第41話 薫陶⑥

黒い炎の柱のような隠仁おにの体がゆらりとかしいだかと思えば、おもむろに金砕棒かなさいぼう巌虎いわとらに突き出してくる。


「巌虎!」


猿が叫ぶ。


「あら。か弱き乙女から手籠めにしようだなんて。男子の風上にも置けないわね」


まあ、あんたに男も女もないのかもしれないけど、と呟くと、巌虎はひらりと後方に飛び去って金砕棒を避ける。


そのまま空で身をよじった。

とんっと、彼女が再び地に足をついた頃には。


大きな一匹の虎が姿を現した。


その体躯は、目の前の隠仁と同じくらいだろうか。


黄金色に光る稲穂の海に、黒い稲妻が幾筋も走り抜けていくかのような、美しい縞模様。


紫がかった暗い青を湛えた二つの瞳。

その周りは白く隈取くまどりされたようにあでやかだった。


巌虎は大きな口から鋭い牙を覗かせ、低い唸り声を上げながら、猿に向かってちらりと目を向ける。


猿は無言でうなずいて、刀を横に構えたまま走り出す。


隠仁が猿に金砕棒かなさいぼうを振り下ろす。


猿はぎりぎりまで避けない。

すんでのところまで踏ん張り、あわやというところでくるりと身を躱す。


どーん。


振り下ろされた衝撃で、地面がぶるぶると揺れた。

もうもうと土埃が舞う中、巌虎は音もなく隠仁に忍び寄っていた。


隠仁が振り下ろしてから体勢を戻すまでの一瞬の間を突いて、巌虎は金砕棒を握っている方の肩に嚙みつく。


大きな爪が、隠仁の体を深くえぐる。

この世の者とは思えぬ、恐ろしい叫び声が上がった。


噛みつかれていないほうの手で、隠仁は巌虎を離そうと掴みかかった。

巌虎はどんなに強い力でその身を引かれ、殴られようとも、引っ掻かれようとも、けして牙を抜こうとしない。


美しい金色の毛が宙に舞った。


その隙に、猿が隠仁に向かって斬りかかる。


だが、隠仁も金砕棒を持ちかえて、がつんと刃を合せると、猿を退けた。


「巌虎、退けっ」


金砕棒を持ちかえた隠仁は、そのまま自分の肩に噛みつく巌虎に向かってそれを振り下ろそうとしていた。


巌虎は爪と牙を緩め、隠仁を突き飛ばすようにして身を離す。


隠仁も巌虎も、互いに大きく体勢を崩してどうと倒れた。

大きな砂埃が舞い、猿は腕で顔を庇うようにしながら目を細めた。


「くそっ」


巌虎は苛立たしげに唾を吐くと、砂埃の中から勢いをつけて立ち上がった。


人の姿に戻った彼女の頬には血が流れ、服はところどころ汚れ、破れている。

黒くつややかな髪は土埃にまみれていた。


「もう一度、いくよ」


猿に向けられたその眼差しは鋭く、燃えるように輝いていた。


その時だった。


倒れていた隠仁が、大きく、啼いた。


そして。

 

「ミスミ!」

 

巌虎の後ろで、タカシナの声が響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る