第40話 薫陶⑤

どーん。


空気がびりびりと震えた。


え、何。

地震?

水道管でも破裂したんじゃないか。


周囲がざわめく。

俺を見つめていたミスミは、瞬時に音がした方向へ目を走らせた。


「何だ、この音」


きいん。


金属音のような、高くて細い音。

金属同士がぶつかり合って、跳ねるような。


ミスミが険しい顔で、俺を振り返る。


「あんたにも、聞こえるの」


俺はうなずいた。


その時、ミスミの後ろに広がる歩道橋の上に、人影がふわりと浮かび上がった。


あれっと思ったのも束の間、それは軽々と歩道橋を飛び越えて。

時おり、道路や信号機の上に降り立ちながらも、人間離れした身体能力で北へと駆けていく。


「あんたは、ここにいて」


そう言うとミスミは、その影を追うように走り出した。


ふわり。

ミスミのちいさな頭からキャップが離れた。

ぱっと、艶やかな黒髪が広がる。


主人について行けずに行き場を無くしたそれが、はらりと俺の前に落ちた。


手を伸ばして拾い上げた時には、ミスミはもう見えなくなっていた。





「なんなんだよ、このデカブツは」

ひゅっと黒い母衣が空を舞い、その下から煌めく刀が休むことなく突き出されていく。


きいん。


刀が弾かれ、その勢いに乗ったまま、短髪の男は後ずさった。


「……追儺ついなでも祓いきれなかった奴か」


びゅんっと男に鋭い風が迫る。


男は我が身に投げおろされる金砕棒かなさいぼうを、くるりと後ろに転回しながら避けた。


そのまま、間合いを取る。


足元には、渋谷といえば誰もが連想する、あの東西南北、縦横無尽にどこへでも行ける、白く塗装された歩道が走っていた。


改めて男は目の前の、燃え盛った炎の柱を見上げた。

大きさは一丈四尺ほどだろうか、男の二倍はある。


炎はばちぱちと爆ぜながらも、仄暗い冷気を漂わせていた。

本来赤く燃え上がるはずのそれは黒く濁り、澱んだ光を放っている。


炎の上の方には、二本の火柱が角のように聳えていた。

そのすこし下には、そこだけ爛爛と赤く光る、二つの眼のようなものがあった。


黒い炎が、その腕を大きくもたげた。


握られた、黒くて太い八角棒に突き刺さる鋭い棘が、炎で不穏に輝く。


男は舌打ちする。

 

急ぎ、此岸とは離したが。

こんな真っ昼間からの大立ち回りは、勘弁してくれよな。


「猿!」


呼ばれて男が振り返る。


男を見下ろしていた赤い眼が、ぐぐっと持ち上がって声の主を探す。


「その声。巌虎いわとらか!?」


黒いパーカー姿の小柄な女性は走ってくると、ぴょんと男の隣に並んだ。

その細い足首を回し、首を左右に曲げて腕を伸ばす。


「こんなでかい隠仁。流石にあんたでも、ひとり占めしすぎなんじゃないの」


ほかの仲間は、と、隠仁から目を離さずに巌虎は尋ねた。


隠仁は、新たに目の前に現れた巌虎を推し量るかのように、ゆらゆらとその身を揺らしながら、じっとりと彼女を見つめている。


「……恩に着る。皆それぞれ出払っている。雉とはすこし前まで一緒だったんだが」


ふうん? と、巌虎が首を傾げた。


「向こうにも隠仁がいて、雉はそっちだ。追儺を終えたばかりだが、今年は祓いきれていない奴が多い」


まったく、皆、ちゃんと豆まきはしなきゃ駄目よね、と巌虎は呟いた。

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