第73話 予感⑰

「思った通りでかい隠仁おにだな」


しとしとと降りしきる雨の中で、杉の大木の影から身を潜めて様子を窺っていた恵果けいかは、どこか弾んだ声を上げた。

その大きな手で幾度となく薙刀を握り直している。


「恵果よ、油断するな」


真魚まおはたしなめるように目を細めて隣の大男を見やると、腰に差している刀を鞘から抜く。

抜いた刀と同じ色の輝きを放つ銀鼠色の髪は雨に濡れ、頬に張り付いていた。


三芳みよし様」


それぞれ構えた二人の後ろで、腕を組み黙り込んでいた三芳が振り返った。

黒い狩衣かりぎぬ姿の烏丸が、すぐそこに控えていた。


「念のため、密蜂みつばちを放ちました。大鯰おおなまず雪狼ゆきおおかみを近くに呼び寄せております」


三芳は表情を変えず、微かに首を縦に振った。


「大仰な。我々だけで十分であろうが」


むしろ俺一人でも、と恵果は不服そうに口を曲げ烏丸を見下ろした。

はっ、と真魚が嘲るように息を吐きだす。


軽佻浮薄けいちょうふはくなどこかの生臭坊主に、深慮遠謀な烏の爪の垢を煎じて飲ましてやりたいものだな」


真魚が口の端を吊り上げた。


「三本ある脚のうちのいずれかでも効くと良いのだが。間に合わぬやもしれぬ」


酷薄な笑みを浮かべた真魚に恵果は何を、と太く豊かな眉を吊り上げて喰ってかかろうとする。


「お二人とも。三芳様の前でおやめください」


烏丸は些か呆れたような眼差しを向けつつも、自分よりも年長であろう二人の間に割って入る。


「……大鯰は地の下より」


木々の葉を打つ雨音に乗って、三芳の言葉が身体に染み入るように落ちてくる。

三人は瞬時に口を噤むと、三芳に向き直った。


「雪狼は木々の影より、口を開けて控えておれ。事の次第によって密蜂は彼岸へと。花氷かひょうへと飛ばせ」


烏丸は無言で頭を下げる。


「武蔵のオニの一族の頭に、魔が憑いたと」


三芳の言葉に顔を上げた烏丸の目が見開かれる。

恵果は舌打ちをし、真魚が眉根を寄せた。


「微かだが。あの隠仁の周りからは、武蔵の頭と同じ匂いがする」


「何と」


隠仁の方を振り返った恵果からは珍しく、いつも浮かんでいる皮肉的な笑みは消えていた。


「……花氷には会いたくないなあ」


烏丸がぼやきながら、腰に差していた刀を鞘からゆるゆると抜く。

真魚は左手に巻き付けていた黒い組み紐を解いた。

紐を形の良い口に咥え、慣れた様子で髪を一つに束ねながら烏丸に目を向ける。


「あやつに連れていかれるのは向こうか、はたまた私等か。お前も心せよ」


烏丸が頷く。

真魚の言葉に今度は恵果が嘲った。


「戯言を。我らが閻魔様の直属、三芳様の一の配下の俺たちが。負けなどすれば、それこそ末代までの嗤い草よ」


三芳が刀を抜いた。

三人がはっとしたように三芳を見つめる。

下ろされた刃はぬらぬらと光り、触れば凍えそうな冷気を放って、目を凝らせばつめたい陽炎のゆらめきが見えるようだった。


く」


雨の森を、音もなく歩き出した三芳の後を三人は静かに付き従う。

烏丸の目の端に、遠くの空で稲光が大きく走ったのがちらりと映った。

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