第二十一話:それだけは避けねばならない
その声に真っ先に反応したのは
すかさずその場に跪くと両手を地面に付き、三跪九叩頭の礼でもって男を迎え入れる。
強欲壺の様子を見て、慌てて後ろの部下たちもその場から後ずさりしながら従った。
官吏たちがみな土下座する中、男が供をひとり連れて芭蕉たちへと向かってくる。
年の頃は芭蕉よりも下。おそらくは15,6と言ったところであろう。が、全身から漂う気品と、頂点に立つ者のみ放つオーラが半端ない。
「おい、芭蕉。控えろ。天子様だぞ」
「んなもん、自分のことを朕って呼んだ時点で分かってるよ」
突然の天子のご来訪を受けて、義忠が左右にいる芭蕉と空の頭を押さえて土下座させようとした。
が、空は素直に従ったものの、芭蕉は姿勢を変えない。むしろふんぞり返って「だって俺、この国の民じゃないしー」とか言い出す始末だ。
「強欲壺よ、朕には空中から黄金が現れたように見えた。お前は違うのか?」
もっとも天子はそんな芭蕉の態度は気にもかけず、年齢には似合わぬ威厳のある声で控える強欲壺へ問いかけた。
「はっ。畏れながら私には地面から飛び出したように見えましたでございます」
「そうか。では芭蕉とやら」
「ん? なんだよ?」
「悪いが俳句とやらでもう一度黄金を出してもらえるだろうか?」
「はっ。言われなくてもそのつもりだよ」
芭蕉は高らかに『柿食えば 金がなるなり 法隆寺』と詠みあげると、手にした柿をむしゃり。
しかし。
「おや? 何も起きないが?」
それまではすぐ空中に金塊が出現したのだが、今回は何も出てこない。
頭を軽く捻る天子の様子に、義忠はよりによってここで失敗するかと顔を青ざめた。
一方、強欲壺はざまぁみろとばかりに平伏しながら顔を歪ませる。
「まぁ、そう慌てなさんなよ。てか、強欲のおっさん、危ねぇから早く逃げた方がいいぜ」
「は?」
名を呼ばれて思わず顔を上げた強欲壺に、芭蕉はにやけながら上を指差す。
つられて強欲壺は視線を頭上に移した。その瞳に真上から自分を目がけて落ちてくる金の延べ棒の大群が映る。
「ヒィィィィィィ!!」
慌てて転げ逃げる強欲壺。
直後にドスンドスンと大きな音を立てて、さっきまで強欲壺が控えていた場所に金塊が次々と落ちてきて山を成した。
その総重量たるやどれほどあろうか。そもそも落ちてきた高さもこれまでとは比べ物にならない。もしあのまま平伏したままであれば、今頃強欲壺は金塊に押しつぶされて命を落としていたであろう。
まぁ、金欲まみれのこの男としてはそれも本望かもしれないが。
「はっはっは。強欲壺、命拾いしたな」
肝を冷やす強欲壺に、しかし、天子は朗らかに笑ってみせた。
「なっ、天子様、笑いごとではございませんぞ! このガキ、あろうことかワシを殺そうとしたのですぞ!」
「しかしそれはお前が自ら蒔いた種ではないか」
「なんですと!?」
「お前は黄金が地面から飛び出してきたと主張した。だからその者は、そうではなくて空中から現れるのだとお前の真上に黄金を出したのだ」
「ですからそれはワシを殺そうとして」
「鈍いな、強欲壺。それはあくまで二の次だ。本命は黄金の出どころの証明、仮にお前の言うように黄金が地面から飛び出してくると言うのなら、お前は黄金に下から突き飛ばされ、今頃は天高くに打ち上げられて落下していたことであろう」
「あ!」
ここに至ってようやく事態を理解した強欲壺の顔から血の気が引く。
昨日一日かけて考えた理が、完全にひっくり返されてしまった。これではもう金塊は芭蕉が空中に出現させたものだと認めざるを得ない。
それはすなわち、義忠をここで落とせないということである。
それだけは……それだけはなんとしてでも避けなければならない!
「ほう、それだけはなんとしてでも避けねばならない、か。何故だ、強欲壺? 申してみよ」
「!?」
ギクッと強欲壺の巨体が震えた。
確かに頭の中でここで義忠を落とせないのはマズイと考えた。しかし、それを口に出すほど愚かではない。
なのに天子は今、まるで強欲壺の頭の中を見透かすように問いかけてきた。
ま、まさか、思考が読めると言うのか? ま、まずい!
「何がまずい? 申してみよ」
「い、いや……それは……」
「そう言えばお前はそこの曽義忠と浅からぬ因縁があったな」
「ど、どうしてそれを!?」
「調べさせた。金と権力にしか興味を持たぬお前が、どうして何の得にもならぬ科挙の試験官に名乗り上げたのか不思議に思ってな」
「ご、誤解です、天子様! ワシはただ皆が怖気づいて試験官をやりたがらんので、このままでは試験が滞ってしまうと仕方なく申し出たまででして」
「であるならば、どうして芭蕉が出した金塊にケチをつけた? 普段のお前ならむしろ大喜びしたであろう? なんせ受験生たちが集めた金や宝の一部は、例によってお前の懐に入ってくるに決まっておるのだから」
「そ、そのようなことは決して!」
「黙れ、強欲壺。先帝は見事に騙せおおせたかもしれぬが、朕には効かぬ。朕には全てを見通すこの眼がある故な」
見れば天子の目がいつの間にか金色の光を放っていた。
アイ・オブ・プロビデンス。
日本語で言うところの『プロビデンスの目』と呼ばれるこの万物を見通す目はキリスト教圏内での概念に思われがちだが、実際は世界各地の優秀な指導者が持っていた
例えば日本では聖徳太子が同時に10人の訴えを聞き分けられたと言われているが、それは耳で聞いたのではなく、このプロビデンスの目でそれぞれの思考を読んだからと言われれば納得していただけるであろう。
「強欲壺、戸部尚書の任を解く。同時に曽義之に自らの罪を被せた件にて処罰する」
「ヒィィィィィ! 天子様、ワシの話を聞いてください! ワシはただ」
「もう聞くべきものは聞いた。おい、直ちにこの者をひっ捕らえて牢屋へぶち込め!」
天子の命令に傍で控えていた男がすかさず強欲壺を拘束すると、あっけないほど簡単に強欲壺をその場から連れ出した。
後には強欲壺の「天子様っ! 天子様ぁ!!」の遠吠えが残るばかり。
「さて、強欲壺は時期を見て更迭しようと思っていたが、お前たちのおかげで事が早く進んだ。礼を言うぞ、松尾芭蕉」
「どうってことねぇよ」
「ところでひとつだけ聞かせてはくれまいか。お前ほどの力があれば、金試験に合格するだけの金などもっと簡単に集めることが出来たであろう? しかし、お前はわざわざ寺を作ったり、遠くから柿を取り寄せたりと手のかかることをしておる。何故だ?」
「ふん、それこそ俺様の心を読めばいいだけの話じゃねぇか」
「いいや、朕は是非ともお前の口から語ってもらいたいのだ」
そう言うと天子はふっと頬を緩ませた。
その表情と口ぶりからおそらくは全部分かっていて言っているのだろう。「ああ、面倒くせぇな」と芭蕉は頭をかきながら、口を開いた。
「まぁ、こんだけありゃあよ、どれだけ無能な奴らでもまともな
「ほう、まともな政とはどういうものであろうか?」
「決まってんだろ。民を思いやり、民を幸せに導く政さ。なぁ天子様よ、ひとつ俺と約束してくんねぇか。この金塊は全部くれてやる。足りねぇって言うならまだまだ出してやる。その代わり、民を苦しめるようなことはもう二度とすんな。あんただって分かってただろ? こんなクソ試験、民を苦しめるだけだって。実際多くの受験生たちが地元へ一目散に帰っていったぞ。きっと親に泣きついて、金を集めさせたに違いねぇ。中には地方官吏の親だっているだろう。そんな奴が手っ取り早く金を集めるとしたら、それはもう民に無茶な重税を掛けることしか考えられねぇ。いいか天子様よ、あんたが止めなかったせいで今日、明日にでも民がくたばっちまうかもしれないんだぜ!」
「お、おい、芭蕉! いくらなんでもそれは口が過ぎるぞ!」
「止めんな、義忠。こいつが俺の口から聞きたいって言ったんだ。だったらとことん言ってやる。あんた、天子になってまだ一年ほどらしいが、そんなスゲェ眼を持っていてなにをちんたらしてやがる? あんたの権力、あんたのその眼があれば、即位したその日のうちにこの国をもっと良くすることが出来たはずだぜ!」
「……ちんたらするのは芭蕉も同じ」
「うっせ。俺のはちんたらじゃねぇの。ちゃんと動くべき時を見計らっているの!」
「それを言ったら天子様だってそうかもしれぬではないか! というか、ヤバいぞ、芭蕉。天子様がさっきから押し黙っておられる……」
義忠の言うように天子は途中から黙って芭蕉の話を聞いていた。
おまけに顔は俯き、表情がどうにも伺えない。さすがの芭蕉もこれは言い過ぎたかとちょっと不安を覚えたその時。
「はっはっは!」
突然、天子が顔を上げて大声で笑いだした。
怒りでも、ヤケ気味でもない、「こりゃまいった」とばかりの朗らかな笑い声であった。
「さすがは芭蕉殿、そこまで包み隠さずはっきり言われるとはな。恐れ入った」
「んなもん、あんたには隠し事なんかしても意味ねぇしな」
「それにしてもそうか、朕がちんたらしているようにお主には思えるのか」
「ああ。そりゃあ権謀術数の蔓延る役人どもの世界だ、あんたが慎重になるのも分かるぜ。でもよ、あんたが躊躇している間にも苦しんでいる民が大勢いるんだ。そのことを考えたら迷っている暇なんてねぇだろ」
「ははは。確かにそうであるな。芭蕉殿、ご忠言感謝する。この黄金も有難く民の為に使わせていただくとしよう」
そして黄金の山を仰ぎながら、天子は高らかに宣言した。
「これをもって松尾芭蕉、曽義忠、空、以上三名を金試験合格とする!」
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