第三十五話:友の屍を越えて

 その歌を芭蕉も当然知っていた。

 だから当然、具現化する。具現化してしまう。それはどうにもならない。

 だが、具現化する内容に抵抗することなら出来た!

 

〈大海の 磯もとどろに 寄せる波〉


 たちまち唐土の地に再び日ノ本の海が再現される。

 ただし今度は日本海ではなく太平洋。本来なら鎌倉にほど近い三浦三崎海岸の海で詠まれたとされている。

 

 しかし、芭蕉はその凄まじいばかりの想像力で舞台となる海の舞台を変えてしまった!!

 

「おおっ! 懐かしいやんけ、この雅な景色……まさか松島かいな!」


 そう、松島である。

 日本三景のひとつに数えられるこの景勝地に、たまらず阿倍仲麻呂も心の声で感嘆した。

 

「そうだ! 松島だ!!」

「そやかてなんで松島なんや? あ、まさかてめぇ、本歌取りほんかどりをキメるつもりなんか!?」


 本歌取りとは既にある歌の趣向などを取り入れて新たに制作する、言わばリスペクト作品である。

 現代ではリスペクトとか言っても単なるパクリじゃねぇかと思われがちかもしれない。

 が、昔は万葉集や古今和歌集などの古歌の教養がないと出来ないウルトラテクニックであり、めっちゃクールだと持て囃されていた。

 

 ちなみに阿倍仲麻呂が絶賛詠唱中の〈大海の 磯もとどろに 寄せる波〉から始まる短歌もまた、万葉集に収録されている歌の本歌取りである。

 

『松島や』


 仲麻呂に続いて詠唱を始める芭蕉。

 しかしその声をかき消すようにして、突如として地響きが地面の奥深くから轟いてきた。

 仲麻呂の歌がいよいよ佳境、超弩級の攻撃力を誇る下の句に入ってきたのだ。いくら芭蕉と言えども、いや、芭蕉だからこそここからの具現化共振を防ぐ手立てはない。

 

〈割れて〉


 まずはその一言と共に石段が次々と割れ、芭蕉たちを飲み込まんとばかりに襲い掛かってくる。

 落ちたら冥界へ一直線であろう。保和殿の石段は今や黄泉比良坂へと化した!

 

『ああ松島や』

 

 それでも芭蕉は詠唱を中断めることなく、さらには襲い掛かる裂け目を避けつつ石段を登り続ける。

 

〈砕けて〉


 そんな芭蕉に非情にも阿倍仲麻呂の第二波が襲い掛かった。

 岩をも砕く無数の拳が、芭蕉の身体を強かに殴りつけてきたのだ。

 

「うおおおおおおおっっっっっっっ!!!!」


 その芭蕉の前に漲らんばかりの闘気を纏った偉丈夫が立ち塞がる!

 

「ここは俺に任せろ芭蕉!」


 義忠である。

 芭蕉の性格からして手を出されるのを嫌がるであろうと思い、義忠はこれまで応援の声はかけても傍観に徹していた。


 だがここに至って考えを改めた。


 思えばこの科挙試験、ずっと芭蕉に教えられてきたではないか。

 武試験や生試験では無駄な死人を出さないように策略を練り、金試験では弱き民のことも考えた奇策に出た芭蕉。やろうと思えばもっと簡単に合格できたものを、芭蕉は常に他人のことを考えて動いてきた。

 まるで鉄門で芭蕉を見捨てた自分へ、正義の力とはこのように使うのだと教えるかのように。

 正義とは己の損得を顧みず、ただ人を助けるためだけに使うべし、と。

 

 その教えが、その生き様が、義忠を揺り動かす。

 そう、まさに芭蕉によって義忠の中に真の正義が具現化された瞬間と言えた。

 

「俺は曽義忠! 俺の正義を見るがいい!!」


 拳を迎え撃つのは……そう、拳である。

 義忠は闘気を纏った拳で、襲い掛かる拳を次々と撃ち落とす。


 とは言え、最強の短歌で具現化された拳相手に義忠もただではすまない。ひとつ撃ち落とす度に肉が裂け、固く握りしめた指の骨が砕かれる。

 それでも義忠は怯むどころか、芭蕉の歩みを止めてなるものかと拳を迎撃しながらも前へ、芭蕉の盾となって共に石段を登っていく。

 たとえもう二度と戦えぬ身になろうとも、この拳は今まさにこの為にあったのだとばかりに義忠は最後まで己の正義を貫き通した。

 

〈裂けて〉


 気絶してでも拳の連撃を塞ぎ切った義忠。その身体がどうと倒れるのと同時に、仲麻呂は次なる攻撃を発動させる。

 拳に続いて今度はかまいたちであった。

 鋭い風の刃が芭蕉を切り裂かんと四方八方から襲い掛かってくる。

 

 カキンッ! カキンッ! カキンッッッ!!

 

 しかし、その悉くを短刀が弾き返した。

 

「……今度はクゥの番」

 

 両手に短刀を構えた空が、まるで天を舞うように芭蕉の周りを跳び回りながら、かまいたちに斬りかかる。

 その姿はもはやこれまで闇の世界で生きてきた、暗殺者のそれではない。

 ソードダンサー……芭蕉という光に導かれた空の、新しい姿であった。

 

 最初は芭蕉を上手く利用するつもりだった空。

 武試験でのやり取りから、芭蕉と天災がいずれぶつかり合うのは明白。ならばそれに乗じて傷を負ったり隙が生まれた天災を自分が討とうと目論んだ。


 なのにいつからだろう。芭蕉そのものに空は強く惹かれていった。

 おそらく自分とまるで正反対だったからだろう。人を殺すことで生きてきた空と違い、人を生かすことに力を振るう芭蕉の姿が眩しく感じた。

 加えて。

 

「……行け、芭蕉!」


 それはただ石段を登れという意味だけではない。芭蕉にはどこまでも前に進んで欲しいという空の切なる願いである。

 芭蕉は力試しで科挙へ参加したと言う。試験が終わればまたどこかへ旅立っていく。まだ見ぬ世界を見るために、旅はどこまでも続いていくのだ。

 その生き方もまた、祖父の仇さえ取れればあとはもう死んで構わないと思っていた空に光を与えた。

 何をしたらいいのかはまだ分からない。何が自分に出来るのかも分からない。

 

 だけどこれからは自分も芭蕉のように生きたいと空は思った。

 

「……行っちゃえ、芭蕉!!」


 かまいたちがついには竜巻となる。

 暴風が空の羽織る暗殺者のボロ布を天高く吹き飛ばし、さらには身に纏う服も無残に切り刻まれ、露わになった柔肌へ無数の切り傷を刻んでいく。

 それでも芭蕉の旅をこんなところで終わらせないという空の意地だけは、最後まで裂かれることはなかった。

 

「はっはっは! いいダチを持ったやないか、松尾芭蕉」

「ああ、この旅で得た最高の友だ」

「そやけどお前ではワイのところまでは辿り着けんやろな」

「はっ、何言ってやがる。石段もあと残りわずか五段じゃねぇか」

「その五段が難しい。知っとるやろ? 三代目鎌倉殿・源実朝が詠んだこの歌の最後を」

「勿論だ。だが、俺はそれでもてめぇのところまで辿り着く!!」


 心の会話の終わりと共に、ふたりは同時にそれぞれの終わりを紡ぐ。

 

〈散るかも〉

『松島や』


 ついに完成した仲麻呂の〈大海の 磯もとどろに よする波 われて砕けて 裂けて散るかも〉に対するは、芭蕉の『松島や ああ松島や 松島や』。

 戦いの行く末はいかに? 次回、完全決着!

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