そうだ、反乱しよう!
「……これで分かったじゃろ?」
まさかまさかの青龍の戦闘拒否に皆が唖然とする中、仙人が溜息交じりに告げる。
「青龍を使って反乱なんて出来んことを」
続けて仙人が「というわけで青龍よ、いつもと同じ願いで頼む」と願うと、青龍は『その望み、叶えよう』との言葉を残して空をぐるりひと回りして河の中へと帰っていった。
「……あ、青龍の玉が!」
そして頭領の男の手から青龍の贓物がするりと抜け出して空高くへ舞い上がると、どこかへ飛んで行ってしまう。
代わりに天からは白くて小さい三角形の薄い布がひらひらと仙人の手に舞い降りてきたのだった。
「……ちょっと仙人の爺さんよ、さすがにこれは意味分かんねぇよ。説明してくんねぇか」
切り札をあっさり失った頭も悲惨だが、やる気満々だった芭蕉はそれ以上に虚しい。
頭の中に浮かび上がっていた戦闘俳句が次々と霧散していくのを黙って見送るのは、まるで目の前のお菓子を食べる前に取り上げられた子供のようだ。
「簡単じゃよ。おぬしの力が青龍の力を上回っておった。だから青龍はお前を倒せという願いを叶えられなかったわけじゃ」
「んなもん、まだ何にもやってねぇのになんで分かるんだよ?」
「それが分かるんじゃ。何故ならワシは何度も青龍にお願いをしておる。あやつが戦いに向いとらんのはワシがよく分かっておるのじゃ!」
「そう言えばさっきも『いつもと同じ願い』と言っていたが……爺さん、その白い布が願いごとか?」
「うむ。『この地に永久の繁栄を』という願いを受け取ったという証じゃよ」
他でもない仙人が言うのだ、間違いないだろう。
「それを何度も何度も説明してやったというのに、こやつらはワシの言うことをちっとも聞かんかったんじゃ!」
そう言って仙人は頭領の男の頭をアカザの杖でぽかりと殴りつける。
「痛ェ! 爺ちゃん、いきなり殴りつけるなんて酷ェよぅ」
それだけで頭領は涙目になった。
「図体がでかいだけの泣き虫のくせに気を大きくしおって! そんなうつけ者はこうじゃ!」
ポカリ、ポカリと仙人が強かに杖を打ちつける。
大して強く叩いていないのにも関わらず、男の顔はたちまち腫れあがった。
「やめてよ、爺ちゃん! 肌が弱いんだから、俺!」
「うるさいわい! こうしてやる! こうしてやる!」
ポカポカ。
かくして青龍河の貧民窟民たちによる反乱は無事未然に終わったのであった。
……とんでもない茶番であった。
「と言うわけでお前さんの仕事は終わりじゃ。ご苦労さんじゃったな。道中気を付けてとっとと帰れよ」
「おいおい、ちょっと待て。そもそもなんでこいつらは反乱なんて起こそうと思ったんだよ?」
「そんなもん、こいつらが青龍の力を手に入れて気が大きくなっただけ――」
「それは違うよ、爺ちゃん!」
顔面ボコボコになった頭の男が仙人の声を遮ったかと思うと、突然芭蕉の前にぴょんと飛び出してきて地面に両手をついた。
見事なジャンピング土下座である。
「あんた、お願いだ! 俺たちを助けてくれ!」
「どういうことだ?」
「
「なんだよ、やっぱりちゃんと反乱を起こす理由があったんじゃねぇか! 爺さん、なんだ黙ってた?」
「だってワシ、ひとりで静かに暮らしたいし。こっちに引っ越してきた時は、ワシ以外誰も住んでおらんかったんじゃ。ところがこいつらがやって来た途端、あっという間に集落を作りおって。ワシの隠者生活が台無しじゃ!」
「だからって無茶苦茶な撤去命令に賛成すんのか、あんたは?」
「そういうわけではないが、どうしようもないじゃろ。相手は県令じゃぞ? 下手に逆らって兵を差し出されたら、こいつらみんな皆殺しじゃ」
わがままな仙人ではある。が、一応は住民たちのことも考えていたらしい。
いや、もしかしたら本心はそっちの方なのかもしれなかった。仙人にツンデレ疑惑浮上である。
「んー、だけどよ、俺もここに来る途中に近くの山から見たけど、この貧民窟がまるで龍の爪みたいでなんかいいなぁって思ったんだけどなぁ」
「だよなぁ! あんた、話が分かるじゃねぇか! そう、俺たちはここの景色に一役買ってるんだ!」
頭領は頭を上げると、これまたぴょんと飛び上がって芭蕉の肩をバンバン叩く。
まるで長年のマブダチのような、あるいは居酒屋で意気投合した飲み仲間の如くである。
「あんた、ホントに調子がいいな……。まぁ、いいや。俺もせっかくの青龍との戦いがあんなことになって不完全燃焼もいいところなんだ。なんとかしてやるよ」
「おい、おぬし。なんとかするってなにをするつもりじゃ!?」
「何って、そりゃ決まってるだろ」
反乱だよ、と芭蕉は事もなさげに言った。
「ば、馬鹿か! おぬしはその反乱を未然に防ぐために来たんじゃろうが!」
「ああ。でもこのまま帰ったら試験に合格しないかもしれんだろ? やっぱりちゃんとした実績を残しておかんとな」
「反乱が実績になるわけなかろう!」
「いや、そうでもない。なんたって天子様の愛すべき民が官吏によって不当に追い出されようとしているんだ。それを正してやったとなったら、あら不思議、反乱がたちまち官吏の不正を諫めたことに早変わりするんだな、これが」
「むぅ。まぁ確かにあの天子の性格を考えたらそれもありえようが……しかし、一体どうやって県令を懲らしめるつもりじゃ?」
仙人の問いかけに芭蕉はにやりと破顔して答える。
「そこで爺さんにお願いだ。悪ィけどちょっと俺も雲に乗せてくんない?」
県令のいる街は青龍河が黄河に合流してしばらく行ったところにあった。
さすがにこの辺りで一番大きな街である。周りをぐるりと高い城壁で囲み、その内部は整然と立派な建物が立ち並ぶ。
四方の門からはひっきりなしに荷物を積んだ馬車が行き来し、笑い声や客を引き寄せる掛け声、店員と値段にまつわるやり取りの声などが今日も今日とて街に充満していた。
どーん!
そこへいきなりの爆音が鳴り響いたのだから、町民たちは一瞬跳び上がるほどに驚いた。
一体何が起きたのかと誰もが辺りをきょきょろ見渡す中、どこからともなく声が聞こえてくる。
『吹き飛ばす 石は浅間の 野分かな』
すると今度は激しい風が巻き起こって、街の道にある小石と言う小石を一気に空高くへと吹き飛ばしてしまった。
なんだなんだと不思議がるに、どうやら声は町の一角にある兵舎から聞こえてきたらしい。
いざという時に備えて最大で数万人の兵をも収容出来る大きな兵舎だ。その敷地にはこれまた広大な訓練地も備え付けられている。
その壁に町民のひとりが手を掛けると、ひょいと身体を上に持ち上げて中を覗き込んだ。
「な、な、なにィィィィィィィ!?」
中の様子に思わず叫び声をあげた。
一体何が起きたのであろうか、数十、いや数百の兵士たちが一斉に吹き飛ばされたかのように、地面へ伏して気絶している。
ただ、その中にあってふたりだけ両足で立っている者がいた。
ひとりはアカザの杖をついた老人。そしてもうひとりは小柄ながらも日焼けしてよく引き締まった体躯の若者である。
「というわけでさ」
その若者が口を開いた。
と同時に「ヒィィィィィィ」と情けない声が兵舎の訓練地に響き渡る。
県令だ。普段は横柄な態度で民衆たちを見下す、ぶくぶく豚のように太った県令が、今は腰を抜かし、股間と尻を付いた地面をしたたかに濡らして若者を見上げていた。
「何て言ったっけ? ああ、
あわあわあわと言葉にならぬ言葉を吐くばかりの県令。普段の威厳が見る影もない。
「天子様から追って沙汰が出るじゃろう。それまでは軽はずみな行動は控えるのがおぬしの為じゃぞ」
続けて老人の言葉に、しょんべん垂れの県令はがっくりと首を垂れるのだった。
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