第29話 自由⑩

「すずさん」


真昼の庭は、柔らかな陽の光で包まれていた。


弟といっしょにいたわたしは、その低くて落ち着いた声に名前を呼ばれて、顔を上げた。


「おねえちゃんの、しってるひとー?」


弟は、手に、黒と赤のクレヨンをにぎりしめながら、その人と、わたしの顔を見比べた。


さとるは、油断すると床まではみ出すから。


そう言ってお父さんがけいかいするから、庭のウッドデッキに新聞紙をひいて。


弟が保育園から持って帰ってきた、節分のおにのお面を、いっしょに仕上げていたところだった。


「さとるくん。こんにちは」


長くて、白い髪がさらさらと肩から流れて、その人は静かにほほえんだ。


こんにちは……、と弟がはにかんだように、ちいさくあいさつした。


おねえちゃんも、最初まちがえそうになったけど。


この人はとてもきれいだけど、男の人よ、と弟につげる。


その人はすこし、心外そうな顔をしながらも。


おねえさんをおかりできるかな、と、弟にたずねると、弟はやっぱりはずかしそうにうなずいて、家の奥へとかけていった。


「椿さん」


あれから、二日が経とうしていた。


あの日。

警察が来た時にはもう、わたしをかばってくれた男の人も、おにと戦っていた二人の男の人たちも、すがたを消していた。


椿さんだけが残って、かけつけた警察官の一人に、地面に横たわった男の人と、包丁のことを話していた。


警察官の人は、椿さんのことを知っているふうだった。


椿さんは、その人のことを『ふわさん』と、呼んでいた。


あとはこっちでやっておくから、お前は行け。


そう椿さんに言うと、『ふわさん』は、わたしに向かって、にっこり笑いかけた。


もう、大丈夫だよ。


ただ、その鈴は、これからも持っておくと、いいかもね。


その後、とりみだした様子で、お父さんがわたしをむかえに来た。


すず。

ごめん、すず。

大丈夫だったか。

ごめん。

ごめん、すず。


お父さんは、それしか、言わなかった。


「すこし、力を使いました」


椿さんはそう言うと庭に入って、ふわりとわたしのとなりに座った。


陽の光を受けて、椿さんの髪がきらきらと光る。


「弟さんと、お父さんには、眠っていてもらいましょう」


わたしは、家の中をふり返った。


家はまるで、時が止まったかのようにしんと静まりかえっていた。

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