第44話 薫陶⑨

「で、あんたは今日もさぼりなわけ?」


鳥居を抜けて、前を軽快な足取りで進んでいくミスミが、俺を振り返った。


「……ちゃんと、今日は、休み取ったよ」


今日こそはミスミのペースについていこうと決めていたのだが。

案の定、基本駆け足のミスミに、俺は途中から息が上がって、やっとの思いで返事を絞り出す。


ふうん、と、ミスミは楽しそうに笑った。


「咽喉が渇いた……」


若干汗ばんできた額を、そっと拭う。


「あっあそこじゃない」


そんな俺など構いもせずに、ミスミはさらにスピードを上げて山道を駆けていく。


「マジかよ。あんなちっこいくせに。どこまで元気なんだ」


スタミナお化け……と呟いた俺を、ミスミははあ? と立ち止まって、軽く睨む。


今日のミスミは、黒のキャップに、淡いカーキ色の厚手のスウェットの上下だった。


スウェットは肩が落ちた、所謂ドロップショルダーという奴で、今日は珍しく上着を羽織っていた。

ただそれは上着と言っても、黒のダウンベストだったが。


「寒くないのかよ」


「全然!」


俺が隣に追いつくと、ミスミはまた先を歩き出す。


踊るように軽やかなミスミの足元は黒いマウンテンブーツで、その一番上からは薄いブラウンのボアが覗いていた。


「……今日もまた、お洒落ではあるのが、悔しいんだよなあ」


そのセンスの良い後輩とやらを、こっちで引き抜きたいくらいだ、と、ぶつぶつ言っている俺を相手にもせず、ミスミは上へと顎をしゃくった。


「ほら、あそこよ」


山道から右、さらに山肌に伸びた石段を上った先に、古い鳥居が立っていた。


鳥居には、飾り気のない扁額へんがくが掛けられている。


そこには『遙拝殿ようはいでん』と、流れるような字体で、その名が記されていた。


また上るのかと正直辟易するも、ここまで来たならばと自分を奮い立たせる。


背負っていたリュックサックから、ペットボトルのお茶を取り出して咽喉を潤おした。


「行くわよ」


ミスミは変わらず軽々と、俺は最早合わせるのは諦めて、それぞれのペースで石段を上り始める。


石段の左右にはたくさんの石灯籠が並んでいた。

角度によっては灯籠の中に陽の光が入って、明かりが灯されたように見える。


いち、に、さん、し……。

目の端に映り込む灯籠を無意識に数えながら、石段を上っていく。


ふと、石灯籠が視界から姿を消した。

顔を上げてみれば、頭上には青銅色の鳥居が静かにこちらを見下ろしていた。


「やっと、着いた……」


ふっと小さく息を吐いて鳥居をくぐる。

平日なのもあってか拝殿に人気は無く、ミスミと俺だけだった。 

ここからは文字通り遙か遠くに臨む、三峯神社の奥宮を礼拝することができる。


何物にも遮られることのない抜けるような空は、地上で見るよりも近くにあって。

手を伸ばせば、そのどこまでも深い青に触れることができそうな気さえする。


「綺麗ね」


隣でミスミが呟いた。


厳かに連なる奥秩父の山々に手を合わせて、俺はそっと目を閉じた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る