第54話 薫陶⑲

劇場の出入り口は、観劇が終わった客たちでごった返していた。


他の役者たちと共にその扉の前に立った男は、背の高さを生かして周りを見渡し視線を走らせ、誰かを探しているようだった。


男は観に来てくれた友人や知人たちと話を交わしたり、時折、知らない客からも声を掛けられたりして笑顔で応えつつも、どこか心ここにあらずの様子で落ち着きがない。


「おい高品。どうしたんだよ、探しているのは誰だ」


見かねたように、隣に立っていたレアティーズ役の男が腕を小突いて囁く。


「……知り合い、のような気がするんだけど。いや、やっぱり知らない人かな」


なんだそりゃ、と、仲間は呆れたような声を出した。


「随分と必死な顔してきょろきょろしてるからさ。彼女とかかなって思ったわ」


そんなんじゃないよ、と高品は力なく笑う。 


「もう帰っちゃったのかもしれないな」


徐々に人がけて開けてきた空間を見ながら、高品は呟いた。


「高品さん」


ふと、後ろから声を掛けられた。

振り返ると、場内で客への案内役を担っていた後輩の女の子が、手にちいさな花束を持って立っていた。


「どうしたの」


「これ、高品さんへ渡してほしいって。カーテンコールが終わらないうちに外に出てきたお客さんなんですけど、その人から渡されました」


それはかすみ草と、薄い青色の、星型に花弁を開いたちいさな花々を束ねたものだった。


花束なんて持ってくるような洒落た知り合い、俺にいたっけ? と、高品は訝しみながらも受け取る。


「ブルースター」


え、と高品が目線を花束から上に戻す。

星の形が可愛いお花ですよね、と後輩が微笑んでいた。


「くれた人の名前は?」


それが、と彼女が首を傾げた。


「名乗るほどの者じゃないって。でもそれだと高品さんが困っちゃうんで、って言ったら」


後輩は可笑しそうに笑いながら、言葉を続けた。


「とら、からって。そう伝えてもらえたら十分だって」


高品は花束を見つめた。


「とらって、今どきそんな名前の人いますかね。あの動物の虎のことかな。でもその人、小柄で華奢な女の人で。とてもじゃないけど、虎って感じじゃなかったですけど」


思い当たる人、いますか? と、後輩は尋ねたが、高品は何も言わなかった。


「あっそうだ。このお花、だんだん色が変わるから」


彼女が思い出したように呟く。


「詳しいね」


感心したように高品が言うと、いやいや、と顔の前でちいさく手を振る。


「その、虎さんの隣にいた男の人が教えてくれたんですよ。初めは薄い青だけど、咲き終わりに近づくにつれて青が濃くなって、そして紫色になっていくよって。だから、色の変化も楽しめるお花だよって」


「青と、紫……」


高品は、記憶の底から何かを手繰り寄せるかのように、目を細めた。


「男の人で花に詳しいって珍しいですよね」


お花屋さんなのかなあ、と後輩はまた首を捻った。


「花言葉も教えてくれて。『信じあう心』って言ってました」


「信じあう心」


後輩はうなずいた。


「その男の人も、高品さんくらい背が高くて。なんかいい匂いもしたなぁ。イケメンだったんですよ」


香水、何を使っているのか聞いておけばよかった! と悔しそうに話す彼女は、劇場内から名前を呼ばれると、慌てて中へと戻っていった。


高品はその青い花束を持ったまま、開け放たれた扉の前で、しばらくの間佇んでいた。

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