第三十二話:歌留多

 英傑廟……それはこの地において稀代なる功績を上げた英傑たちの魂が眠る霊廟。

 誰がいつ造ったのかは定かではなく、どこにあるのかも分からない。

 ただひとつだけ分かっているのは――天子だけがその場所を知り、英傑廟に眠る英霊たちを呼び起こすことが出来るということだけだった。

 

「――というのをこの国に辿り着いたはいいものの、空腹のあまりに浜で倒れていたところを介抱してくれた爺さんに教えてもらってな。だったら阿倍仲麻呂も呼び出せるんじゃねぇかなぁと思って科挙を受けることにしたんだ」

「……そんな理由で科挙を受ける人、芭蕉しかいない」

「そうか? 呂布奉先と一戦交えてみてぇとか、王義之に自分の書を見てもらいてぇとか思う奴、結構いると思うけどなぁ。てか、お前だって他人ひとのこと言えない目的じゃねぇか」

「……それであの朝衡ちょうこう? 阿倍仲麻呂あべのなかまろ? とにかくあの人って凄い人なの?」

「ああ。若くして唐へ渡った大天才さ。古今和歌集にも詠んだ和歌が入っているぜ。『天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも』ってな」

「……芭蕉の俳句より長いよ?」

「短歌っつーんだ。まぁ、俺の俳句のご先祖様みたいなもんだな」

「……ふーん。でもだったら芭蕉の楽勝」


 詩人の具現化能力は絶大ではあるが、いかんせん最後まで詠唱しないと効果を発揮しないという問題がある。

 故に詩人同士の戦いではいかに早く詠唱できるかが最大のポイントだ。


 短歌は31音、俳句は17音。クゥの言うように、芭蕉の方が圧倒的に有利である。

 

「普通の歌人ならそうだろうな。だが、相手は天才歌人・阿倍仲麻呂、きっと奴も世界記憶アカシックレコードを持っているはず。しかも俺のよりもずっと歴史が長く、格調も高い短歌世界記憶タンカ・アカシックレコードをな」

「……芭蕉、震えてる?」

「武者震いだ。まったく、こんな大物と戦えるなんてよ、海を渡った甲斐があったってもんだぜ!」


 芭蕉が階段の頂点、保和殿のテラスに立つ阿倍仲麻呂を見上げる。

 腕組みをして見下ろしてくる仲麻呂は、太陽を背にしていることもあってどこか神々しくもあった。

 

「俳人・松尾芭蕉、参るッ!!」


 自らに檄を飛ばすような大声を発して、芭蕉が一気に階段を駆け上がろうと足を踏み出す。

 仲麻呂は相変わらずガイナ立ちをしたまま、優雅に〈め〉から始まる短歌を詠み始めた。

 

「ぐはっ!!!!!」


 と、いきなり芭蕉が苦痛の声を上げて、足をかけた一段目に這いつくばった。

 明らかに足を滑らせてのこけ方ではない、何らかの攻撃を突然頭上から食らっての反応である。


 だがその攻撃が一体何なのかは芭蕉の近くで見ていた空も、仲麻呂の傍で見守っていた義忠たちには分からなかった。

 なんせ仲麻呂は『め』としか言っていないのだ。短歌の具現化攻撃ではありえない。


 何が起きている? と皆が混乱する中、再び仲麻呂が口を開いて今度は〈す〉と発した。

 

「ぬおおおおおっっっ!!!」

 

 するとどうだ、今度は横っ面を思い切りはたかれたかのように芭蕉が吹き飛ばされた。


「これは一体どういうことなのだ、先生?」

「ワシにも分かりませぬ。まさか朝衡殿は一音で完成させる詠唱技術をお持ちか!?」

「芭蕉! 大丈夫か、芭蕉!? しっかりしろ!」


 どよめく天子たちの横で、義忠が大声で階下の芭蕉へと呼びかける。

 が、芭蕉の身体はぴくりとも動かない。

 

「なんやつまらん。所詮はこんなもんかいな」


 阿倍仲麻呂の顔色が曇る。

 天子に召喚された英霊は役割を終えると再び眠りにつくのが決まりだ。故に久しぶりのシャバを少しでも長く楽しもうと、適当に仕事をするタイプもいて、仲麻呂もその口である。


 しかし、つまらない戦いに興ずるほど性格がねじ曲がってもいなかった。

 仲麻呂は三度口を開き〈いま〉と二言発し、次の一言で戦いに終止符を打つことに決めた。

 

「どりゃああああああ!!!!」


〈いま〉に続く三言目の言葉は〈は〉であった。

 が、それを打ち消すような大声で芭蕉が気合を入れると、自らの足で跳ぶ。

 

「おっ! やるやん! そうこうへんとな!」


 芭蕉の復活に思わず破顔する仲麻呂。

 

「……芭蕉、大丈夫?」

「ああ、思ってもいなかった攻撃で面喰らっちまったが、なんとか大丈夫だ」


 辛うじて階段の一段目に残った芭蕉は、口からペッと血を吐き出した。

 どうやら一撃目の時に口の中を切ったらしい。

 

「……あの攻撃、なんなの?」

「あれはな、歌留多かるたって奴さ。俺の国で遊ばれているものなんだが、さすがは長い歴史を誇る短歌、まさかこんな攻撃が出来るとはよ!」


 確かに短歌は俳句よりも長い。

 だが、その歴史は俳句よりもさらに長く、故に様々な進化を遂げてきた。 


 小倉百人一首歌留多もそのひとつだ。

 上の句を読み上げ、それに続く下の句の書かれた札を取り合うこの遊びは、当初こそ藤原定家が纏めた小倉百人一首を覚えるためのものであったが、やがてどれだけ多くの札を取り合うことが出来るかを争う競技となり、勝利を追い求めた結果、二つの恩恵を短歌にもたらした。

 

 ひとつは驚異的な詠唱速度である。

 賢明なる読者の方の中には気付かれた方もおられたであろう、阿倍仲麻呂が発した『め』と『す』は小倉百人一首かるたの有名な一枚札(上の句の最初の一文字で下の句が確定する札)の決まり字だ。

 これは即ち最初の一文字だけで短歌を成立させてしまう、驚異的なチート技である。

 

 とは言え、さすがにそれだけでは短歌本来の力は発揮されない。

 しかし代わりに本来の短歌にはない、副次的な攻撃力を歌留多は生み出した。

 小倉百人一首歌留多の競技化が進むにつれて競技者の札を取るハンドスピード、そしてその威力は天井知らずに高まり、ついには具現化するに至ったのだ。

 

 すわなち芭蕉を這いつくばらせ吹き飛ばしたのは、見えない競技者たちの張り手であった!!

 

「しかも奴は歌留多攻撃だけで、短歌は最後まで詠んでやがらねぇ! くそう、遊んでやがるな、あの野郎!」

「……芭蕉、勝てない?」

「ふん、まぁ見てろって!」


 ぱんぱんと両手で頬を叩いた芭蕉は『あやめ草 足に結ばん 草鞋わらじの緒』と一句詠む。

 たちまち芭蕉の擦り切れてボロボロだった草鞋が、菖蒲を思わせる鮮やかな紺の染め緒の新品へと変貌した。

 

「さぁ、お楽しみはこれからだぜ!」

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