ep.012 約束

 《死天使》の少女が《死神》の青年に出会い、数日。


 ナタリアの手足から痺れがすっかり消え、元通りの動きができるようになった。ぐしゃぐしゃになっていた髪を整え、邪魔にならないように後ろで手早く纏める。戦闘はいつ起こるとも知れない。髪の中に金属の針を隠し、ワンピースの下に銃を潜ませる。この街に来た時とそっくりそのままだ。


 ナタリアは数日過ごした殺風景な部屋を見渡す。


 ここで目を覚ましてから、ナタリアは武器を全て持っていなかった。ひどくそれが気になり、落ち着かない数日間だった。それに、落ち着かなかったのはそれだけが理由ではない。


 誰かと同じ空間に長くいるという状態、それ自体がナタリアには初めてだったのだ。しかも、その相手は共和国の暗殺者。ナタリアが殺すべき人間だ。


 ふぅ、とナタリアは帽子を被り終えて息を吐き出した。


「ライ。身支度が終わりました」


 木の扉の向こうでナタリアを待っているはずの彼に声をかける。反応はすぐにあった。


「じゃあ、行こうか。汽車まで送る」


 銀髪に藍色の瞳をした端正な顔立ちの青年は手を差し出す。


「汽車まででなくて結構です。わたしは列車にきちんと1人で乗れますから。幼児ではないのです」


 その発言のどこが面白かったのか、ライは笑って肩を震わせた。ナタリアは首を傾げるが、ライはその理由を答えてはくれない。


「俺が送りたいから。ほら、手出して」


「わかりました」


 ナタリアはそっと手を出して、ライの手に触れた。ぎゅっと優しく力が込められ、ナタリアの手が握られる。柔らかくて掴みどころのない不思議な気持ちがナタリアの胸に浮かんだ。


 満足そうにライが藍色の瞳を細め、ナタリアはその手に引かれて部屋の外に出る。埃の積もった廊下があり、その先に下へと降りる階段がある。どうやらあの部屋はこの建物の屋根裏だったようだ。


「あの部屋は、借りたのですか?」


「そうだ。ここには知り合いが住んでいて、タダで貸してもらったんだ」


「……知り合い、ですか。それは“友達”というものと似ているのでしょうか?」


 階段を降り、しんとした一階の部屋に出る。


「確かに、友達に似ているかもしれないな。知り合いが仲良くなれば、友達になる、そういう感じ」


 友達の意味もよく分からないまま頷いてみる。知り合いも友達も、同じようにしか思えない不思議なものだ。


 いつものように、静寂に包まれた部屋の気配を探る。人はいない。恐ろしく気配を断つのが上手い人なら、ナタリアの鋭い知覚も誤魔化せるかもしれないが。


「誰も、いないのですね」


「あー、まあ、寝てるからな」


 呆れた声でライは少し離れた窓際のソファーに目を向けた。毛布と一緒に微かに上下する金髪がある。だが、それでも全く気配が無いのは異常ではないだろうか。


「人は気配無く眠るものなのですね」


「……さあ、どうだかな」


 ライは苦笑いで首を捻った。


「ちょっと起こしてみるか?」


 ニヤッと笑い、ナタリアに答えを挟ませないでライは毛布のカタマリに近づいていく。するりと解いた手で金髪の方を、ちょんちょんと突っつく。


「うぁー? むにゃぁ、美少女〜ぉ?」


 とんでもなく寝ぼけた声で金髪の青年はガバリと腕を伸ばす。ライは華麗にそれを躱すと、自分の代わりに酒の瓶を差し出した。蛇さながらの動きで青年は瓶を絡め取り……。


「お〜、いたいた、愛してるよぉ〜ん」


 目も当てらてないほど熱烈な口づけを瓶と交わす。


「……って、違うじゃんこれ!?」


 異質な感触に正気を取り戻したらしく、青年は瓶を放り投げてキョロキョロと辺りを見回した。


「どんな夢見てたんだ、アルバ?」


 アルバと呼ばれた金髪の青年は、空色の瞳を瓶を受け止めたライに向ける。


「あー、美少女に求婚される夢だっ!」


「良かったな。夢の中でも君に求婚してくれる女性がいて」


 なんだとぉっ、とアルバは拳を握ってライを威嚇して見せるが、ライは全く動じずに笑っている。


「もう少し女癖を直せば、君もすぐ結婚できるさ」


「あー、もー、だから、それが難しいんだろ……って、その子!?」


 アルバの視線がライの後ろに無表情で立っているナタリアを捉えた。ナタリアは大声を出されても瞬きすらせずに、金髪の青年に琥珀色の瞳を向ける。


「君の、えーっと、名前は?」


「ナタリアです。ナタリア・イネイン。それがわたしの名前です」


「……空っぽイネインか」


 ライは額に微かにシワを寄せて呟く。アルバも同様に苦い表情を浮かべた。


「その名前は本名?」


 アルバの問いにナタリアは小さく首を振る。


「わかりません。ただ、そう名付けられたのです」


「そっか」


 アルバは淡々とした声で頷いた。これ以上は踏み込まない、そう暗に示しているように。


「じゃあそろそろ、俺はナタリアを汽車まで送ってくる。すぐに帰るさ」


「うーい、了解ー」


 陽気に手を振ったアルバに見送られ、ナタリアとライは太陽の下に躍り出る。ナタリアは空を見上げ、それから手で日光を遮った。眩しい。視界に広がるのは、以前と同じ街の喧騒だ。慌ただしく人々が行き交い、風に乗ってビラが飛ぶ。海はやはり綺麗だった。


 人は道を埋めるほど多かったが、汽車の駅までそう時間は掛からなかった。ちょうど数分後に発車する汽車が黒い煙をふかす。


「わたしを帝国に帰して良いのですか?」


 汽車の扉でナタリアは振り返る。ライは何の躊躇いもなく頷いた。


「もちろん」


「ガンマにはまだ多くの刺客がいます。わたしがあなたを裏切り者だと報告すれば、ガンマは放って置かないでしょう」


「ああ、そうだな。だが、アリア様は動かない」


「なぜ言い切れるのですか?」


 ライの瞳に暗殺者らしい冷たく鋭利な光が浮かぶ。獰猛どうもうな笑みを彼にしては珍しく見せた。


「アリア様を除いて君以外に俺を殺せる者はいない。エルシオだって、力不足だ」


 その名前が出て来るということは、この人はやはりガンマだったのだ。ナタリアはじっと藍色の瞳を見つめる。


「ならば、あなたはわたしが必ず殺します。次に会う時、わたしはあなたを殺してみせます。ですからその時まで、死なないでください」


 思うよりも先にナタリアはそう告げていた。暗殺人形らしからぬ執着だ。だが、それでもこの手で《死神》を殺したい。自分を壊すかもしれない危険なこの青年を。


 ライは驚いたように瞬きをし、銀色の髪を触った。さらりと絹糸のような光沢で光を跳ね返している髪は揺れる。


「約束は守る。この命は君の為に大事にしておくよ」


 そう言ったライは、無慈悲に命を刈り取る死神のように冷たく、完璧な微笑みを浮かべていた。

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