第63話 予感⑦
「人のこと言えないけど。遠坂も気持ちよく食うね」
二枚目の生姜焼きをお箸でご飯の上に乗せて、お肉を頬張っていた時だった。
そう言って笑う北野も、負けじと大きく口をもぐもぐさせている。
コップの水で中のものを流し込んでから口を開く。
「だって美味しくて。それに成長期だし、食べないともたない」
そりゃそうだ、と北野はお味噌汁を飲み干した。
「今、何センチ?」
そう聞かれて、最後に身長を測ったのはいつだったろうと人参のお漬物をぽりぽりと齧りながら、首をちいさく傾けた。
多分、高校に入学した春だったと思うから、だいぶ前のことになる。
「最近測ってないから正しくは分からないけど……。多分、一七〇無いくらいじゃない」
うちの母親が一六〇センチくらいだから、十はいかないまでも、目線的に七、八センチは私の方が高い気がする。
まじか、と北野は呟いた。
「なに。でかくて悪かったね」
私だって、もっと小柄で華奢だったらと思う。
そう、クラスの柾さんみたいに小さくて可愛らしかったら、もっと。
もっと……。
また胸の奥が疼いて、私はそれをかき消すようにサラダのトマトを行儀悪くぶすりと箸で刺した。
悪いけれど、私はあんな小さなお弁当箱じゃ持たない。
トマトを勢いよく口の中へ放り込むと、そういう北野は何センチなのよ、とぶっきらぼうに尋ねる。
北野はなせが言いにくそうに小さな声で、
「一八〇……あるか無いか」
そう言うと、生姜焼きの三枚目にかぶりついて、ご飯をかきこんだ。
そんな北野を見ながら、そういえば、白角さんは何センチなんだろうとふと思った。
道場で弓を引いていた後ろ姿は、すらりと高かった。
北野の背からすれば、白角さんはきっと一八◯半ばくらいかな。
北野に習って生姜焼きを齧りながら、ぼんやり今日の昼休みのことを思い出す。
ふわふわの、甘い香りのする柾さん。
太陽みたいに周りを明るく照らす北野。
静かな、冬の湖のような白角さん。
「最近、遠坂がよく一緒にいる奴ってさ……」
北野がおもむろに口を開いた。
頭の中を見透かされたような気がして、思わずどきっとする。
「仲良いの?」
北野が、サラダに箸を伸ばす。
あったかいものから食べたいという北野は、サラダはいつも後回しだ。
「今日それ二回目」
「えっ?」
「同じこと、クラスの柾さんに聞かれた」
「柾って?」
「えーっ、あの学年一の美少女を知らないの?」
いや、学校一かな? と言っても、北野はぴんときていないようで、きょとんとした顔をしている。
「ほら、あの目が大きくて可愛い、髪を綺麗に巻いてるふわ……」
そこまで私が言いかけたところでやっと北野は思い当たったようで、ああ! と言葉を被せてきた。
「うん、知ってるよ。そっか、あの子、柾って言うのか。ってそんなことより、俺が聞きたかったのは」
「雪ちゃん、これおみやげね!」
ちょうどその時、厨房から紙袋を持ったおばさんが元気良く出てきた。
「ああ……」
ご飯茶碗を持ったままうなだれる北野のことは気にも留めず、おばさんは白い紙袋をテーブルの上に置く。
「ありがとうございます」
袋を覗くと、丸いお皿の中によそわれた肉じゃがの良い匂いがした。
細かな水滴の付いたラップ越しに、さやえんどうの緑が鮮やかだった。
おばさんのお店の肉じゃがは、じゃがいもがとっても大きくて、ふかふかで好きだ。
「余りもので悪いけど。お母さんと食べてね。明日の朝ごはんにしてもいいし」
おばさんはそう言うとにっこり笑った。
「暖、食べ終わったら雪ちゃんのこと送っていってね」
うなだれていた北野が黙って頷いた。
まだ八時前だから大丈夫、と断ったけど、おばさんは危ないから、と許してくれなかった。
幸いお店から私の家はそこまで離れていないし、北野のコンビニに行くついでだし、という言葉に甘えることにした。
「ごちそうさまでした」
レジの前で、私がお財布からお金を取り出そうとすると、おばさんはいい、いい、と言って受け取ってくれなかった。
「でも、食費としてお金もらってるんで」
母に叱られます、と言うと、おばさんは困ったように微笑んだ。
「じゃあ、次来た時もらうから。肉じゃがのお皿、返しに来てくれた時に」
そう言うと、おばさんは私と北野を急きたてるようにしてお店から出してしまった。
お店を出ると、雪はだいぶ勢いを落としていて、ちらちらと軽く舞うほどになっていた。
積もった雪に月の光が反射して、冬の夜は思ったより明るい。
「袋、持つよ」
北野はそう言ってくれたけど、私は首を横に振った。
「大丈夫。このまま持っていたい」
私は紙袋を両手に抱えて歩き出した。
北野も並んで一緒に歩く。
袋越しに胸に伝わるその優しい暖かさを、いつまでもこうして感じていたいと思った。
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