜ、帝国を裏切ったのですか?」


 思わず疑問をこぼし、ナタリアはそんな自分に驚く。標的ターゲットに深入りしない、それは暗殺の鉄則だ。しかし、同時に彼を知らなければ殺せないような気もする。


 こんな暗殺対象にんげんは初めてだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る