第二十四話:最終試練始まる
その日、宮中を異常な寒波が襲った。
念のために断っておく。国を、ではない。この地方でもない。都ですらない。
宮中だけが突如として氷点下まで冷え込んだ。
季節はまだ晩秋。日に日に寒くなってはきているが、ここまで気温が下がるのはありえない。慌てて下級官吏たちがあちらこちらに火鉢を設置し、暖を取る用意をし始めている。
その中で、しかし、天子は凛とした鋭い声で凍り付きそうな空気を引き裂いた。
「これより会試最終試練第一試合を始める。曽義忠並びに顔笑よ、前へ!」
☆ ☆ ☆
「え!? 俺たちで決めるのですか?」
先日のことである。
治試験が終わって一週間がたったある日のこと、最終試練へと進む五人が宮中へ呼び出された。
五人とはすなわち松尾芭蕉、義忠、空(クゥ)、天災、そして顔笑である。
「そう。最終試練の内容はお前たちで決めるがよい」
ただし合格者は三名までと付け加えた天子が、思いもよらぬ話に目を白黒させる義忠へ微笑む。
「三名とは何か意図的なものを感じますが?」
そこへ天子に負けず劣らずな微笑を浮かべる天災が、しかし、表情とは裏腹な異議を申し立てる言葉を口にした。
「別に意図などない。毎年、合格者は最大三名までと決まっておるのだ。それに申したであろう。合格者は三名まで。三名以下ならば別にふたりでも構わぬ」
「そうでございましたか。ご無礼をお許しください」
「構わぬ。それでお前たちにはこの場で決めてもらいたい。こちらも準備があるのでな」
決めてもらいたい、と言われてもすぐに決まるわけなどない。だからこそ試験というものは予め試験官が決めておくものなのだ。
ただ、
そういった
「あー、ちょっといいか?」
が、そんな義忠の気合を台無しにするような、気の抜けた声を発する者がいる。
「俺、前から言ってるけど、力試しで受験してるからよー。合格しても官吏になるつもりは
言わずもがなの芭蕉である。
「ちょ! 芭蕉、お前何をいきなり言い出すんだ!?」
棄権発言と捉えられかねない発言に慌てる義忠。そこへ。
「空も。空も官吏にはならない」
空まで同じようなことを言い出すものだから、義忠としてはたまったものではない。
「なるほどなるほどー。これは試験をするまでもなく結果が出たみたいですねー」
いつも笑顔の顔笑が一段と顔を愉悦に歪ませた。
天災も指に嵌めた宝石をさすりながら、面白そうに事の成り行きを見守っている。
慌てるのは義忠ばかり。天災たちに「いや、今しばらく!」と声を張り上げ、芭蕉たちの説得に掛かろうと振り向いた。
「でもよ天災、それに顔笑、お前たちが官吏になるのは認められねーんだわ」
しかし、義忠に説得されるまでもなく、芭蕉が天災たちへと睨みを利かす。
「ほう? では一体どうするつもりなのです?」
「決まってる。空たちがお前を倒す」
空も芭蕉に倣った。
「貴方たちが? この私を?」
最初はくっくっくと声を押し殺して笑っていた天災だったが、その声が次第に大きくなって宮中に響き渡る。
「はっはっは。さすがは芭蕉、そうこなくては。天子様、どうやら私たち三人の最終試練は決まったようです」
「うむ。では義忠と顔笑、お前たちはどうする?」
流れとしては義忠たちも戦うのが準備をする方も楽である。
義忠は空気を読んだ!
「では俺たちも勝負を――」
「あ、ちょっと待っていただけますかぁ?」
ところが顔笑が義忠の言葉を遮って待ったをかけてきた。
「天災様は二人相手に戦うというハンデを敢えて受けられたのですよぉ? だったら今度はボクたちが要求する番ですよねぇ?」
「どういうことだ? まさか俺に辞退しろというのではあるまいな?」
「まさかぁ。もはやボクたちも戦うのは避けて通れませんよー。。でもボクは見ての通り、肉体的には優れてないんで、普通に戦えばあなたにはとてもじゃないけど勝てないんですよねー」
「つまりお前の得意な分野――賭け事で決めようと言うのか?」
「ご明察! いかがですか、義忠殿?」
いかがも何もさすがにこれは義忠に分が悪すぎる。
それは顔笑が無敗を誇るギャンブラーであるということもあるが、加えて義忠の裏表無い性格を考えても彼が賭け事に向いていないのは明らか。ここは上手く言い訳を作って回避するしかない。
「……いいだろう。その勝負、受けて立つ!」
しかし、だからと言って逃げたりしない、どんなに自分が不利であっても立ち向かう愚直なまでの実直さが義忠という男の魂であった。
「ただし賭け事の内容はこちらで決めさせてもらうぞ」
「構いませんよー。でも、長い時間をかけて辿り着いた最終試験です。あっという間に決着がつくのは勿体ないじゃないですか。なので一回勝負じゃなくて、先に五勝した方の勝利としたいんですけどどうですかぁ?」
「もっともらしい理由をつける必要などない。それもお前の得意とする方法なのは知っている」
「ははは、バレちゃった。じゃあ三勝した方が勝ちでどうです?」
「五勝でいい。こちらも敢えてお前の土俵に乗ってやる」
「さすがは義忠殿、器が大きいですねー」
顔笑がにこやかに笑いながら
だからその表情が酷く崩れて、今にも声を出して大笑いしそうになっていることを、義忠は知る由もなかった。
☆ ☆ ☆
「曽義忠、顔笑、上へ!」
天子の呼びかけに応じて義忠と顔笑のふたりが緩やかな階段を登り、それぞれ天子を挟む形にして左右に陣取った。
場所は宮中の保和殿のテラスである。
保和殿はかつて殿試と呼ばれる、科挙の最終試験が行われた場所であった。もっとも最終試験と言っても、科挙の合格不合格は先の会試で終えている。
かつての殿試とは単なる合格者の順位をつけるためのものに過ぎず、現在の科挙制度に代わってからはほとんど実施されていない。
なので近年では会試の最終試練の時に使われるのが通例となっていた。
「おおっ、寒い寒い。寒いですねぇ、義忠殿」
「…………」
「こうも寒いと手がかじかんで思わぬ失敗をしちゃったりしますけど……さすがは義忠殿、今回の方法であればそんな失敗はあり得ませんねー」
「…………」
にこやかに話しかける顔笑に対して、義忠は表情を強張らせ頑なに無言を貫く。
恐ろしいばかりに精神を集中させているのが、顔笑に伝わってきた。
そのプレッシャーをまともに受けないよう顔笑は一度視線を外し、自分たちに遅れて階段を登ってきた芭蕉と空を見やる。
本来ならばこの地に登れるのは試練を受けるふたりだけなのだが、今回は特例としてふたりの戦いを近くで見届ける許可が芭蕉たちに下りたのだ。
もっとも天災はそんな申請をするはずもなく、今も階下で退屈そうに指輪の宝石を撫でまわしている。
その無関心さがわずかながら心に影を落とすのを感じて、顔笑は努めてことさらに笑顔を意識した。
「それでは会試最終試練第一試合を始める。双方、用意はよろしいか」
「勿論でーす!」
「御意!!」
問いかけに二人が応じるのを確認した天子が再び声を高らかに上げる。
「ではジャンケン勝負、始めッ!」
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