ep.007 白銀翼徽章

 上から差し込む光で淡く光っているように見える銀髪が、ナタリアにナイフを突きつける男たちに臆面もせず近づいてくる。


 一瞬、彼はナタリアの瞳に向かって微笑んでみせた。


「聞こえなかったのか? この子は俺の連れだ。離してやってほしい」


 わたしはあなたを知りません、と言いかけるナタリアを手で制して青年は男たちを眺める。


 ナタリアは男の姿から彼の実力を測ろうとした。程良く筋肉がついた身体に無駄はなく、自身を兵器として純化させた、そんな印象を受ける。実力はまるで読めなかった。普通の人間を遥かに超える実力の持ち主、それはわかる。だが、もしも自分と戦ったらどちらが立っていられるか、見えない。認識のエラーがナタリアの中でわだかまった。


「……陸軍の犬が。ここは俺たち海軍の管轄だ。テメェに用はない」


 噛み付くように男の1人が低く言う。ナタリアを離す気はないようだった。他人事同然に、空っぽの琥珀色の瞳でナタリアは男たちと青年のやり取りを見ていた。


「つまり、彼女を離す気はないわけだ」


 冷たい響きが青年の声に混じる。だが、海軍の彼らは動こうとしなかった。なぜそこまで自分に執着するのか。その理由は彼ら本人にも分からなかったのかもしれない。


「これに頼るのはあまり好きじゃないんだが……」


 青年が軍服のポケットに手を突っ込んでゴソゴソとやり始める。小型銃か何かだろう、と踏んだ男たちは身構えた。


 しかし、彼が無造作に取り出したものは全く違う物だった。


 白の手袋をした青年の指先に銀色が光る。ピラピラと指先で弄ばれるそれは、銀のバッジだ。鳥を模した形で、目にあたる部分にはアクアマリン色の石が嵌め込まれている。


「……な!?」


 動揺が男たちに広がった。ナタリアの首に触れる寸前だったナイフが軽い音を立てて地面に落ちる。彼らの心の揺らぎを誘ったのは、青年の見せた銀の徽章きしょうに他ならない。


「ハク、か……」


 聞き慣れない言葉が男の唇からこぼれた。満足げに青年は頷く。


「そうだ。君たちをクビにするくらいはできる。君たちは俺を敵に回すほど馬鹿ではないだろう?」


 チッ、と舌打ちをしたのが誰だったかはわからない。ナタリアはその結果だけを見た。男たちが路地から消えて、残されたのは青年とナタリアだけ。


「……連中も悪い相手に手を出したな」


 ナタリアの耳には拾えないほど音量を絞った声で、青年は男たちが消えた方向を冷ややかに視線を送った。


「君、大丈夫だった?」


 ナタリアは問われて首を縦に一度動かす。青年の顔を見上げて、真っ直ぐ彼の顔を見つめる。藍色の瞳が微笑んだ。


「……なぜ、わたしを助けたのですか? あなたとわたしには何の関わりも無いはずです」


「確かに俺と君は初対面だ。だから、これはただの気まぐれだ」


 青年はぶっきらぼうにそう答える。彼はナタリアの顔を見ても、これといった反応は見せなかった。


「……君は、この街は初めて?」


「はい」


 一瞬の逡巡しゅんじゅんの後、青年は思わぬ提案をした。


「もし良ければ、俺に君を案内させてくれないか?」


 ナタリアは微かに琥珀色の目を大きくする。視線の先の青年は温かく微笑んだまま、ナタリアから目を逸らさないでいた。


「あなたがよろしいのでしたら、喜んで」


 それがナタリアが出した答えだった。


 満足そうに青年は優しい笑みを見せる。銀髪がさらりと揺れて、藍色の瞳が近づいた。


「君ならそう言うと思った」


 行こうか、と青年が踵を返して歩き出す。ナタリアは灰色の地面に横たわっていた帽子を拾う。ついてしまった埃を落として、深く被る。そして、白のワンピースを翻すと、ナタリアよりも大きな紺色の背中を追いかけた。


「気をつけてね。君みたいな女の子が1人で歩くのは良くない」


 追いつくと、そう言われた。


「そういうものなのですか?」


「ああ、そういうものだ。君はそういったことはあまり知らないんだな」


 淡々と青年は呟き、ナタリアは頷く。


「わたしは、世界をよく知らないのです。申し訳ありません」


 君は謝らなくていい、と青年はポンとナタリアの帽子に軽く手を当てた。ナタリアの中で困惑が膨らんだ。この人の行動が理解できないのは、自分の心が空っぽだからなのだろうか。がらんどうの心に問いかけても、答えは返ってこなかった。


 レンガで造られた建築物が並ぶ道は人であふれていた。時折吹く風が海の匂いを運んでくる。


 一際目を引く銀髪の青年は、どこの通りでも人に注目されないではいられなかった。彼が隣を歩いているお陰で、前ほどナタリアをジロジロ眺める嫌な視線は感じられなくなっていた。


「陸軍の軍服が白いのは正装だけだ。いつもは紺地の軍服を着ている」


 ふと青年の横顔を見たら、軍服の色について質問してもいないのに答えてくれた。疑問に思っていたことをピタリと当てられて、妙な気分がする。


 ほんとうに、青年が理解できない。


「……理解、しました。では、先程の銀色のピンは何だったのですか?」


 ハク、という呼び名もナタリアの知る共和国の知識の中に存在していない。本来の情報収集という目的通り、この陸軍の青年を利用する。


「あれは徽章きしょうだ。白銀翼徽章。共和国軍だと有名だから、持っている人間をハクと呼ぶこともある」


 ナタリアは浮かんだ驚愕を無表情の裏に隠す。


 白銀翼勲章は共和国軍の中でも最高の武勲を挙げた者にのみ授与されるものだ。その保持者は大きな発言権を得る。持ち得る者は一握り。さらに言えば、幾たびの戦場を越えて無敗、そういう伝説じみた人間に与えられるものだった。


 ナタリアの隣を歩く青年は、明らかに白銀翼にしては若すぎる。それくらいの違和感はナタリアにでも分かった。


「あなたは誰ですか?」


 思わず、そう問いかけた。

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