第40話 薫陶⑤
どーん。
空気がびりびりと震えた。
え、何。
地震?
水道管でも破裂したんじゃないか。
周囲がざわめく。
俺を見つめていたミスミは、瞬時に音がした方向へ目を走らせた。
「何だ、この音」
きいん。
金属音のような、高くて細い音。
金属同士がぶつかり合って、跳ねるような。
ミスミが険しい顔で、俺を振り返る。
「あんたにも、聞こえるの」
俺はうなずいた。
その時、ミスミの後ろに広がる歩道橋の上に、人影がふわりと浮かび上がった。
あれっと思ったのも束の間、それは軽々と歩道橋を飛び越えて。
時おり、道路や信号機の上に降り立ちながらも、人間離れした身体能力で北へと駆けていく。
「あんたは、ここにいて」
そう言うとミスミは、その影を追うように走り出した。
ふわり。
ミスミのちいさな頭からキャップが離れた。
ぱっと、艶やかな黒髪が広がる。
主人について行けずに行き場を無くしたそれが、はらりと俺の前に落ちた。
手を伸ばして拾い上げた時には、ミスミはもう見えなくなっていた。
◇
「なんなんだよ、このデカブツは」
ひゅっと黒い母衣が空を舞い、その下から煌めく刀が休むことなく突き出されていく。
きいん。
刀が弾かれ、その勢いに乗ったまま、短髪の男は後ずさった。
「……
びゅんっと男に鋭い風が迫る。
男は我が身に投げおろされる
そのまま、間合いを取る。
足元には、渋谷といえば誰もが連想する、あの東西南北、縦横無尽にどこへでも行ける、白く塗装された歩道が走っていた。
改めて男は目の前の、燃え盛った炎の柱を見上げた。
大きさは一丈四尺ほどだろうか、男の二倍はある。
炎はばちぱちと爆ぜながらも、仄暗い冷気を漂わせていた。
本来赤く燃え上がるはずのそれは黒く濁り、澱んだ光を放っている。
炎の上の方には、二本の火柱が角のように聳えていた。
そのすこし下には、そこだけ爛爛と赤く光る、二つの眼のようなものがあった。
黒い炎が、その腕を大きくもたげた。
握られた、黒くて太い八角棒に突き刺さる鋭い棘が、炎で不穏に輝く。
男は舌打ちする。
急ぎ、此岸とは離したが。
こんな真っ昼間からの大立ち回りは、勘弁してくれよな。
「猿!」
呼ばれて男が振り返る。
男を見下ろしていた赤い眼が、ぐぐっと持ち上がって声の主を探す。
「その声。
黒いパーカー姿の小柄な女性は走ってくると、ぴょんと男の隣に並んだ。
その細い足首を回し、首を左右に曲げて腕を伸ばす。
「こんなでかい隠仁。流石にあんたでも、ひとり占めしすぎなんじゃないの」
ほかの仲間は、と、隠仁から目を離さずに巌虎は尋ねた。
隠仁は、新たに目の前に現れた巌虎を推し量るかのように、ゆらゆらとその身を揺らしながら、じっとりと彼女を見つめている。
「……恩に着る。皆それぞれ出払っている。雉とはすこし前まで一緒だったんだが」
ふうん? と、巌虎が首を傾げた。
「向こうにも隠仁がいて、雉はそっちだ。追儺を終えたばかりだが、今年は祓いきれていない奴が多い」
まったく、皆、ちゃんと豆まきはしなきゃ駄目よね、と巌虎は呟いた。
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