ep.011 答えのない問い

「……ならば、わたしをどうしますか?」


 ナタリアはポツリと問いかけた。


「殺しますか?」


 あくまでナタリアは青年の敵だ。いずれは彼を殺さなければならない。別段、彼に殺されることも自分が彼を殺すことも怖いとは思わないが、訊いておきたかった。


「殺さない。君が《死天使》だと分かった今、俺は《死天使》を殺したくない」


 はっきりと青年は言い切る。その意志の籠もった瞳を覗き、ナタリアは理解する。


「命令を放棄するのですか。……あなたは暗殺人形ではないのですね」


「ああ。俺はできそこないだったからな。結局、アリア様にも見放された」


 遠い過去を振り返るように青年は目を細めた。


「それだけはわたしにもわかります。あなたが意志を持ってしまったから。暗殺人形に意志は不要なものです。それを宿してしまった時点であなたは既に暗殺人形ではなくなっています」


 そうだ、と青年は小さく笑う。なぜかそこに後悔の色はなく、ただ綺麗な藍色だけがあった。


「君はこのままでいいの?」


「はい。わたしは暗殺人形ですから」


 顔色一つ変えずにナタリアは言う。これ以外の生き方は要らない。


「君は……、人を殺す時に恐怖を感じるか?」


 青年は唐突にこんな質問をした。暗殺人形に問うには不自然な質問で、だからナタリアも即答する。


「愚問です。わたしは何も感じません。心を持たない人形です」


「人を殺すのは悪いことだと言われても?」


 瞬きをする。一体この人は何を言っているのだろう。


「……人をあやめるのは、悪いことなのですか?」


 やっぱり、といったような顔をして青年は哀しげに微笑んだ。


「……ああ、そうだよ。君みたいな子が銃を持ち、誰かを殺す。そんな世界はきっと間違ってる」


 ナタリアの空っぽの瞳を青年は覗き込む。


「わか、りません」


「きっと今の君には、まだ理解できないと思う。でも、いつか、君にも理解できる日が来るはずだ」


「来ません。わからなくていい、のです」


 戸惑うナタリアの瞳は揺れる。


「……良いんだ、まだ分からなくて」


 青年は優しくそう口にした。それから、そっと立ち上がって出て行こうとする。ナタリアは無意識に指をピクリと動かして、軍服の端を引っ張った。


「どうした?」


 ナタリア自身も引き留めた理由が分からずに沈黙する。


「……わたしはあなたを何と呼べば良いでしょうか?」


 やっと声を出した。青年は僅かに目を見開く。引き結ばれていた唇が綻んで笑みを浮かべる。


「ライ。そう呼んでくれ」


「わかりました」


 思えば、誰かの名前を尋ねたのはこれが初めてだ。本当は、知らなくてもいいことだったのに。


「君に打った麻痺毒は、本来なら薄めて使うものだ。毒耐性のある君にはそのまま使ったが、おそらく数日間は抜けないと思う。だから、その間はここで過ごそう」


 それはまるで治るまで側に居ると言っているように聞こえて、ナタリアは確認する。


「……あなたも、いえ、ライもここにいるのですか?」


「そのつもりだ。動けない君を放ってどこかに行けるほど俺は図太くない。……うん、少し違うな。ナタリアだから、俺は見捨てることができないんだろうな」


 ぽんぽん、と銀髪に藍色の目をした《死神》ライはナタリアの頭を撫でる。ナタリアは固まったまま瞬きをした。


「……わたしにはあなたの記憶がありません。本当に、ガンマにいたのですか?」


「ああ。それは疑わなくていい。君が初任務を受けた年に、俺はガンマから出た。直接会って話したこともない。ナタリアが憶えていないのも無理はないさ」


「そうですか」


 ライ、という名前の暗殺人形について、調べる必要がありそうだった。ガンマに帰れるかどうかは疑問だが。


 ライはナタリアを殺さないと言った。人の言うことは信じてはならない、信じることは弱みになる、とそうアリアに教わったから、その言葉は信じていない。こちらは彼を殺す機会を狙うだけだ。実力はほぼ互角、相手は自分を知っている。容易なターゲットではないらしかった。


「俺は少し出て来る。その間に休むと良い。だが、脱走だけはオススメしないぞ」


「……わかりました。ここで待機します」


 再びナタリアの頭を軽く叩いたライはにこりと微笑む。そして、紺色の軍服の姿は視界から消えていった。



 ***


「ライ、お前彼女でも作ったのかよ?」


 真昼の雑踏の中を歩くライの隣に、忽然と同じ軍服を見に纏った金髪の青年が現れる。


「作ってない」


「じゃあ、あの子は誰なんだよー。朴念仁のお前が甲斐甲斐しく世話を焼く子なんて、オレたちの中じゃもうビックリ仰天ニュースだぜ?」


 好奇心で輝く空色の瞳に耐えかね、ライは呻くように返事をした。


「……ガンマだ」


「は?」


 キョトンとすること数秒間。金髪の青年はやっと声を出す。


「あんな華奢な子が?」


「ああ、それとも《死天使ヘルエンジェル》と言った方が分かりやすいか?」


 今度こそ青年の口がアホみたいにぱかーんと開いた。


「まじか。……まさかとは思うが、お前の妹だったりするか?」


 髪の色も瞳の色も全く違う。ただ、纏う空気はもしかすると似ているかもしれない。だが、その質問はかなり正鵠せいこくを射ていた。……ライの背筋を凍らせるほどには。


「違う。だが、何の繋がりも無いかと言われれば嘘になるだろうな」


「帝国のヤツら悪趣味すぎない?」


 金髪の青年はぶるりとワザとらしく身体を震わせる。ライは辛うじて鼻で笑う。


「全くな……」


 バサリと側の石の上に止まっていた白い鳥が翼を広げた。

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