第三十話:決着

「俺の俳句で天災の力を封じ込めてやるから、その瞬間に殺れ」


 天災との戦いへ挑むにあたって、クゥが芭蕉に言われたのはそれだけであった。

 であるから天災の超圧力に束縛された状態で稲妻が次々と飛来した時はさすがに生きた心地がしなかったし、さらには突然辺りが日本海へと変貌し、海底に沈む羽目に遭わされては「芭蕉、殺す!」と思ったものだ。

 

 しかし束縛は海中の身になってほどなくして解け、天災の身に何か異変が起きているのを悟った。

 そして荒波を隠れ蓑にしてふたりの様子をしばらく観察し、天災の力が消滅したのを知った空はついに祖父の仇を取る時が来たと確信したのである。

 

「……った」


 握りこんだ短刀の刃先は確実に天災の心臓へ狙いを定めている。

 先ほどは不可視の障壁に遮られたが、今ならその刃は届くはずだ。

 

 ガギンッッッッッッッ!!


 しかし、天災とてそう簡単にやられるわけにもいかない。

 いまだ知識中枢は混乱しているが、それでも瞬時に最低限の機能を回復させ、その力を全て右手に集めて左胸をカバーする。

 結果、右手の前に文字や数字の羅列、さらには様々な模様が入り乱れる知識の障壁が出現し、辛うじて空の短剣を受け止めたのだった。


「LP*T$間に!Sviあった」

「しまった! もう回復させやがったか!」


 まだこの世には存在しない未来の俳句によって天災の知識中枢を混乱させるとは言っても、その異常状態がどれだけ長く続くかは芭蕉とて正確に測ることは出来ない。

 それでも空が不意を突く時間は稼げるはずだと思っていた。

 ところがその予測を遥かに上回る天災の回復速度……やはり天災、恐るべしである。

 

「……こいつ!」

「rW無駄2ゲs無駄無駄無駄ッ!」


 バグった言語が回復するにつれて、障壁がますます堅固なものになっていく。

 さすがにこのままではマズいと芭蕉が意を決して叫んだ。

 

「すまん、空! こいつは俺が仕留める!」


 空の短剣ではもはやこの障壁は打ち破れないが、芭蕉の俳句であれば今ならまだ間に合うはずだ。

 芭蕉は頭の中で俳句世界記憶ハイク・アカシックレコードを超速度で検索し、最適解を導き出した。

 

! 天災は空が殺るッ!」

 

 しかし、空がそれを許さない。


「もう無理だ! 引け、空!」

! こいつはお祖父ちゃんを殺したッ! お祖父ちゃんの仇は空が取るッ!」


 祖父への想いを込めて、空が短剣へ全力を注ぐ。

 障壁との力比べに、火花がいっそう激しく飛び散った。

 しかし、空の健闘も空しく、刃先は一ミリとて先に進めない。


「諦めろ、空!」

「絶対に! 空は……空はこいつを倒して新しい空になるッ!」


 祖父が家に戻ってこなくなったその日から、この瞬間の為に空は生きてきた。

 祖父の仇を取った後のことなんか何も考えずに生きてきた。


 だけど今は違う。

 天災を倒せばきっとこれまでの自分は終わる、でも代わりに新たな自分が始まる……いつしかそう思えるようになった。


 だから天災を、これまでの自分を、自らの手で殺さなきゃいけないのだ。 


「はっ! はははははははっっっ!! 馬鹿め、私を倒す絶好の機会を逸しましたね!!」


 しかし、そんな空の想いも空しく、ついに天災の言葉が正しく形成される。


「くそっ! 言語機能が戻った!!! 逃げろ、空!」

!」

「あーはっはっは! もう許しませんよ、あなたたち!!」


 力がある程度回復した今、天災は目の前でいまだ短刀を突き出す空を捕らえるなど頭に思い浮かぶだけで事足りた。

 が、それだけではこの屈辱は晴らせない。

 こともあろうにこの自分を芭蕉は凡人と称し、あやうく空には命を奪われようとしたのだ。ただで済ませるわけなどない。


 そうだ、まずはこの鬱陶しい小娘の頭を自らの手で握りつぶしてくれよう――。


 右手の障壁で心臓をカバーしつつ、左手を空の頭へと伸ばす。

 この小娘が惨たらしく殺される様を見て芭蕉は一体どんな反応をするだろうか、想像すると天災の心はさらに昂った。


「ん? なんです、この光は!?」


 それは当初、幽かな光であった。

 ぼんやりと天災の胸元と空の顔を照らし出す、小さく弱々しい光。

 本来ならば気にも留めないような光であるが、天災は昂る心に冷や水を浴びせられたような心地がしてならなかった。

 何故なら対峙しているのは、口惜しいことに自らの知識すらも凌駕する天才俳人・松尾芭蕉、この相手を前にしてどんな些細なことであっても注意しすぎるということはない。


「お祖父ちゃん!!」


 しかし皮肉にも空の叫び声が、天災にそれが奇遇に過ぎないと告げる。

 見れば光の発信地は天災の右手、その中指に嵌めこまれた指輪の宝石によるもの。かつて空の祖父であった宝石が、どういう理屈かは天災にも分からないが光を放っていた。


「お祖父ちゃん、空に力を貸して!!」


 空がその名を叫びながら嘆願すると、光は少し力を強めた。

 おそらく普段の天災ならばこの不思議な現象に、しばし観察を試みたに違いない。この世のありとあらゆる事象を知らずにはいられない天災にとって、いまだ経験したことがないものは最大のご馳走である。


「ええい、孫ともども鬱陶しいですね!」


 だが、今の天災にそんな余裕はなかった。

 空の頭へと伸ばした左手を戻し、忌々しげに輝きを放つ指輪に手を掛ける。


 それは例えばいつも通る道を歩くように。

 椀に注いだ水を飲むように。

 後ろから肩を叩かれて振り向くように、ごくごく当たり前の、無意識な行動だった。


 そしてその無意識にこそ――暗殺者の刃は潜む!!


「熱ッ!」


 天災が手をかけた瞬間、宝石が突如として猛烈な熱を発した。

 これには天災もたまらず左手を離し、代わって指輪を振り落とそうと右手を激しく振り下ろす。

 

 トスン。

 

 だからその時はあまりに呆気なく訪れた。


「……あ」

「あ?」

「……え?」


 誰もが短い声を発して、そこを――天災の左胸を凝視する。

 懸命にカバーしていた右手を咄嗟に振り下ろし、障壁がなくなった天災の左胸に、空の短剣が深々と突き刺さったのだ。

 

「こ、これは何かの間違いです……」


 いまだ我が身に起きた事実を信じられず、呆然と自分の左胸を見つめる天災。


「ええ、そうですとも……この私がこんなことで……」

 

 その視線の先から漏れ出てくるのは真っ赤な血……ではなく、様々な知識であった。

 それはまだ人間だった頃に覚えた論語や左伝、研究の数々、さらには饕餮となって知り得た人類史の秘密に至るまで、天災が蓄えてきたありとあらゆる知識が緩やかに流れ出てくる。

 

「ああっ! 私の! 私の大切な知識がっ!!」


 慌てて天災は零れ落ちた知識を掬い取って飲み込もうとするが、掬った矢先に無残にも霧散して叶わない。

 加えて空が短剣を強く押し込むたびに知識の流出は増え続け、そして。

 

「あああああああああああっっっっっっ!!」


 一気に刃を抜き取るやいなや、知識がまるで噴水のように天災の胸から噴き出してきた。

 

「ああああああああああああああああああああああああああっっっっっ!!!」


 獣のような声を上げて絶叫する天災の目の前で知識が泡のように儚く消えていく。

 何百年とかけて溜め込んだ知識が、このわずかな時間にあっという間に失われていく。

 

「あああ……ああ……あ…………………………」


 天災の声が次第に小さくなると同時に、芭蕉たちの見ている前でその身体がどんどん痩せ細っていく。

 知識とは天災にとって血であり、肉であり、骨であった。その知識が失われ続けていくことはすなわち身体の維持が出来なくなることを意味する。


「……こんな……ことで……私が……」


 天災の頬がみるみるうちに痩せこけ、髪の毛が抜け落ち、やがてボキッと鈍い音と共に身体が崩れ落ちた。

 そして天災の体内から全ての知識が抜け落ちた時、そこには遺灰にまみれた真っ白い衣と、手にはめ込んでいた指輪たちだけが残った。

 

「やったな、空」

「……うん、お祖父ちゃんが助けてくれた」


 主が亡くなった後も輝き続ける指輪たち。

 その中にひとつだけ黒鉛化したものを空は拾い上げると、大切そうにぎゅっと胸に握りしめた。

 

「勝負あり! 勝者、松尾芭蕉、空!」


 響き渡る天子の声。

 これで科挙の全ての試練が終わった……

 

「続けて殿試を行う!」

 

 はずであった。

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