第二十五話:笑え義忠

 ジャンケンとは古くは武術全般が邪拳と呼ばれ、禁じられていた時代に行われた修業にルーツがあるのは、賢明なる読者の方々ならば当然知っておられよう。

 その修行からさらにはジャジャン拳などの強力な武術が生まれたわけだが、それはまぁ置いといて、一般的にはジャンケンは片手ひとつで簡単かつ安全に勝敗を決めることが出来る遊戯として広がった。

 

 石拳グー両拳パー雀拳チョキによる三すくみ関係という、誰にもすぐ理解出来る構造である。


 しかし、ルールが単純であればあるほど、そこには心理的な駆け引きの重要度が高くなる。

 例えば今まさにジャンケンをしようとしたその時、


『秋深し』


 いきなり芭蕉が俳句を詠みだしたとならば、さすがの顔笑とていつもの笑顔が一瞬消え失せるほど動揺してしまう。

 結果。

 

「一本目! 勝者、義忠!」


 雀拳を出した顔笑に石拳を突き出した義忠が幸先よく先勝した。

 

「……芭蕉、余計な手出しはやめてくれんか」

「俺は何もしてねぇぜ、義忠?」

「今、俳句を詠もうとしただろう? これは俺の戦いだ。余計なことはするな」


 義忠は芭蕉に釘を刺すと顔笑へ頭を下げて「すまなかった。今のは無しにしてくれ」と非礼を詫びた。

 

「んー、でも既に勝負は始まっているのに気を取られてしまったボクにも非がありますしー。うん、このまま続けましょう!」

「し、しかし!」

「義忠殿って戦場に出たことはありますー?」

「いや、無いがそれがどうした?」

「命のやり取りをしているのに『卑怯だ』『汚いぞ!』などと抗議してやり直しになります? ならないですよね? これはそういう勝負だって貴方も分かっているはずですよね、義忠殿」

「……分かった。すまない、俺はどうやらあんたを勘違いしていたようだ。そう言えばまだ戦う前の握手も交わしていなかったな。今更だが握手してもらえるだろうか?」

「はい喜んでー」


 義忠は表情をかすかに緩ませ、掌の開いた右手を差し出す。

 しかし。

 

「二本目。勝者、顔笑!」


 顔笑はこれを握り返さず、代わりに雀拳でもって撃退した。

 

「きゃはは、だから言ったじゃないですかー? ここは戦場ですよって」

「…………」


 一瞬の気の緩み。義忠はもう二度と同じ轍は踏まぬと再び険しい顔つきで顔笑に向かい合うのであった。

 

 

 

「あの顔笑とか言う男、あやつも贈物ぞうぶつ使いじゃな」


 いつの間にいたのだろう。気が付けば仙人が芭蕉たちのすぐ近くで杖を突いて立っていた。

 

「……贈物?」

「俺の俳句の具現化みたいに、特殊な力のことを贈物って言うらしいぜ」


 簡単にクゥへ説明すると、芭蕉は顔笑の能力について仙人へ問う。

 

「詳しくは分からん。が、空間支配の類――贈物の力で自分の運を高めておるのは間違いないじゃろう」

「なるほどな。あいつが勝ち続けるのはそういうことか」

「もっとも今回の場合、対戦相手が愚直すぎるというのもあるじゃろうがな」


 仙人が苦笑しつつ、戦況を見守る。

 勝負はすでに四回戦を終えていた。初戦こそ芭蕉の横やりで勝利した義忠であったが、そこからは立て続けに三連敗を喫している。

 それというのも――。

 

「ボクは雀拳を出すぜー! 今度こそ本当に雀拳を出すぜー」

「…………」


 天子の掛け声と共に手を振り下ろすふたり。

 石拳の義忠に対し、顔笑の手は両拳。顔笑の勝利である。

 

「……義忠、また騙された」

「というかあいつ、ずっと石拳しか出してねぇな」

「まったく愚直すぎるわい」


 何か思惑があるのか、それとも単純に騙されているのか。「雀拳で行くぞ」と宣言する顔笑に対して義忠はひたすら石拳を出し、結果、ものの見事に騙されての四連敗。とうとう後がなくなってしまった。

 

「まいったな。やっぱり賭け事勝負を受けるなんて無謀すぎたぜ、義忠よ」

「科挙の試験で賭け事とは前代未聞じゃのぅ」

「……芭蕉、なんとかなんないの?」

「そりゃあ俳句で横やりを入れることは出来るかもしんねぇが、そんなんで勝っても義忠は納得しねぇだろ」

「……どんな手を使っても勝ちは勝ちなのに」

「そういう考えが出来ん男なのさ、義忠って奴は」


 どんな時でもどこまでもまっすぐな男、それが義忠である。

 今はその実直さが、ねじ曲がっている顔笑をなんとか突き破ってくれると信じることしかふたりには出来ない。

 

「ふむ。だが、おぬしの俳句でもどうじゃろうなぁ」


 もっとも義忠とは何の縁もない仙人はドライだ。

 この場にいる誰よりも状況をフラットに把握し、正確な判断を保っている。

 

「あやつの空間支配力はかなりのもんじゃぞ。そう簡単に破れるとは思えん」

「……そうなの? でも開始直後に芭蕉の俳句で邪魔したよ?」

「それは始まったばかりで支配力がまだ弱かったのかもしれん」

「いや、ちょっと待てよ」


 ふと芭蕉が何かを思いついたように、口元へ手を当てた。


「なぁ爺さん、あいつの空間支配能力ってのはなんにもせずに発動できるもんなのか? 例えば俺の俳句は口に出して詠まないと発動しない。そういう条件があいつには必要ないのか?」

「それはありえんのぉ。そんなことが出来たらもはや人ではないわ」

「となると奴の空間支配能力は、何かしらの行為があって発動しているということだ」

「……じゃあそれを邪魔すれば?」

「そうだ、能力を解除させられるかもしれねぇ」

「ほっほっほ。それどころか上手く利用すれば逆に天秤の傾きを変えられるかもしれんぞい。空間支配力とはある条件を最も満たした者に恩恵を与えるものじゃからな」


 仙人の言葉に芭蕉と空は顔を見合わせる。

 果たして顔笑はいかなる方法で空間支配能力を発動、維持しているのか?

 ふたりの脳裏にひとつの答えがたちまち浮かびあがり、一緒に声の限りを尽くして義忠へ叫んだ。

 

「笑え、義忠!」

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