第三十三話:ハイスピード
唐突ではあるが、松尾芭蕉には忍者説が根強くあるのを知ってるであろうか?
これは芭蕉が伊賀出身者であることもあるが、著書『おくのほそ道』において一日に50キロ余りも歩いたという健脚ぶりに起因するものである。
若かりし頃ならいざ知らず、『おくのほそ道』の旅に出たのが45歳であるから、当時の食料事情による健康面や路面状況などを考えればこれは確かにかなり足腰が丈夫なおじさんだったと言えよう。
が、実際のところはと言えば……。
「ほっ!」
阿倍仲麻呂の発する歌留多攻撃の声に応じて、芭蕉が跳ぶ。
「はっ!」
最初こそ思わぬ攻撃で不覚を取った芭蕉であったが、タネが分かれば対応するのは簡単だとばかりに避けまくる。
「やっ!!」
それは芭蕉の小倉百人一首に対する深い理解度の表れであった。
何故なら小倉百人一首における決まり字(下の句が確定する字のこと)の法則はいくつもあり、それを全て完璧に把握しておかないと競技者の怨念が込められた不可視の張り手を躱すことなど不可能だからだ。
「わははっ! さすがは俺様!」
ただ、やはり知識だけでは足りない。
決まり字を完璧に覚えてさえいれば小倉百人一首に勝てるわけではないように、圧倒的な機動力を必要とする。
それを可能にしているのが芭蕉本人の身体能力と、そしてなによりも
「この
先の俳句で芭蕉の足元を紺色に彩る草鞋のおかげであった。
当時の草鞋は使い捨てである。日常生活ならばいざ知らず、旅に出たりすると三日ぐらいでダメになったりするのだ。
しかし、芭蕉が俳句で生み出すこの草鞋は機能性、耐久性ともに抜群。
芭蕉忍者説を生み出した健脚の秘密はまさにこの草鞋にあった。
「ほーん、まだ石段の三分の一ほどしか進んどらんのに無敵とは調子こいとるのぉ、お前」
「悔しかったら黙らせてみろよ、仲麻呂先輩よ!」
「はっ! 調子こきすぎて吐いた唾飲まんとけよ!」
まだ距離はある。
にもかかわらず阿倍仲麻呂の放つ雰囲気が変わったのを芭蕉は敏感に感じ取った。
どうやらここからが本番らしい。短歌の神髄を見極めんと、芭蕉の神経もチリチリと火花を放つ。
〈ふ〉
保和殿に響き渡るような力強い詠唱の声に、芭蕉はすかさずその場から跳んだ。
同時に頭の中の
おそらく威力では仲麻呂が詠む短歌の方が上だろう。
だが、俳句は詠唱速度において短歌に勝る。先に具現化させてしまえば、向こうの威力が高まる前に対消滅させることが出来るはずだ。
〈吹くからに〉
『吹き飛ばす』
仲麻呂に続いて芭蕉も詠唱にかかる。
と、その時、石段の中央を走る
「なにっ!? うおおおおおおおおお!?!?」
突然発生した嵐が芭蕉を飲み込み、空高くへとその身を放り投げた。
「何故だ!? 何故、詠唱が終わってないのに具現化する!?」
猛烈な突風に身体をもみくちゃにされて上下の感覚がなくなったこともあるが、それよりも詠唱具現化の法則を無視した攻撃こそが芭蕉の頭を混乱に陥らせた。
考えられるのは芭蕉の俳句をも凌駕する超高速詠唱……しかし、それは嵐の轟音の中でも聞こえてくる仲麻呂の詠唱がいまだ途中であることからも否定出来る。
ならば何故!?
わけがわからぬまま、突風が上昇気流から急激な下降気流に変わり、芭蕉は強かに石段へと叩きつけられた。
〈吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしというらむ〉
強烈な衝撃にあやうく手放しそうになった意識を、辛うじて仲麻呂が詠む短歌の声が繋ぎとめてくれた。
「どや、松尾芭蕉? 短歌の醍醐味を喰らった気分は?」
「ううっ……さ、最高だぜ……まさに天へも昇る心地だったわ」
「ははははっ! 俳句などという半端モンを嗜むくせして上手いこと言うやないか、松尾芭蕉!」
「俳句が半端モノだと!?」
「ああ。所詮は
空高くから叩きつけられたダメージは大きく、身体のあちらこちらでアラートが鳴っている。
それでも芭蕉は立ち上がると、階上の阿倍仲麻呂を睨みつけた。
俳句を出来損ないと言われて黙って食い下がる芭蕉ではない。一泡どころか二泡も三泡も、それこそ蟹が口から泡を吹くぐらいに見返してやろうじゃねぇかと全身に力を込める。
「ほう、文屋康秀の短歌を喰らってもなお立ち向かってくるんか」
「あったりめぇだ。せっかく短歌の神髄に触れることが出来たんだぜ。なのに一発喰らっただけで終わらせてたまるかッ!」
「その心意気は買ったる。そやけどなァ、てめぇでは絶対に勝てんのや」
なんせてめぇは賢いからなァと続けざまに仲麻呂が〈ちはやぶる〉と短歌を詠み始めた。
これまた小倉百人一首の有名な一首、在原業平の『ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは』だ。
「ちっ! 嵐の次は血染めにするつもりかよっ!」
そうはさせじと、芭蕉はすかさず対処出来る一句を俳句世界記憶から検索する。
検索に掛かった時間、わずか0.001秒。そこから詠唱へ入るのにも1秒としてかからなかった。
これなら決して短歌に負けるはずがない。それなのに――。
「くそっ! まただ! また詠唱が終わってもいないのに具現化してきやがった!」
仲麻呂の詠唱はいまだ〈神代も聞かず〉にも読み終わっていないのに、芭蕉の肌からポツリポツリと粟立って血が滲み出てくる。
「どういうことだ? 歌はまだ完成していないのに何故具現化を……いや、まさか歌は完成しているのか!?」
実は俳句にも同じような手がある。
以前にも少しだけ紹介した『閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声』がそれだ。これは小石に別の俳句を封じ込めておき、その小石を投げ飛ばすことで詠んだ内容を具現化させることが出来る。
だが仲麻呂にそのような様子はまるで見て取れなかった。
それにまだ詠唱も続けている。ということは詠唱には何かしらの意味があるという事だ。
「そうか、そういうことだったのか、阿倍仲麻呂!!」
己の身に起きる異変から考えるに、阿倍仲麻呂は詠唱とは別の方法で短歌を一瞬のうちにして完成させている。
しかしその完成の為にはやはり詠唱が必要。
この二律背反とさらにはこの直前に阿倍仲麻呂が言い放った言葉……『芭蕉は賢さゆえに勝つことが出来ない』、これらを総合して導き出される結論はただ一つ!!
「てめぇは俺の……俺の頭の中で歌を完成させてやがったのか、コンチクショウ!!」
芭蕉は短歌の世界にも深く通じている。
故に仲麻呂の詠む歌が分かる、分かってしまう、全てを詠み終える前に!!
〈ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは〉
かくして詠唱が終わる頃には、芭蕉の服は全身から噴き出した血で紅に染まりあがっていた。
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