第22話 自由③

いつも行くコンビニは、わたしの足でも、五分もかからない。


家のとなりのマンションの前を通って、公園を過ぎれば、もうお店の、背の高いかんばんが見えてくる。


ここにひっこしして来たのは、弟が生まれてすぐ。


わたしが、小学校に入学した春だった。


だから、もう目をつむってだって歩いていけるくらい、行きなれている。


……なんて、それは言いすぎかな。


わたしは歩きながら、手に持っていたバッグを肩にかけ直して、コートのフードをかぶった。


赤いコートのフードには、うすい茶色のふわふわした毛がついていて。


おとなの女の人が着るお洋服みたいで、最近の一番のお気に入りだ。


これは本当の毛じゃなくて、フェイクファーっていうんだよ。


電話で、おばあちゃんがそう教えてくれた。


おばあちゃんは、わたしと弟のたんじょう日にはごちそうを持って、電車に乗って、家まで来てくれるんだけど。


先週、つけ物石を持ったせいで、こしをいためたのがまだ治らなくて。


もうすぐ、すずちゃんのたんじょう日なのに。

行けなくてごめんね、と、たんじょう日プレゼントに、このコートを送ってくれた。


母さんも、もう、あんまり無理しないでよ。


わたしから電話を代わったお父さんが、心配そうに言葉を続ける。


ごはんも、こっちでどうにかやるよ。

しばらくだいじょうぶだから、からだ一番にして。


おばあちゃんは、一年くらいわたしの家にいた。


お父さんが仕事でいない間ずっと、ごはんを作って、わたしと弟のめんどうを見てくれて。


弟がやっと保育園に入ることができて、わたしが四年生になってすこしすると、おばあちゃんは自分の家に帰っていった。


それからずっと、おばあちゃんは一週間に一回のペースで、いろいろなおかずを作って、冷とうして送ってくれる。

月に何度か様子を見に来たり、泊まりにも来てくれていた。


そのおばあちゃんから、おかずがとどかなくなって、家に来なくなって、もうすぐ一か月になる。


それからだ。


お父さんのお友達だという、ゆりさんが、現れた。


こつんっ。


道にあった小石を、つま先でけった。


当たりどころが良かったのか、思ったよりいきおいよく転がっていく。


石は公園の入り口近く、灰色のぼうしをかぶって立っていた、男の人の足に当たった。


じっとわたしを見ている。


知らない人。


まずい。

いたずらしたと思われたかもしれない。


ちいさく頭を下げて、そのまま前を通りすぎようとした、その時。


「ねえ。向こうで、君のお母さんがよんでたよ」


えっ。


わたしは思わず、その人を見た。


「おじさん、お母さんの友達なんだ。……けがをしてしまって歩けないから、急いで来て、助けてほしいって」


うそだ。


この人はうそをついてる。


防犯ブザー。


バッグに手をのばして、はっとする。


しまった、ランドセルにつけたままだ。


「だから、おじさんといっしょに、お母さんを助けに行こう」


男の人が、わたしの左うでをつかんだ。


「……いやです」


なんとか声をしぼり出して、うでをふりほどこうとする。


でも、男の人はぎゅうっと力をこめてきて、びくともしない。


「助けに行かないなんて、悪い子だね。しかられるよ」


そんなわけない。


からだが、かっと熱くなる。


目からなみだがこぼれる。


だって、お母さんは。


お父さん、と声を上げようとしたその時だった。


低くて、大きなうなり声が後ろから聞こえた。


……犬?


この近くに、犬を飼っているうちなんて、あったっけ?


「う、うわあ!」


男の人が、おどろいたように声を上げる。


ふりかえると、わたしと同じくらいの背の高さの、見たこともないくらい大きな犬が、後ろで毛を逆立てている。


まっ白な毛なみに、金色の目が燃えるように光って、男の人をにらんでいた。


長い鼻に深いしわを寄せて、大きな口からは、するどいきばがのぞいている。


「な、なんだ、こいつ。でかすぎるぞ」


男の人がおびえたように、後ずさる。


ぱきっ。

うでをつかまれたまま、後ずさりする男の人に引っ張られたわたしが、地面に落ちていた木の枝をふんだ。


男の人が、反しゃ的に、わたしの足元に目を向けた。


そのすきをついて、犬が男の人に飛びかかる。


男の人はさけび声を上げて、つかんでいたわたしのうでをはなした。


そのまま、せなかを丸めて、たおれたり転がったりしながら、にげていく。


「……こ、こわかった」


急に力がぬけて、思わず、その場にしゃがみこんでしまう。


つかまれたうでが、じんといたんだ。


お父さん。お父さん。


お母さん。


また、なみだがあふれてくる。


うでをさすりながら、うつむいた。


「すずさん」


名前をよばれて、はっと顔を上げる。


そこには、白くて長い髪の、きれいな男の人が立っていた。


「ちいさな女の子がひとりで、夜道を歩いてはいけません」


こしをかがめて、わたしと同じ目線になる。


切れ長の、金色に光る瞳が、わたしをしずかに見ていた。


「帰りますよ」


ふるえていた、わたしの手をそっと両手で包んだ。


あたたかい手の温もりが、やさしく伝わってくる。


そのまま、わたしのからだをゆっくり引き上げた。


「……あなたは、さっきの白い犬なの?」


わたしがたずねると、そのきれいな人は、こほんとせきばらいをして。


犬ではなくおおかみです、と言った。

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