第56話 薫陶㉑完結
冥府に於かれた関所内の詰所では、弍の隊員たちが一堂に会していた。
所狭しと隊員たちが並ぶ中、その視線の先には隊長の
「皆の者」
真魚の低いがよく通る声が響き渡ると、それまで溢れていたざわめきはぴたりと止んで静まり返った。
「既に知らせていた通りだが。喜ばしいことに、今日より我が隊に新しく仲間が増える」
真魚はそう告げると、後ろに控えていた
はい! と元気のよい声と共に、上背のある真魚の後ろから、ぴょんと飛び出たその影は。
「四ノ隊より移籍しました、
美墨が深々と頭を下げる。
真魚は腕を組みながら、こちらを見つめている隊員たちを見渡した。
「皆に最初に言っておこう。美墨は『犬』……の、候補の一人である」
美墨が弾かれたように顔を上げる。つり目がちの目が大きく見開かれている。
「えっ候補ぉ!? すぐになれるんじゃないんですか?」
前列に立っていた
その隣で
そんな二人をじろりと睨む美墨に、真魚はどこか面白がるように視線を落としたが、すぐに真面目臭った顔に戻すと口を開いた。
「何を
真魚が口の端を吊り上げる。
「……どうしても『犬』なりたいのであれば、早々に武功を挙げることだな」
犬、と、美墨は悔しそうに呟いて、だが何かをふりきるようにそのちいさな頭をふるりと震わせた。
「望むところです」
美墨の紫がかった、暗い青の瞳が
そんな美墨を満足気に眺めてから、真魚ははたと思い出した顔で口を開いた。
「時にそなた、
美墨は背中に背負っていた黒くて大きな筒状の鞘から、一本の大筆を引き抜いてみせた。
隊員たちの間にどよめきが走る。
「はい。私はこれと、自分の墨で充分です」
美墨は筆の穂先を上にして、地につけた。
それは美墨の背よりも高い、大きな筆であった。
「……何やら大仰なものを背負っているかと思えば」
真魚は腕を組んだまま目を細めた。
大筆の軸は黒く、硬い水牛の角製のものだ。
筆の穂は
たっぷりと豊かな穂を持つその筆は、ダルマ軸という。
それは持ち手部分は細いが、穂に向かうにしたがって衣が大きく裾を広げたような形状であり、美墨の華奢な手でも難なく握れるよう配慮されていた。
「……まぁ、必ず刀であることが定められている訳でもない。それで障りなく
鷹揚にうなずいた真魚に美墨は頭を下げると、改めて皆の前に向き直った。
「弍の先輩方に比べれば、あたしなど、四で暴れ回っていた一匹の獣にすぎないでしょう。
いつぞやは隊務の帰りに隠仁を見つけ、夢中で追い掛けるあまり、皆さんとかち合ったこともありました」
その節は、出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした、と美墨は隊員たちへ頭を下げた。
青嵐と一色がおっと、意外そうな顔をして互いに目を合わせる。
「ただ、闇雲に暴れていた訳ではありません」
美墨はゆっくりと顔を上げる。
「遠き昔、三ツ足の烏がスメラミコトの導き手を担ったように。烏は、その者の向かうべきところを示し、教え導き、苦楽を共にします。その者を信じ続け、寄り添い続け、その旅の終わりまで見届ける」
真魚や隊員たちは皆黙って、美墨の言葉に静かに耳を傾けている。
「あたしは四でずっと、烏丸隊長に育てていただきました。あたしらしく在れるように、隊長はいつも縛ることなく、制することなく、ただ側にいました。もちろん何かあれば嘴を挟んできたし、その翼で守ってくれたけど。あたしをいつも、好きなようにさせてくれた」
美墨は大筆を握る手に力を込めた。
「あたしは、ずっと出会いたかった自分に出会うために、ここに来ました」
ぎゅっと目を瞑って、あの日、山にいたあの子もきっと、と口の中で呟くとゆっくりと瞼を開けた。
「烏から受けた薫陶は、
美墨の瞳が揺れる。
真魚はじんわりと、美しくも不敵な笑みを浮かべて彼女を見下ろした。
「安心しろ。この弍も、烏の古巣よ」
美墨は真魚に向かって力強く頷くと、目の前の隊員たちへ顔を戻した。
「それでは先輩方。どうぞお手柔らかに」
そう言うやいなや、地に立てていた大筆をくるりと両手で返したかと思うと、頭上で綺麗な円を描くようにして、しゃんと鞘に納めた。
おおっ、と隊員たちの間で声が上がる。
青嵐がやれやれといった顔をしながらも笑って、新しい仲間に言葉を掛ける。
「この、目立ちたがりめ」
「昨日帰ってから徹夜で練習したもの。ここでお披露目しとかなきゃ」
そう言うと、美墨はにやっと嗤った。
そして今一度、皆に向かって深く頭を下げたのだった。
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