第三十一話:力試し

「殿試だって!?」


 天子の宣言に思わず声を上げたのは義忠であった。

 殿試とはかつて知力一辺倒の科挙時代に行われた、合格者の順位を付けるために行われた科挙最終試験だ。


 が、実はもうひとつ、この殿試には隠された意味がある。

 そもそも科挙とは天子のもとに優秀な人材を集め、天子の力を高める為に行われた。

 しかし、科挙人気が高まってくると本来の目的にそぐわない弊害が出てくる。当時の科挙は知力を測るものだが、今の試験のように決まった答えがあるわけでもないので、自然と試験官の好みが大きく影響した。なので合格した受験生たちが「試験官を務めた官吏のおかげで合格できた」と恩義を感じ、試験官を師と仰ぐようになったのだ。


 そうなると当然、試験官を務めた官吏の中に巨大な派閥を持つ者が現れる。

 かくして天子の力を高めるはずが、一部の官吏の権力を強めることになってしまった。

 

 そこで殿試である。

 殿試とはそれまでとは違い、試験官を天子が務めるのだ。

 もっとも実際は官吏が採点を行うのであるが、殿試上位者は「天子様に自分の才能が認められた!」と感動し、改めて天子に忠義を尽くすわけである。

 

 ただそれは旧式の科挙での話。

 今の科挙は完全に実力制で、試験官のおかげで合格など有り得ない。故に科挙が原因で派閥化することなどなく、殿試は意味をなさないと近年は行われていなかった。


 それでもということは、少なからず開催されたこともあるということでもある。

 何故か? 理由は簡単である。

 本来は合格者の順位を決める殿試とは言え、科挙の試験の一部。もしここで無様を晒せば落第もある。

 つまり天子の意に沿わない合格者を落とす為に近年では行われているのだ。


 しかもそのような意味で行われるものであるから、試験内容の難易度たるやこれまでの比ではない。

 

「畏れ多いながら天子様に申し上げます。あのふたりは官吏にはならないと公言しておりますが、それは決して天子様を軽んじてではございません」


 慌てて進言する義忠。これまでのやりとりで天子は芭蕉たちに寛大だとばかり思っていた。ましてや芭蕉には殿呼ばわりするなど、慕っていた感すらある。

 しかし科挙は国家の安寧に必要な人材を登用する為のもの。腕試しや親の仇取りに利用されては、天子としては内面で面白くなかったのかもしれない。

 

 それでも義忠にとってふたりは苛烈な科挙の試験を助け合って勝ち抜いてきた、かけがえのない友。見捨てることなど出来るはずもなかった。


「ふたりは――」 

「おいおい、一体どないなっとるんや!? この時代の天子様は科挙に合格したばかりのぺーぺーに意見されるほど権威が落ちとるんかいな!?」

 

 その義忠の進言を、突然、変な訛りで遮る者がいた。

 背後からの声に義忠が驚いて振り返ると、保和殿の中からひとりの男がゆっくりと出てくる。

 雅な足運びからしておそらくは貴族であろう。にしては妙な訛りで話すものだと義忠が不思議がっていると

 

朝衡ちょうこう様!!」


 天子が呼んだその名前に、思わず口をあんぐりと開けて驚かずにはいられなかった。

 

「おう、天子様。見てたで、さっきの戦い。いやー、面白おもろかったわ。たまには召喚されんのもええもんやね」

「そう仰っていただけると、こちらも骨を折った甲斐があったというものですよ」

「で、あいつと戦えばええんやな?」


 ついと足を進めて男が見やるのはテラスの下、こちらを不敵な笑みを浮かべて見上げる若者・松尾芭蕉。

 

「俳句とか言っとったな。短歌の下の句を切り落とすとは、なかなか生意気なやっちゃ」


 だが男はそんな不遜な態度がかえって面白いとばかりに口元を歪めると、芭蕉に向かって大声を張り上げた。

 

「おい、そこの若いの! 今からこの朝衡様がてめぇを試験したるわ。そやな、ここまで上がって来れたら合格や!」

「はっ、ふざけんな! 今すぐそこまで行って叩きのめしてやんよ!」


 対して芭蕉も負けずにやり返す。

 その様子を天子も仙人もふたりのやり取りを面白そうに見やる一方で、

 

「馬鹿! 芭蕉、この方がどなたなのか知っているのか!?」


 義忠が慌てて芭蕉を窘めた。

 

「知ってるさ、朝衡だろ? さっき天子様が名前を呼ぶのがこっちにも聞こえてきたしな」

「馬鹿! その名前だからお前にはぴんと来ないんだ。いいか、この方はな――」

「だから知ってるって。朝衡、すなわち阿倍仲麻呂あべのなかまろだろ?」


 阿倍仲麻呂――芭蕉たちの時代から遡ること約900年前、遣唐使として大陸へと渡り、唐の玄宗に仕えた日本人。

 唐での名前は朝衡。李白や王維といった当時を代表する詩人にも親交のあった文人であり、そして。

 

「俺の国の人間で唯一、科挙に奴だ!」


 そう、隋の時代から1000年以上続く科挙の歴史の中で、これに合格した日本人は阿倍仲麻呂ただひとりである。

 唐の時代であるから旧科挙で、宋の時代ほど受験生が多かったわけではないが、それでもこの難関を見事に突破した功績は今もまことしやかに語り継がれている。

 

「ってちょっと待てや。、ってどういう意味やねん?」

「本当かどうか疑わしいって言われてるぜ、あんた」

「なんやそれ! ちゃんと合格したっちゅーねん!」

「だけどよ、そもそも他所の国の連中が科挙を受験出来るようになったのは濱貢科が出来てからだって聞くぜ?」

「ンなの知らんわボケッ! ごちゃごちゃぬかしとらんでとっと階段を登れや! てめぇがこのワイを所望したんだろうが!」


 かつての偉業が疑問視されていることに激おこな仲麻呂が、くぃくぃと右手を動かして芭蕉を挑発する。

 ごちゃごちゃ言い始めたのはそっちの方じゃねぇかと苦笑する芭蕉。だが、これから始まる戦いに胸の高まりは抑えきれない。


「おい、どういうことだ、芭蕉? お前が朝衡様を所望しただって?」


 そこへ義忠が聞き捨てならぬ言葉の意味を問いただしてきた。

 

「そのまんまの意味さ。俺は阿倍仲麻呂と戦いたかった。さすがは天子様さ。俺が言わずとも心を読んで、この英霊を召還してくれたんだ」

「なんだって!? なぜそんなことを!?」

「だって最初から言ってたじゃねぇか」


 ニヤリと笑う芭蕉。

 

「力を試す為に科挙を受けたってな」

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