第二十二話:天子、動きます
芭蕉の檄が効いたのか、天子の行動は早かった。
まずは手始めとばかりに更迭された強欲壺に代わって、金試験の試験官を受け継いだのである。
礼部の官吏たちが慌てて「それでは会試ではありませぬ。殿試になってしまいます」と止めたが、では誰が試験官を務めるかと言うと、ここまでケチがつきまくっては誰も名乗り出ない。
結局、押し切る形で天子が試験官となってしまった。
ちなみに殿試とは天子が試験官を務める(あくまで名目として。実質の試験官は礼部尚書である)、旧科挙時代に行われた最終試験のことだ。
現体制の科挙では滅多に行われないのであるが、それでも天子が試験官をやるとなるとそれは殿試という扱いになり、となればまだ第三試練なのに今回の科挙はこれで終わりとなってしまう。
しかも金試験を行う際に合格者は10名と強欲壺が明言してしまったものだから、これは大変である。
科挙の合格者数は毎回違っているが、この時代は基本的に2人か3人。なのにいきなり10名も合格者が出て上級官吏になるとなると、それこそ宮中が上に下への大騒ぎになってもおかしくなかった。
「結局、今回は例外ということになって従来通り試験はあと残り二回行うことになったのだが、それにしてもつまらぬ形式ばかりに拘りおって実に下らんと思わんか、芭蕉殿」
そう言いながらも天子の顔は実に晴れ晴れしいものであった。
金試験が無事に終わった翌日の午後。場所は貢院の奥、試験官の詰め所である。
本来なら受験生が立ち入ることなど絶対にあり得ないのであるが、今はそれ以上にあり得ない天子がここで職務に当たっているのだから、この謁見を非常識と責めるのは天子がいうところの「つまらぬ形式に囚われている」ということになるであろう。
「芭蕉殿はやめてくれ。受験生のひとりに過ぎないんだから呼び捨てにしろよ」
「ははっ、芭蕉殿らしいな」
「だから殿付けはやめろってーの。というか、早速やってるみたいだな」
「ああ。早速やっておる」
芭蕉の問いかけに天子が満足げに微笑みながら頷いた。
金試験の試験官を受け継いだ天子は、試験が終わったその日のうちに芭蕉たちを除く他の受験生たちを、ひとりひとり今回のように詰め所へ呼び出した。
そして例のプロビデンスの目を使って受験生たちがどうやって金試験の金を工面したのかを探り、民に迷惑を掛けない真っ当な稼ぎ方をした者だけを上位から合格者にしたのである。
また受験生が民から臨時徴収して差し出してきた金銭を、それぞれ元の持ち主へ戻すよう実務に当たる階級の低い官吏たちに直接厳命した。
無論これもまた異例中の異例である。天子が直接こういった命令をすることなどまずありえない。
天子とは総監督みたいなもの、命令はするが、それを受け取るのは各尚書(大臣)たちである。
そして尚書は右腕ともいうべき部下の官吏に指示を出し、その者は下へ伝え、その下の者はさらに下の者へと仕事を投げる。
まさに命令の中抜き状態。中にはいい加減な仕事をする者、命令を曲解する者、サボる者に至っては数えきれないほどいよう。自然、仕事は滞ってなかなか先に進まない。
しかし天子がかくも実務に近いところで、しかも直接指示を出すとなると話は違ってくる。
結果、官吏たちが指示通りにテキパキ動くのでこれまでのは一体なんだったのだと言うぐらいに仕事が捗り、天子はとても充実した気持ちに満たされるのであった。
「まさか朕自らが動くだけでこれほどまでに何もかもが滞りなく進むとは思わなんだわ」
「だけどよ、何もかも自分でやろうなんて思ってたら身体が持たねぇぞ」
「うむ、分かっておる。仕事を任せられる人材が必要だと言いたいのであろう? だからこそ朕がここからの試練を担当する試験官になったのだ。強欲壺みたいなのに任せたのでは、奴にそっくりな者ばかりが合格することになるからな」
「まぁ、確かにあんたのその目で選ぶ奴なら間違いはないわな」
「しかし、これまで金と権力にしか興味のない官吏たちに朕の民が虐げられてきたと思うと義憤に駆られてならん。まぁ、幸いにも芭蕉殿が作り出してくれた黄金がある。あれだけあれば何年も重い税を課す必要もなければ、これまで苦しみつつ朕を支えてきてくれた民たちに恩返しも出来よう。改めて礼を言うぞ、芭蕉殿」
「礼なんざいらねぇよ。俺はただ柿を食べて俳句を捻っただけだからな。礼なら寺を作るのに尽力した義忠と、柿を頑張って運んでくれた
名前を呼ばれて、傍で緊張気味に控えていた義忠は「ついに来た」とひときわ表情を強張らせた。
芭蕉は最初から「所詮はよその国の王様だからー」と天子にくだけた態度を取り続けているが、義忠からすればそうもいかない。そう固くなるなと言われても、どうしても緊張してしまう。
だが義忠には天子にどうしても伝えたい思いがあった。
強欲壺の過去の罪を暴き、父・曽義之の名誉を回復してくれた礼である。
とは言え気軽に話しかけられるような立場ではない。今もいつお礼を述べようかとタイミングをずっと見計らっていた。
そこへ芭蕉からいい感じにバトンを押し付けられる。この好機、逃してなるべきか!
「天子様におかれましては――」
「ああ、義忠よ、この度はご苦労であった。礼を言う」
ところが余計な前口上を言おうとした分、天子に先を越されてしまった。
「え、いえ……」
「それにお前には詫びねばならぬと思っていたのだ。すまぬ、先帝様が強欲壺に騙されたせいで、お前にもお前の父にも迷惑をかけてしまった」
それどころか天子に深々と頭を下げられ謝罪までされてしまう始末。
義忠は混乱した。
「ど、どうか、頭をお上げください、天子様。私はもとより父もあの世で困っております」
「いや、朕こそここで謝らなければあの世の先帝様に顔向けできぬ」
「いやいや!」
「いやいやいやいや!」
お互いに「いやいや」言いながら頭を下げ続ける様子に、芭蕉は「こいつら、俺以上に俺の国の連中っぽいな」と思っていると、この状況を見かねたのか、珍しく空が割り込んできた。
「……ふたりとも、それぐらいにしといたらいいと思う」
「おい、空! 天子様になんて口を」
「……義忠こそ天子様の気持ちを分かってない。天子様は空たちにそんな堅苦しい言葉を使って欲しくないと思っているはず」
「そんなわけ」
「いや、その通りだ」
義忠の反論をあっさりと否定して、天子が頭を上げる。
そして少し驚いたような表情で問いかけてきた。
「空とやら、どうして朕の気持ちが分かった?」
「……だって芭蕉と話している時の天子様は楽しそう。だったら空たちも芭蕉みたいに話した方がきっと天子様も嬉しい」
一瞬、天子はもしや空も自分と同じような眼を持っているのではなかろうかと勘繰った。
天子の子として生まれ、常にそうであるべきという生き方を強いられてきたし、周りもそう接してきた。自分の気持ちを察してくれる者なんていなかった。
だから天子である自分の本音を言葉にせずとも理解してくれる者なんて、自分みたいなプロビデンスの目を持つ者以外はいないものだと思っていたのだ。
しかし、この少女は特別な目を持たなくとも自分の気持ちを察してくれた。
天子である自分を、あるがままに見てくれたのだ。それが嬉しかった。
「空よ、そなたと出会えたのを嬉しく思うぞ。義忠もお互いに畏まるのはもうやめようではないか。それともそなたはまだやはり朕を許してはくれぬのか?」
「いえ、そんなことは決して! むしろ父の名誉を回復していただき、心から感謝しております!」
「ならばお互いもっと気楽にいこうではないか。何故なら我らは共にこの世をより良くしていくのだから」
おおっと義忠が感嘆の声をあげた。
義忠が科挙の合格を目指すのは強欲壺の罪を暴いて父の名誉を回復する為であったが、もとより天子の治世に少しでも役に立ちたいという願望も当然のように持っている。
前者の目的が果たされた以上、天子の片腕として己の才覚を捧げることになんら不満はない。あるはずもない。
「もっともさっきも言ったように科挙はまだ続くのではあるがな」
「おい、なんだよ! 終わったのかと思ったじゃねぇか!」
「すまぬすまぬ。やはりこのまま試験を終わらせるのはどうにも不安でな」
「不安? もしかして天災たちのことか?」
「やはり知っておったか。そうだ。あの者たちも金試験を突破した」
「なんと! しかし天子様、あいつらがまともな方法で金儲けしたとは思えませんが?」
「うむ。顔笑が賭博で稼いだ金だ。綺麗とは言えぬが、民に迷惑をかけたわけでもあるまい。なので仕方なく合格とした。いや、合格にさせられたと言うべきか」
「……どういうこと?」
「恥ずかしい話だが、あの男の心を読んで怖気付いたのだ。もし不合格にしたら、この男は朕を殺すつもりだと分かったからな」
「天災の奴、天子様の殺害を企てるとはなんて奴だ!」
「でもよ、賭博で稼いだって言ったけど、そんなんで金試験に合格出来るほど稼げるもんなのか?」
「ああ。相手となったのは
その名を聞いた義忠と空が堪らず息を飲みこんだ。
「誰? その頭悪そうな名前の奴?」
「芭蕉、お前は違う国から来たから知らんだろうが、暴雷炎はこの国の連中ならその名を言うのも憚るような輩だ。なるほど、奴なら嫌というほど金を持っているだろう」
「なるほど、ならず者の類か。で、その膀胱炎がどうしたって?」
「膀胱炎ではなく、暴雷炎だ。ああ、顔笑が暴雷炎を賭けに誘い、そして倒した」
「ですが暴雷炎が賭けに負けて素直に金を払うとは思えませぬ。奴には腕の立つ者が何人も配下にいるはずですが」
「全て殺された。天災によって、な」
プロビデンスの目は相手の心を読み取る力である。便利ではあるが、同時に見たくないものをみてしまうこともある。
天災のはまさにそれであった。
まるで地獄絵図のような暴力を振るっておきながら、涼しげに笑う天災に天子は思わず吐き気を覚えた。
優秀ではあるかもしれんが、さすがにこの男を宮中に招き入れてはならないと直感が告げていた。
「お任せください、天子様。この義忠、命に代えましても奴らの合格を阻止してみせます」
思い出して気分が悪くなったのだろう、顔色が見る見る悪くなる天子。
その様子を見て義忠が早くも忠誠の証を示した。
「……ちょっと待つ、義忠。天災は空の獲物。これだけは譲れない」
「そ、そうか。だったら俺の相手は顔笑ということになるか。うむ、戦って負けるとは思えんが、賭け事に長けているということは策略にも優れているだろう。油断していたら足元をすくわれるな」
いずれは戦うことになると空も義忠も心に留めていた。今更怖気づくようなことはない。早速ふたりしてああだこうだと予め考えていた戦略を照らし合わせる。
ただ熱中するあまり、芭蕉の様子がいつもと少し違うことにふたりは気が付かなかった。
三人を見守る天子だけが、その事に気が付いた。
義忠の嬉しい発言で気分は既に回復している。
ならば、と天子は両目をかすかに金色へと変えていく……。
「あー、ふたりとも、盛り上がっているところ申し訳ないのだが、第四試練は戦闘ではない」
「え?」
「試練はまだ二回残っているのでな。お前たちに頼む前に、まずは朕の方で奴らを何とかしてみよう」
咄嗟だったので、露骨な言い訳のように聞こえたかもしれない。が、ふたりはその説明ですんなり納得した。
一方、芭蕉の心の内を覗き見した天子は、改めて芭蕉という人物に深い感銘を受けていた。
もし芭蕉が自分の下で働いてくれたら、どれだけ素晴らしい世界を作ることが出来るだろうかと夢を抱いてしまう。
でもそれは決して叶わぬ夢だ。芭蕉という傑出した才能は彼ひとりだけのもの、誰かの懐にしまうにはあまりにも大きすぎる。
「というわけで第四試練だが……」
ただ今の芭蕉はあくまで科挙の受験生と言う身だ。
「お前たちには世直しをしてもらおうと思う」
ならばその才能を今の間は存分に活用させてもらうぞと天子は微笑む。
「第四試練は治試験だ」
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