6.甘い毒を囁く

 私が闘病している間も、年に何度かは絵美から誘いがあり、出掛けたり酒を飲んだりする事があった。

 

 絵美は、会うたびに私にこう言った。


「無雲は頑張らなくて良いのよ。だって、こんなに病気で苦しんでいる。世の中なんて辛い事だらけ、面白くない事だらけよ。世間の厳しさなんて、知らなくていいんだわ。だからね、無雲は社会復帰なんて考えなくて良いの。社会になんて出る必要無いわ」


 絵美の言葉は、甘い毒のようだった。私は、自分を甘やかして生きていた。『病気だからこのくらい大目に見てもらえるだろう』そういう想いをいつも持っていた。


 しかし、その柔らかい毒は、確実に私の事を崖っぷちに追い込んでいたのだ。


 私の闘病生活は、実に十四年に渡った。その間に、友達は皆就職し結婚し子供を持っていた。私は、専門学校を卒業してから大した実績も何も残せていないままだった。


 定職に就く事も無く、結婚もせず、ましてや子供など夢の夢だった。


『若い内の苦労は買ってでもしろ』


 昔はこんな言葉も世間に流れていたが、時代は変わっていた。私は頑張る事を放棄していた。


『病気だから頑張らなくてもいい』


 頭の底には、こんな甘い考えがあったのだと思う。そこを見透かしたように、甘い言葉を掛けてくる絵美の事が心地よかった。


「私は今のままで良いんだ」


 そう、私に思わせていたのだ。それが、闘病生活を長引かせた一つの理由になっているとも分からずに。


 私は何と愚かだったのか。もっと早い段階で、真摯に病と向き合っていたら、もっと早くに社会復帰を果たしていたかもしれないのだ。

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