第13話 名前⑦

「まったくお前は。何やってんだ」


後ろから頭を勢いよく、すぱこーん! と叩かれる。

俺は思わず、食べていたおでんの皿に顔を突っ込んだ。


「いでっ!? あぢっ!!」


汁の一番上にぷかりと浮かんでいた、熱々の白いはんぺんに、鼻の先をぶつける。


「こりゃまた、良い音しましたねぇ」


黒い和帽子を被った作務衣姿の屋台の親父が、のんびりとした手つきで鍋の中の徳利に手を伸ばす。


いつもので? 

頼む。


まるで俺などいないかのように、頭の上でふたりの会話が進んでいく。


「痛いのも熱いのも! どっちもいっぺんに!」


俺は右手で頭を、左手で鼻を押さえながら、情けない声を上げた。


あの音は、きっと、また御門鑑おもんかんで叩いたに違いない。

 

烏丸は隣に座ると、親父から受け取った熱燗を、小皿に乗ったカップ瓶に注ぐ。


全然、こっちを見ない。


やっちまった。

心配してないって、言ってもらってたのに。


意を決して、口を開く。

「……ごめんなさい。依頼人の、大事な人に怪我させて」


ごくりと咽喉を鳴らして酒を呑んだ烏丸は、ふーっと大きく息を吐いた。


「まったく、お前は」


烏丸は最初と同じ言葉を繰り返すと、ようやく俺に顔を向けた。


「……まあ、本人からもこってり絞られたようだしな。今回は、これくらいで勘弁してやる」


烏丸が右の眉を上げながら、

「お前も飲むか」

と、徳利を上げてみせた。


「……俺が下戸なの、知ってるでしょ」


そうだったっけ? と澄ました顔で流すと、烏丸は箸でひょいと俺のおでんを奪って、また吞み始める。


「ああっ、それ。冷ましてたところだったんですけど!?」


俺の悲痛な叫びなど耳に入らないかのように、烏丸ははんぺんにかぶりついた。


ふわふわとした、俺の大好きなはんぺん……。


あれよあれよという間に、烏丸の大きな口に吸い込まれていく。


でも、もう今日は何も言えない……。

諦めて、せめて同じ形をした、三角形のこんにゃくを齧る。


親父。

烏丸が声を掛ける。


親父が頷いて、

「狐の旦那は、おれんじじゅーす、でしたっけ」

屋台の下から橙色だいだいいろの瓶を取り出して、俺の前に置いた。


「……どうせ、あっちで有り金全部、使い切ってきたんだろう。車代、医者代はしょうがないにしても。食料や飲みもん、あんなに見境なく買うからだ。何というか、お前は、本当に」


烏丸が呆れたように目を細めて、溜息をつく。


「烏丸、たいちょおぉ」


思わず、頭からは耳が、腰元から尾がぽんっと飛び出て、すっかり狐の姿に戻ってしまう。


「こんな時ばっかり、隊長言うな。そしてひっつくな」


烏丸は心底嫌そうに、俺の頭を右手で押しやりながら、左手で酒を呑み続ける。


烏丸の右手ごしに、親父がそっと、俺の皿に油揚げを入れてくれたのが見えた。

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