第38話 薫陶③
「
会社や、店舗の女性陣が、そう話しているのは知っている。
「高品は、よくやってるよなあ」
上司や、取引先のお偉いさんが、そう買ってくれているのも知っている。
自分で言うものなんだが。
俺は社会人、会社員の役を結構上手く、こなしている方だと思う。
「今日はこれから、渋谷から表参道にかけて、ショップ回りしてくるんで」
俺はスーツのジャケットを羽織ると、マフラーを巻きながら、隣のデスクに座っている事務の女の子に声を掛けた。
はあい、と間延びした返事の後に、今日は戻って来るんですかあと、女の子が上目遣いで俺を見上げる。
「いや、今日はそのまま直帰します。後で僕からも課長に報告入れますが。聞かれたら伝えておいてもらえますか」
鞄とダウンコートを手に持つと、よろしくお願いしますとちいさく頭を下げた。
分かりましたあ、と、最後まで一貫して緩く延びる語尾に、苛立ちよりもむしろある種の感心を覚えながら、会社を後にする。
ああいう子には、人一倍、礼儀正しくしていた方が無難だ。
大学を卒業し、アパレル会社で営業として勤めて三年が経った。
アパレル営業の中でも、俺はホームセール営業をいう奴で、自社ブランドの商品をセレクトショップに置いてもらえるよう客先に働きかけるのが仕事だった。
ブランド、と言えば聞こえは良いが、顧客となる店舗にとってはいわゆる仕入れ先という位置づけで、メーカー的なポジションを取っている。
俺が得意なのは、新規開拓、即ち飛び込み営業だった。
出掛ける前にある程度、グーグルマップやネットで目星はつけておくが、実際にその店の周辺、近所を自分の足で歩く。
店の周りの空気感、歩いている人の雰囲気、どんな店が多いのか、自分の目で、耳で、鼻で感じる。
それはもちろん、営業先との雑談の材料を集めているというのもあるけれど。
自分と相性の良い店、人を見つける手がかりともなる。
なんとなくでも、周りの雰囲気が良かったり、入った店に心地よさを感じたりして、ここ良いかもしれないなと思えば、その直感めいたものに従うようにしている。
だいたい、良い店というのは、入る前から何となく分かるものだ。
何というのだろうか、屋内なのはもちろん承知で言うのだけれど。
良い店は光が差しているというか、発光している気がする。
とにかく、他より明るい感じがするのだ。
それは働いている人間の気だったり、その土地、場所の持つエネルギーのようなものが関係しているように思う。
給与面で他よりけして良いとは言えないこの業界で、稼ぐなら新規営業だろうと腹を括り、新人の頃から泥臭くやってきた。
毎日朝早くから、色々な街を歩いた。
革靴と鞄は、こんなにも早くくたびれるものなのだと初めて知った。
知識の浅さや経験の無い自分が、売り込むことに当然不安もあった。
だからこそ正直誰にも負けないくらい商品の勉強をしたし、先輩や上司からの指導を進んで受けにいった。
もう、誰にも負けたくなかった。
そうしているうちに、周りからは一生懸命頑張っている若者として好意的に捉えられていって。
今ではある程度、担当顧客だけで数字を出していけるようにはなってきていた。
それでも日々、一定量の店舗に飛び込むことは決めている。
びゅうっと風が吹いた。
身震いする。
駅が見えてきた。
電車に乗ると途端に暑くなるから、まだダウンコートは着ない。
改札に着くと、朝の余韻をほんのりと残したままの昼前の駅は、まだそこまで混んではいなかった。
まずは山手線で渋谷まで向かう。
改札を抜け、ちいさく溜息をつく。
だいぶ慣れたとはいえ、あそこは苦手な街でもあった。
『あそこは文字通り「谷」だから。
何かが、溜まって、澱んでいる気がするの』
果たしてこれは誰の言葉だったろうか。
昔読んだ、本の中の言葉かもしれない。
電車がつめたい風を纏いながら、ホームに滑りこんできた。
ドアが開くと、どっと人が固まりになって吐き出される。
むっとする人いきれが残った車内に、早々に息苦しさを覚える。
電車に乗っている時間は十分もない。
座席は空いていたが座るのは止めて、そのままドアの近くに立った。
電車のドアは、ほんのすこしだが隙間が空いていて、か細いながらも外の空気が流れ込んでくる。
がたん、と車体が揺れて、電車はまたゆるゆると走り出した。
窓に映る景色が、後ろへと飛び去っていく。
俺は子どもの頃からいわゆる視える、というか、感じる方だ。
それは、なんだか普通と違うな、時には嫌だな、怖いなと思う感覚的なものがほとんどだったが。
もしかしたらこの仕事では、そういった第六感というか、感受性の強さのようなものが功を奏していて、結果に結びついているのかもしれない。
人ならざるもの。
くっきり視えることは、ほとんど無かった。
あの日までは。
電車は粛々と、線路の上を進んでいく。
ふーっと息を吐く。
きっと、今日もいるんだろうな。
予感があった。
電車のアナウンスが流れる。
もうすこしで、降りる駅だ。
ドアが開いた。
人波に乗って、自分もホームへ降り立つ。
ホームを歩き出してまもなく、ちいさな人影がひょっこりと俺の前に現れた。
「おっはよう、タカシナ」
白いスニーカーとお揃いのキャップ。
ミスミが満面の笑みで、こちらを見ている。
ほらな。
予感的中だ。
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