第二十七話:宝石
天子の宣告と同時に、芭蕉たちが歓声を上げながら義忠へと駆け寄った。
「やったな、義忠!」
「……義忠、おめでと」
芭蕉にヘッドロックされ、その頭を
どうやらまだ過集中による瞑想の中にいるらしく、相変わらずのアルカイックスマイルを浮かべるだけで、芭蕉のヘッドロックを振りほどこうとする様子もない。
こうなると至上の微笑もなんだか薄気味悪いキモ笑いに見えてくる。
「おい、義忠。もっと喜べよ! 科挙に合格したんだぞ、お前!」
「科挙に合格……」
「そうだよ! 会試ってのは科挙の本試験なんだろ? その最終試練に勝ったんだから、科挙に合格したんだよ、お前は!」
「合格……」
しかし、さすがに合格という言葉は心に響くようだ。何度も「合格……合格」と繰り返したかと思うと、突如として芭蕉の腕を振りほどき、天を仰いで歓喜の雄たけびをあげようとした。
「こ、こんなの絶対おかしいよッッッ!!」
が、その声を顔笑の絶叫が押し留める。
いまだ雀拳を出したまま、全身を怒りで震わせ、ぐるりと顔を義忠たちへと向けた。
「このボクが負けるなんてありえないんだッ! やっぱりあなたが何かしたんだろ、松尾芭蕉ッ! 許さないぞォォォ!!」
もはやかつての余裕綽々とした顔笑の姿はどこにもない。激しい感情に支配され、拳を握りしめるのも忘れて雀拳の形のまま、芭蕉へと殴りかかった。
ただし、その二本の指は寸分たがわず芭蕉の両目へ狙いをつけている!
「むんッ!」
だが、その両指が芭蕉の目を抉るよりも早く、義忠の正拳突きが顔笑の顔面を捉えた。
「ぶほぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
もろにカウンターで食らった一撃に、顔笑の少年のような身体が宙を舞う。
鼻血で保和殿の階段を汚しながら、転げ落ちていく顔笑。
その身体が階下にいた天災の目の前で止まった。
「う、ううう……い、痛い、痛いよぅ! なんでボクがこんな目に遭わなくちゃいけないんだーッ!」
その嘆きが天に届くとは顔笑だって思ってはいない。
顔笑が届けたいのはただひとり……これまでも彼の為に働き、今もその足元に傅いている天災にだった。
「て、天災様、お願いです! どうか奴らを懲らしめてやってくださいー!」
「私が?」
「お願いします! あいつら、このボクを汚い罠にハメやがったんですよ!」
「だから?」
「だから仕返しにあいつらをぶっ殺して!」
顔笑はそれを求める権利があると思っていた。
だってこれまでずっと天災に尽くしてきたから。
自分は忠実な部下だと証明し続けてきたから。
だからここで天災が自分の恨みを晴らしてくれるのは当然の義務だと顔笑は信じていた。
「どうして私がそんなことをしなきゃならないのです?」
なのに。
それなのに。
天災の不思議そうに、心の底から顔笑が何を言っているのか分からないとばかりの反応に顔笑は一瞬呆然とせずにはいられなかった。
「え? だ、だってボクは天災様の為に身を粉にして頑張ってきたじゃないですか!」
だがそれも本当に一瞬のこと。すぐさま懸命に、人間の心を持たない主人への説得を始める。
「天災様の為に労を惜しまず、金試験だって天災様の分もボクが稼ぎました。なのにどうしてそんなことを言うんですか、天災様!」
もはや何をしても不合格が覆ることはない。それは顔笑だって分かっている。
しかし、そんなことは今やどうだってよかった。
ただ許せない。自分が負けた事をどうしても認められない。この屈辱を晴らしたい。
その思いが顔笑を必死にさせた。させてしまった。
「なるほど。あなたの言うことももっともです」
「あ、ありがとうございますー、天災様!」
もし、顔笑が少しでも冷静になれて、そんなことをしても意味がないと理解出来ていれば。
「これまでを労い、褒美を取らせましょう」
「やった!」
もし、顔笑が天災の本性をちゃんと理解出来ていれば。
「ありがとうございます!」
その後の悲劇は起こらなかったであろう。
「ありがとうございます、天災――」
突如として顔笑の体が何か重いものがのしかかったように、地面へとのめり込む。
「て、天……災……様。い、いったい……なに……を?」
「ですから褒美ですよ。あなたは私のためになりたいのでしょう? だから私に一生仕えさせてあげるのですよ」
ぐしゃり。
顔笑の体が、今度は横からプレス機にかけられたかのように圧し潰された。
「な……なんで……だって…ボク……天災様に……」
「喜びなさい。これからも私と一緒にいられることを」
間違えた。間違えた。
致命的に間違えていた。
人間の姿をした、人間ではない何者かを理解しようなんてことを、人間である自分には出来るはずなんてない。
顔笑がそう気付いた時には、すでにもう手遅れだった。
「いやだ……いやだ……まだ死にたくない……お願いです、天災様……どうか――――」
それが顔笑の発することが出来たまともな言葉の最後だった。
ぶほっ。
ぐえっ。
げぁ。
あとに響くのは顔笑の声なき声。しかしそれもどんどん圧し潰されるに従ってすぐに途絶えた。
それでも圧縮はまるで止まらない。サッカーボール大になった肉塊が、やがては野球ボールほどになり、ピンポン玉になって、それもすぐにパチンコ玉となって、そして。
「やぁ顔笑。綺麗になりましたね」
足元の血たまりの中から拾い上げた顔笑だったものの塊を、天災は愛おしそうに袂で拭き上げる。
血糊が落とされたそれは光り輝く宝石――まごうことなきダイヤモンドであった。
「……そう言えば聞いたことがあるぜ。宝石ってのは地下の奥深く、とんでもない圧力と高熱で作られるって。まさか天災が同じようなことが出来るとはな」
この悲劇を前にして芭蕉が冷静にそう呟けたのは、武試練で同じような光景を見ていたからであろう。
「ば、馬鹿なことを申すな! そんなこと人間に出来るはずがなかろう!」
半面、話には聞いていても実際にその場面を見ていない仙人と天子は違う。
仙人は目を見開いて芭蕉の呟きに反論し、天子はただ吐き気を堪えるのに必死だった。
「だったらバケモノだったらどうだい、仙人の爺っちゃんよ」
「バケモノじゃと?」
「ちょっとあいつをよく見てみなよ」
仙人は言われるがまま階下の天災をじっと見つめ、やがて「なんてことじゃ……」と呟いた。
「信じられん。奴の
「ああ、奴は知識を貪り食う饕餮ってバケモノなんだってよ」
「なんと!」
「そして蓄え込んだ知識を力に代えて圧し潰したり、見えない壁にしたり出来るんだ。あと、宝石を作ったってことはどうやら高熱も発することが出来るようだな」
超常的な力を持つ仙人をもってしても信じられない話だが、目の前で顔笑が宝石にされたのは疑いもない真実である。
信じるしかなかった。
だが、そんな恐るべき相手に芭蕉と空がどうやって勝とうと言うのか。皆目見当がつかない。
「さぁ松尾芭蕉、そんな所にいないで早く降りてきてくださいよ」
皆が畏怖と嫌悪で見つめる中、天災がいつものように涼しげな表情で階上の芭蕉へ声をかける。
「貴方も綺麗な宝石にしてあげますから」
「はっ! てめぇは知識にしか興味がないと思っていたがな」
「ええ、勿論ですとも。ですが、美しいものを愛でる気持ちは人間誰しもが持っている感情でしょう?」
「笑わせんな。バケモンのおめぇが人間の感情を語るかよ?」
「おかしいですか?」
「ああ、おかしいね。てめぇはただ自分にもまだ人間らしい感情が残っていると思い込みたいだけだ。実際はもう心まですっかりバケモノのくせしてよ!」
「ふふふ。そうかもしれませんね。ですが芭蕉、バケモノというのもそう悪くはないですよ。なんせこの身体なら貴方の全てを飲み込むことが出来る」
「ははは、出来るもんならやってみやがれ!」
芭蕉は準備体操とばかりに右腕をぐるんぐるん回すと、階段をゆっくり降り始めた。。
ぺたん、ぺたんと芭蕉の
その中で空は――
誰にも気付かれることなくテラスから一足早く飛び立ち、今まさに天災の頭を目がけて急降下していた!
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