第23話 自由④
「あなたの名前は、なんていうの?」
学校からの帰り道。
わたしはとなりを歩く、おおかみさんに聞いてみた。
今日のおおかみさんは、黒いマントすがたじゃない。
黒のコートに、紺色の細身のスラックス。
この前の土曜日、お父さんにせがんで連れていってもらった原宿で、目の前を歩いていた男の人が着てたようなかっこいい服だ。
おばあちゃんが家にいたころ、日曜の夜にいっしょに見ていたドラマの、昔の人のようなかっこうよりも。
わたしはおおかみさんを見上げた。
今日みたいな服の方が、おおかみさんにずっとにあっている。
「わたしの名前ですか」
おおかみさんが、わたしに顔をむけた。
おおかみさんの白くて長いかみは、今日は一つに結ばれていた。
わたしのかみは、かたにつくくらいだけど。
おおかみさんが結んだかみは、かたより長い。
「いつまでも、おおかみさん、じゃあ。
他人ぎょうぎな気がする」
わたしは一度使ってみたかった、覚えたてのその言葉を、口に出してみた。
学校の、朝の読書の時間で読んでいた本に出てきた言葉。
他人ぎょうぎ。
他人に対するように、うちとけないこと。
よそよそしく、ふるまうさま。
昨日の、わたし。
ハンバーグと、そして、ゆりさんの顔がうかんだ。
「から……」
おおかみさんは言いかけたけど、途中で、口をとじてしまった。
「から? から。たまごのから?」
わたしがすこしふざけて、おおかみさんの顔を見上げる。
おおかみさんの目は、昨日の夜、金色に光っていたはずなのに。
明るいところで見ると、うすい茶色と黄色が混ざり合ったような、不思議な色をしていた。
その色は、どこかで、見たことがあるような気がした。
「わたしは……。まつばき、と申します」
おおかみさんは意を決したように、ちいさく息をはいてから、言った。
「まつ、ばき?」
「まは、真っすぐの真。つばきは花のつばきです。
きへんに春で、椿」
おおかみさんはその長い指で、空に書いてみせた。
『真』は習っていたから知ってたけど、椿の漢字は初めて知った。
「真椿。きれいな名前だね。おおかみさんにぴったり」
わたしがそう言うと、おおかみさんはゆっくりとうなずいた。
「椿さんって、よんでいい?」
つばきさん。
おおかみさんは、自分でも口に出して、確かめているようだった。
「わたしには、いささか女性的なような気もしますが。すずさんがよびたいなら、それで」
「おおかみさんは、女の人みたいにきれいだから、だいじょうぶ」
女の人……。このかみのせいですかね。
おおかみさんはすこし、複雑そうな顔をした。
かみもあるけど。
どちらかというとおおかみさんの静かで、品のあるふんいきで、そう思ったんだけどな。
おおかみさんは、だまって結んだかみの先をなでた。
果たして、おおかみさんは、椿さんになった。
家が見えてきた。
今日は、お父さんとカレーを作る。
お父さんが弟を保育園にむかえに行って、帰ってくるまでに、お米をといでセットしなきゃ。
「椿さんも、いっしょに食べれたらいいのにな」
家に上がる階段の前で、わたしがつぶやく。
「わたしのことは気になさらず。あちらで、食べますから」
あちら?
わたしが首をかしげると、ひがんです、と椿さんは、よくわからない言葉を使った。
おひがんの、ひがんなのかな。
あの、お墓参りをする……。
お父さんと弟と、去年の九月に行った……。
「すずさん」
いつの間にか、ぼうっと考えこんでしまっていたようだった。
椿さんがかがんで、わたしと同じ目線になる。
「また来ます。暗くなったら、外に出ることはしないように」
椿さんが、わたしの手を取って、何か丸い物をてのひらに乗せた。
ちりん。
鈴だった。
「これは、まよけのお守りです」
「まよけ……」
椿さんはうなずいた。
「昨日、あんなことがありましたから。
何かあったら、思いきり、鳴らしてください。
この鈴の音は、あなたがどこにいても、わたしにとどきます」
かんで、あるていどは、よけましたが……、と、椿さんがまた、よくわからないことを言った。
「さあ、早く家へ入りなさい」
「はーい」
椿さんはわたしが家に入って、げんかんのドアをしめるまで外から見守ってくれていた。
かぎをしめてランドセルをしょったまま、急いでリビングの大きな窓まで走る。
レースのカーテンを開けて外を見れば、もう、椿さんのすがたはなかった。
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