ep.004 死神

「ライ・ミドラス大尉……、じゃなくて少佐」


 呼び掛けられて、銀髪の青年は足を止めた。白基調の軍服の裾が揺れ、青年の藍の瞳が声の主を見定める。


「あ、あの……!」


 ダークブラウンの髪を肩で切り揃えた女は、ずり落ちた銀縁の眼鏡を慌てて押し上げた。と、同時に彼女が両手いっぱいに抱えていた書類が床にばら撒かれる。


「あ、あ、あ」


 軽くパニックになった女はライの前、散らばった紙片の広がる廊下であたふたと足踏みをして混乱中だ。


「リュエル、一回落ち着け」


 そう言うと、おそらくまだ成人してそう経っていない彼女、リュエルはこくんと頷いた。すうはあ、とリュエルは胸に手を当てて何回か呼吸を繰り返す。


「落ち着きました!」


 なぜか、そう報告してくるリュエルにライは頷く。


「じゃあ、集めるぞ、これ」


 その言葉に視線を床に落とし、リュエルの顔は真っ青になった。かなりの枚数を運んでいたので、廊下は紙片で大惨事になっている。何よりも、そこそこの枚数の機密文書も混ざっていたのだ。


「急いで拾わなきゃ……」


「そうだな」


 ライは屈んで、紙片に目を通しながら通し番号を揃えつつ拾う。リュエルが書類をばら撒くのはいつものことなので、この作業にはとっくに慣れてしまっていた。


 リュエルも元は事務の方で働く士官候補生で、書類整理はお手の物だ。……そもそも、ばら撒かなければいいだけの話なのだが。


「うんしょ」


 掛け声を上げ、リュエルは集めた書類の山を持ち上げる。


「少佐! そっちの山もください!」


 ライの隣に積まれた書類の山に目をやり、リュエルは言う。ライは最後の紙切れを拾い上げながら山に乗せようとした。


 目が留まる。

 ただの黒い字が羅列されただけの紙片から、ライは目が離せない。


 山に混ぜようとした手を引き戻した。


「少佐?」


 突然沈黙した上官の姿を不思議に思い、リュエルは紙を抱え、ライが釘付けになっている書類を背伸びをして覗き込む。


「《死天使ヘルエンジェル》ですか……? 帝国の?」


「……ああ。少し、気になっただけだ。俺も手伝うから、保管室まで運ぼうか」


 ぱぁっとリュエルの水色の瞳を煌めかせ、嬉しそうに大きく首を動かした。


「いいんですか!? 少佐!」


 普段の引っ込み思案な性格からは想像しにくい積極的な態度に、ライは苦笑する。そして、自分が集めた方の書類を抱えて歩き出す。


「どうしてこんなに荷物を運ばされてるんだ?」


「そのですね、元々私の仕事ではなかったんですけど、皆さんが困っていらっしゃったので全員分引き受けてきたのですよ!」


 えへへ、と胸を張りながら照れ笑いをするリュエル。ライは再び苦笑いをした。軍人なのに随分とお人好しだ。


 とはいえ、大人しい彼女が文官コースから外れてしまう原因を作ってしまったのはライなのだから、何も言えない。


「確かに、保管室は書類の分類が複雑だからな。探すのに手間取ればかなりの時間がかかる。その点君は――」


「私は得意なのです!」


 リュエルは笑う。茶色の髪がふわりと揺れ、銀縁の弾く光もどことなく明るい。彼女にとって、それは唯一無二の自身の強みだった。

 だが、リュエルのそれは得意という次元ではない。


 完全記憶能力、とでも言おうか。


 リュエルは見たものを映像記憶として残し、極めて正確に再生することができる。たった一枚の写真に時間や物資を割く写真機では、とてもリュエルの記憶には勝てないのだ。


「それで……、《死天使》でしたね、少佐が興味を持っていらっしゃったのは」


 話が戻る。


「気になる、というほどでもない。……いや、気にならないは嘘になるか」


 ライは無表情で《死天使》への興味を肯定した。


「本当にいるのかは分からないですけど、とても有名ですよね、その暗殺者の話。なんでも、地獄に舞い降りた天使って!」


 リュエルは目を閉じて地獄の天使を思い浮かべようとする。


「リュエル、目を開けろ」


「え?」


 目の前を通り過ぎようとする兵士にリュエルが突っ込みそうになっている。


「あ、あわわわわ!?」


「気をつけて」


 ギリギリで急ブレーキをかけた反動で後ろに倒れそうになったリュエルの背中を、ライは器用に書類を片手に持ち替えて支えた。驚いて口を開ける兵に頭を軽く下げる。


「こちらは大丈夫だ。行っていい」


「はっ、少佐殿」


 兵士は敬礼をし、早々に立ち去っていく。士官とは異なる軍服が廊下の角に消える頃、すぐ隣で蚊の鳴くような声がした。


「……す、すみません、……少佐」


「まあ、君が平常運転なのは分かったが、前を見て歩くように」


「……了解です」


 呆れ半分で毎度お馴染みの注意をする。真っ赤になったリュエルから手を離し、歩くのを再開した。同時に、リュエルは話したかったことを思い出したようで声を上げる。


「あ、そういえば、この国にも《死神グリムリーパー》という暗殺者いるらしいですよね。どちらにも死の使いがいるなんて、すごい偶然です!」


 気分は聞きかじった都市伝説を語るように、楽しそうに話す部下に微笑みを向けて、ライは寒々と冷え切った心を隠す。


「《死神》か……」


 共和国特殊諜報部隊所属ライ・ミドラス少佐。それがライ。


 そして、もう一つ。


 ライ・ミドラスは銀の髪に冷たい藍の瞳の《死神》だった。

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