番外編その1:これが本当の治試験です!

芭蕉、暗殺者に間違えられる

「おー! 確かに見えるわ、龍の姿に!」


 山の頂から眼下を見下ろす芭蕉はその壮大な眺めに感嘆し、あやうく一句詠んでしまうところであった。

 松尾芭蕉は捻り出した俳句が具現化してしまう天才俳人である。もしここで龍にまつわる俳句なんぞを生み出してしまったら、麓の村は上を下への大騒ぎになってしまうであろう。

 

 便利ではあるが気軽に俳句を詠めない、実に難儀な男であった。

 

 さて、それはともかくこの地に流れるふたつの大河に黄河と長江がある。そのうちの黄河に流れ込む支流のひとつに青龍河と呼ばれるものがあった。

 左右へ激しく蛇行する流れが、今の芭蕉のように近くの山から見下ろすとまるで龍のように見えるので昔からそう呼ばれているのだが、わずかここ数年でその姿かたちはますます迫力を増している。

 青龍河の周りに、多くの浮浪者が住み着いたからである。彼らは川の周りにボロ板を寄せ集めるだけ寄せ集めて作ったボロ屋を建てた。これが近年膨大な数に膨れ上がり、まるで龍の胴体から延びる手足の爪のような形を作り上げたというわけだ。


 いわゆる貧民窟スラム街。しかし、天子はそう称さなかった。代わりに天子が口にしたのは――。

 

「仙人の村?」

「うむ。あの国には朕の先生だった男・仙人がおる」

「マジで!? それはちょっと会ってみたいな」

「芭蕉殿ならばそう言うと思った。なので芭蕉殿には彼からの手紙にあった依頼を治試験としよう」

「仙人からの依頼って一体なんだよ?」

「それを朕の口から言うのは憚られる。仙人先生から聞くとよい」


 言葉は丁寧ではあるが、言ってしまえば芭蕉への試験内容を仙人に丸投げしただけである。

 そんなことでいいのか、治試験?


 だが、芭蕉は仙人に会えることに夢中で、そんなことは気にも留めない。二つ返事で受け入れた。

 松尾芭蕉、なんだかんだで実は根が単純な男でもあった。

 

「ありがたい。先生も芭蕉殿のような稀代な傑物と会えて喜んでいただけるであろう。さて次に義忠よ、お前には熊を退治してもらいたい」 

「く、熊……ですか?」


 思いもよらぬ案件だったのだろう、義忠が目を丸くしながら一瞬言葉に詰まった。


「とある村で熊による被害が多発しておるのだ。まだ人を襲ったという報告はないが、人肉の味を覚えられてしまうと厄介なことになる。なのでこれを討伐してもらいたい。やってくれるな、義忠」

「か、かしこまりました!」


 今度は試験にかこつけて面倒事を無理矢理押し付けた形だが、それでも天子からやってくれるなと言われて義忠が断れるはずもない。

 義忠は深々と頭を下げて熊討伐の案件を拝領した。

 

「次にクゥ。そなたには都の民を楽しませてもらいたい」

「……どういうこと?」

「長らく平和が続き、民たちの生活は安定しているが、決してその暮らしぶりは豊かではない。そして残念ながら彼らに楽をさせてやるにはまだしばらく時間がかかる。なのでせめてものの報いとして、民に楽しみを与えたいのだ」

「……空、そういうのやったことない」

「だからこそ試験になるのだ。空よ、そなたも気付いていない自分の価値を見出してみよ」

「……分かった。やってみる」


 対して空に与えられたものは芭蕉たちのと比べると、なんともあやふやなものである。

 どうにも試験内容に一貫性が見られない。もしこれで試験官が天子ではなかったら、他の官吏からツッコミが入るどころか、受験生たちからも苦情がくるかもしれない不平等さだった。

 

 が、天子が試験官を務めるのなら、これほど最適なものもないであろう。

 何故なら科挙とは天子の治世をお助けする上級官吏を決めるもの。なれば無事合格して上級官吏になれば天子からありとあらゆる厄介ごとを拝命するのは当たり前であり、それがひとりひとり異なるのもこれまた当然であった。

 言うならばこれは本番の為の試験。真に科挙として相応しい内容なのである。


「さて、それでは仙人様とやらに会いに行くとしますか」


 芭蕉は山頂からの風景を心ゆくまで堪能すると、慎重に下り始めた。

 冷たい風で身に纏ったボロ布がバタバタとはためく。吹き飛ばされてなるものかと芭蕉は必死に押さえた。旅に生きる芭蕉であるから、普段着ている服もあまり綺麗とは言えない。しかし、これから赴くのは貧民窟。そのナリでは綺麗すぎると、空がわざわざ貸してくれた例のボロ布、もとい一張羅であった。

 

 それを風で吹き飛ばされて無くしましたなんてことになれば、命がいくつあっても足りないだろう。


「あと命が足りないと言えば、今回の件も気を引き締めていかんとな。あの天子様のことだ、楽な案件な筈ないもんなー」


 芭蕉とて馬鹿ではない。

 科挙に合格しても官吏にはならないと明言している自分を天子がどう扱うかなんて、うすうすと気付いてはいる。

 それでもやはり仙人と呼ばれる人物に出会えるのは純粋に楽しみだったので、慎重ながらもその足取りは軽かった。

 

 

 

 貧民窟と言うのは仲間意識が異常に強いものだ。

 仲間は家族同然の扱いを受けるものの、他のグループや余所者に対しては基本的に敵、もしくはカモとしか思っていない。

 なのでいくら空のボロ布を纏って浮浪者のようにふるまっても余所者は余所者、危険な目に遭う可能性は高いと芭蕉は用心していた。

 

「おー、よく来てくれたな、兄弟!」

「待っていたぜ!」

「あんたが来てくれたら鬼に金棒だ」


 ところがまさかの大歓迎である。しかも

 

「なんと、あのボロ布を纏っているとは」

「知っているのか?」

「ああ、あれは北の暗殺者が纏ってる奴だ」

「マジか!? これはまた凄い奴を呼び寄こしたもんだ」


 行き交う人々から漏れ聞こえてくるヒソヒソ話から察するに、どうやら空から借りたボロ布がその理由らしい。

 空のボロ布、恐るべし!

 というかボロ布だけで暗殺者とバレたらマズいような気もするが、単に知っている人が博識だっただけということにしよう。


 さて、それはともかくお目当ての仙人の庵は青龍河のボロ板小屋が立ち並ぶ一角から少し離れた所、栗の木の下に隠れるような形であった。

 もともと青龍河は長く人が住まなかった未開の地である。今でこそ河川付近は貧民窟の巣となって大勢の人が暮らしているが、ちょっと奥まで入れば途端に人の手がかかってない、野趣溢れる風景が広がる。

 運良く勘違いされて歓迎された芭蕉であったが、それでも到底人の往来があるとは思えない、獣道のような道へと案内されては、庵が見えてくるまで「これは身ぐるみ剥がれるんじゃねぇの?」と不安を覚えるほどであった。

 

「失礼するぜ。俺は松尾芭蕉、天子様に言われてやってきた。あんたが仙人か?」

「ああ、ワシが仙人じゃ。ようやく来よったか、待ちくたびれたぞ」


 扉代わりに吊り下げられたむしろをくぐって中へ声をかける芭蕉は、すかさず返事をする老人の姿を見て「おおっ!」と感動に打ち震えた。

 仙人に出会ったことは初めてだが、目の前の老人はなるほど話に聞く仙人然とした風貌をしている。腰まで伸びる髭は勿論、眉毛まで真っ白く、ツルツルの頭は額が恐ろしく高い。おまけに座る傍らには天頂部でとぐろを巻くアカザの杖が置かれているのだから、これはもうどこから見ても仙人であろう。

 

 後で雲に乗るところも見せてもらおうと芭蕉はワクワクが止まらなかった。

 

「えらく若いもんを寄こしてきよったもんじゃのォ。それでおぬし、一体何人連れてきた?」


 そんなワクワク状態の芭蕉に、仙人が変なことを問いかけてくる。

 芭蕉が「ん?」と首を傾けた。


「だから近くの街に兵士どもを待機させておるのじゃろう? 何人じゃ? 言ってみぃ」

「いや、俺ひとりだが?」

「…………は?」

「天子様からあんたの依頼に応えるのが試験内容だって言われたから来たんだが?」

「試験内容じゃと? おぬし、一体何者じゃ!?」

「だから俺は松尾芭蕉、科挙の受験生だよ」

「受験生じゃとぉぉぉぉぉ!?」


 くわっと目を見開く仙人が大声をあげると、少し遅れて屋根からぽすんぽすんと音が聞こえた。

 どうやらあまりの大声に栗の木が揺れて、棘に包まれた実が屋根に落ちてきたらしい。

 さすがは仙人、声で栗の実を落とすとは! と、さっきまでの芭蕉なら感極まっていたところだが、さすがにこの話の流れではそうも言ってられなかった。

 

「おい、ちょっと話が見えないぞ。一体どういうことだ?」

「ったく、あのクソガキめ! ワシがあれほど切羽詰まった状況だと文にしたためたというのに何を考えておるのだ!?」

「切羽詰まった状況って?」

「……はんらんじゃよ」

「はんらん? 川が氾濫するってのか?」

「そっちではない! この貧民窟の連中が反乱を企てておるのじゃ!」


 ああ、なるほどと芭蕉は強かに自らの太ももを打ちつける。。

 空に借りたボロ布のせいで暗殺者に勘違いされているのは分かっていたが、暗殺者を歓迎する理由までは分からずにいた。

 なるほど、どうやら彼らは蜂起に反対するこの老人を除外するつもりのようだ。

 

「で、仙人様はその反乱が起きる前に鎮圧してしまおうと天子に文を送ったわけか」

「そうじゃ。決起しとらん今ならまだ間に合う」

「でもよ、兵士を何人も送らせておいてタダでは済まねぇぞ? 誰かが責任を取らなきゃいけねぇ」

「だからワシの首を差し出すと文に書いたのじゃ。なのにあのクソ天子め!」

「ああ、なるほど。完璧に話が見えたわ」


 怒りに打ち震える仙人とは裏腹に、芭蕉は妙にすっきりした表情を浮かべた。

 つまり天子はこの反乱を内密に済ませるつもりなのだ。なので兵士ではなく、芭蕉ひとりを送り込んだ。

 さすがは天子、優秀ではあるが部下にはならないと公言する受験生を最大限に働かせるには最適な方法である。

 

「そういうことなら早速鎮圧しちまうか。ちょっと脅してやれば連中もその気をなくすだろ」

「馬鹿者! それでなんとかなるならワシがとっくにやっとるわい! そもそもおぬしひとりで何が出来ると言うんじゃ!」


 仙人が再び激昂すると、その振動でぽすんぽすんと庭の木から栗が絶え間なく落ちてくる音が聞こえてくる。


「んー、そうだなぁ。とりあえずこんなことが出来るんだが」


 しかし、芭蕉は気にも介すことなく、一句捻ってみせた。

 

『世の人の 見付けぬ花や 軒の栗』


「なんじゃいそれは!?」

「俳句ってんだ。それより仙人様よ、外に出てみな。面白いもんが見れるぜ?」


 渋る仙人を芭蕉が手を貸して無理矢理にでも外へ出させる。するとそこにあったのは……

 

「なんじゃこりゃ!? 栗の木が……栗の実が全部綺麗に無くなって代わりに花が咲いとるじゃと!?」


 ちなみに栗の花が咲くのは5~6月頃。その3~4ヶ月後に実が成る。

 なお栗の花は独特の匂いがあって、苦手な人も多い。どんな匂いなのか知らない人は調べてみよう!

 

「ああ、俺が俳句で咲かせてみせた」

「そんな馬鹿な! さっきのは詩とはとても呼べぬ短さじゃったぞ!」

「それを可能にするのが俳句って奴さ。しかし、この臭さはたまんねぇな」


 芭蕉がパチンと指を鳴らすとまるで動画の早送りのように花が枯れ、元の栗の実をたわわに実らせた木へと変貌した。

 

「なんと! まさかおぬし、贈物ぞうぶつ使いじゃったのか!?」

「は? なんだよ、贈物って?」

「贈物は贈物じゃ! おおっ、素晴らしい! その力なら問題ないぞい!」


 仙人が手にしたアカザの杖を興奮気味に振り回す。

 その様子に芭蕉は「仙人のくせしてえらく直情的だな」と少し呆れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る