第39話 薫陶④

渋谷駅の東口広場を抜けて、外へと出た。


つめたいビル風に晒されて、手に持っていたダウンコートを今度こそ着る。


「で、今日もまた一日中歩き回るの?」


ミスミは物珍しそうに周囲を見渡しながら、俺のすこし後ろをちょこちょことついて来る。


俺は無言でうなずいた。

空に架った首都高と、その下を走る玉川通りのあいだを、まるで触手のように四方に伸びた横断歩道を上っていく。


「わっここにも! たっかいなー!」


渋谷の空を所狭しと屹立する高層ビルの一つを見上げて、ミスミが後ろで大きな声を上げた。

これは何て名前!? と騒いでいる。


「……渋谷ストリーム」


おのぼりさんかよ、と俺はちいさく毒づいて、振り返った。


「すとりーむぅ? 叫ぶやつ?」


「それは、スクリーム、な」


「叫ぶ、の方が面白いと思うけど」


まあ、それはそうかも、と横断歩道の上から二人で並んで見上げる。


「それにしても、不思議な外観ね」


ミスミは首を傾げた。


大小さまざまなパネルが組み合わさり、並べられた特徴的な外装は、見ていると若干錯覚を引き起こす。


「……パネルで、流れを表しているらしいよ。地表から空へ流れるさまだとか」


流れ、とミスミが呟く。


「……ここの、ミヅチには、良かったかもね」


ミスミはビルから下へと、目を移した。


ややつり目ではあるものの、くりっと丸いミスミの瞳は、何かを捉えるようにじっと地面を見つめる。


みず……? 何それ? と尋ねる俺を無視して、


「ほら。もう行くよ」


と、先を駆けていく。


完全に、向こうのペースだ。


俺はちいさく溜息をつくと、ミスミの後を追いかける。


今日のミスミは、だぼっとしたオーバーサイズの黒のパーカーに、ゆるっとした淡いグレーのカラーデニム姿だった。


デニムの裾はロールアップされて、骨ばったちいさなくるぶしが、白のスニーカーから覗いている。


下に向かって広がったパーカーのサイドには、切りっぱなしのスリットが入っていた。

そこから見え隠れする白無地のインナーが、全身の統一感に一役買っている。


「なんか悔しいな」


えーっ? とすこし先を歩いていたミスミが振り返る。


白いキャップの下で、黒髪がふわりと舞う。


「いや、センス、良いなって思ってさ」


アパレル業界にいるのだ。

当然ファッションは好きだし、ペースをかき乱してくるミスミが少々癪に触るのに、彼女のお洒落な恰好にはつい目が向いてしまう。


ああ、とミスミが自分の体を見やる。


「これ、前にいた、後輩が全部選んでくれたの」


「後輩? ミスミが先輩なの? 意外」


何それぇ、とミスミは不服そうに口を曲げる。


「お洒落が好きな子だったわ。よくこっちに来て買い物してたみたい。あたしが全然構わないものだから、見かねてよく色々買ってきてくれてた」


ミスミは懐かしむように、遠くを見た。


「前にいた、ってことは、今はいないんだ?」


ミスミはこくんと頷いた。


「昇進して、京の都に行っちゃった」


「京都? いいじゃん。俺も行きてー」


てか、ここじゃないどこかへ行きてー。

俺はぼやいた。


ああ、とミスミは合点がいったように呟く。


「だから、あんた、あの時山にいたのね」


ミスミの瞳が、何かを捉えるように、じっと俺を捉える。

キャップの下では一見すると黒く見える目が、紫がかった暗い青だったことに気づく。


苦手だ。

この目に見つめられると。俺は。


「ここじゃない、どこかに行きたいのね」


俺が口にした言葉を、ミスミはただ、繰り返しただけなのに。


それは楔のように穿たれて、離れることはなかった。

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