第十九話:寺の名は
「ハァー? 寺を建てるだと?」
部下からの報告を受けた
金試験が始まって既に三日。ほとんどの受験生たちは試験内容を聞くやいなや、一目散に地元へと帰っていった。
本来なら受験生自身の能力が試されるのが科挙である。が、この試験はそうではなく親、いや一族がどれだけ金を集める力を有しているのかを問われているのだと敏感に察したからだ。
つまりはそれだけ大きな金が、この金試験に合格するには必要だということである。
しかも期間はわずか一ヵ月。ちょっとした商売では到底及ばず、まだ世に知られていない金脈を掘り当てるにはあまりに時間が少ない。
なのに悠長に寺を建てるとは一体何を考えているのか?
「いかがしましょうか、強卿? 礼部は曽義忠の嘆願を聞き受け、貢院内部での寺院建立を許可した模様ですが?」
「うむ……して義忠と生試験で共に行動していた者たちはどうしたのだ?」
「
「むぅ。俳句とやらでなにやらとんでもないことをしでかすという男か。まぁ、良い。いくらなんでも金を生み出すなんてことは出来やしまい」
行方知らずなのは不気味ではあるが、それよりも問題はやはり義忠の行動であった。
「ったく一体何を考えておるのだ!? くっ、全く考えが読めぬ」
「恐れ多いながら申し上げます。もしやすると曽義忠は豪商たちのお布施狙いではないでしょうか。というのも貢院に建立する目的として過去に科挙で命を落とした受験生たちの魂を慰めるためであるとか」
「おおっ、それだ! 確かに死亡した受験生の中には有力商人の息子たちも大勢含まれておる。その慰霊のために作られた寺ともなれば、中には大金を寄付する者もおるであろう」
「やはり今からでも礼部に圧力をかけ、建立の許可を取り消させましょうか?」
「…………いや」
部下の提案にしばし強欲壺は思考を巡らすも、やがてにたりと表情を歪ませた。
さすがに寄付なんかで金試験を突破できるほどの大金が集まるとは思えないが、念には念を入れて今のうちに叩き潰しておくべきであろう。
が、また別の方法を考えられて、そちらの対応に追われるのも面倒だ。それよりもここは上手く事が運んでいると相手に思わせておく方が得策である。
「都はもとより各地の豪商たちにも伝えよ。受験生が過去に科挙で命を落とした者たちを慰める寺を貢院に建てるようだ、と」
「は? しかし、それは……」
「そのうえで続けて伝えよ。しかしその寺は貧相なもので到底これでは慰霊にはならぬ。そこで戸部尚書である強欲壺が立派な寺を建てるようだと」
「おおっ、さすがは強卿! となれば誰も曽義忠の建てた寺に寄付などしないことでしょう」
「ただしこのことは他言無用の極秘とせよ。世間はもとより、なにより義忠たちの耳に入れぬよう厳重に言い聞かせるのだ」
「かしこまりました! では早速各地の豪商たちへの通達に動くといたしましょう。それに寺を建てる土地も今のうちに見定めておきましょうか?」
「いや、それには及ばぬ。さぁ、分かったら早く行け」
「ははっ!」
深々と頭を下げて中腰で立ち去る部下を見ながら、強欲壺が鼻で笑う。
今のうちに寺を建てる土地を見定める、だと? 馬鹿な。そんな必要がどこにあろうか。寺なんて建てるつもりなど全くないと言うのに。
言葉には常に裏の顔がある。そして有力政治家や豪商といった権力者とはそんな言葉の裏に精通しているものだ。
今回の一件、有り体に言ってしまえば『義忠たちが寺を建てるが金を落としてはならぬ』ということになる。
が、それをそのまま伝えては体裁が悪い上に、何かあった時には問題となりかねない。
故にああいう形で伝えるのだ。
もっとも過去にはそんな言葉の裏をあえて読み取らず、逆らってきた者がいた。
あの時は思いもかけず破滅の淵に立たされたものだ。
しかし、今回はそうはいかない。今度は自分が得意とする分野で、忌々しき男の息子をも叩き落す。
強欲壺の顔がますますひどく歪んでいった。
「がっはっは! どうでぇ、大したもんだろう!」
それから数週間後。
貢院の片隅に小さな御堂が出来上がった。
勿論、門や塔、講堂などはない。本当に小さな小さな御堂だ。
が、造りはそれはそれは立派なもので、全体を鮮やかに朱塗りされており、壮麗である。とても20日あまりで作り上げたものとは思えないほどだ。
「あ、ああ、凄いな……」
「まぁ、俺たちが本気を出しゃあこんなもんよ!」
上機嫌で今回の寺建立の指揮を取った親方がバンバンと義忠の肩を叩く。
そしてそんな親方の後ろではずらりと並んだ職人たちが、うんうんとこれまた満足げに頷いた。
言うまでもないがこれまでの人生の中で寺を作り上げたことのない義忠である。どれだけの職人が必要なのか全く見当がつかなかった。
ましてや今回は工期が極めて短い。なので親方に出来るだけ多くの職人を集めて、なんとしてでも期日までに作り上げてくれたと頼み込んだ。
報酬は完成時に相場の二倍、いや全員に三倍出すと言って。
そうしたら親方がまさか都の職人のほとんどに声をかけたのだ。
そりゃあ立派なもんがこの短期間で出来るわけである。
やはり金、金は全てを解決する!
ただしその金は、まだここにない……。
「で、この寺の名前はどうするよ、にいちゃん?」
「ああ、それなんだが、実はまだ決めていなくて、な……」
先ほどは寺が出来上がったと書いたが、正確に言えばまだ正式には完成していない。
寺の正面、観音扉の上に空白が残っている。ここに扁額、すなわち寺の名前を記載した額を飾って本当の意味での完成を迎えるのだ。
「だったらとっとと決めてくれや」
「うむ……だが、これだけ立派なものが出来たのだ。やはりそれに相応しいのを考えんとな」
「そんなもん、あんたが建立したんだから
「それはいかん!」
芭蕉に相談もなく、しかも自分の名前を付けたら後でどんなことを言われるか分かったものではない。
それにその名は色々とマズいような気がする、なんとなく。
「あとよぅ、ちょっと気になってはいたんだが……俺たちの報酬はどうなっているんだ?」
「え?」
「これだけの人数、さらには相場の三倍だ。あんたの懐からポンッと出てくるような額じゃねぇぜ?」
「あ、ああ、大丈夫だ。ちゃんと用意している……」
と言いながら、義忠は心の中で「芭蕉、早く来てくれぇ!」と懇願していた。
芭蕉たちとはこの日に再び集まることになっていた。
芭蕉はどこで何をやっているのかは知らないが、まぁおそらくは職人たちに払う報酬をどこかで調達してくるのだろう。
それで果たして払いきれるのかどうか不安ではあるが、この寺は金儲けの為に作ったものだ、足りない時はその金儲けで支払うことが出来るに違いない。
なのでとにかく芭蕉が戻ってきてくれないと話にならなかった。
ちなみに義忠の懐は、肝同様にかなり冷え込んでいる。
「本当かぁ!? あんた、確かにいい体格をしてるし、武芸にも秀でているんだろう。でもよぉ、俺たちだって身体だけは頑丈に出来ている。しかもこれだけの人数を敵にしたらどうなるかぐらい分かってるよなぁ?」
「あ、安心してくれ。そんな騙すようなことなんて」
「だったら今すぐ! ここに!! 金を――」
「おーい、義忠! 待たせたなー!」
親方の怒声をかき消す声が貢院に響き渡り、義忠は安堵の息を零した。
見れば貢院の入口門を通って、馬車に乗った芭蕉がこちらへと向かってくる。横にはこれまた幌で覆われた荷車を馬に引かせる空も一緒だ。
「遅いぞ、芭蕉!」
「悪ィ、悪ィ。ちょっと手間取った。おー、それにしてもまた立派なもんが出来たじゃねぇか! ご苦労ご苦労」
「ご苦労、じゃない! 早くみんなに報酬を払ってやってくれ。それから寺の名前はどうするんだ!?」
「まぁ、そう慌てんなって。よっと、おっとっと」
馬車から降りた芭蕉が二歩、三歩とふらつき、慌てて駆け寄った義忠の腕に掴まってなんとか自分の足で立つ。
「どうした? 大丈夫か、芭蕉?」
「ああ、たいしたことない。ちょっと最近まともに飯を食べてないだけさ」
「そう言えば元の体型に戻って……いや、それどころかかなり痩せたな。一体どこで何をしていたんだ?」
「ちょっと山に籠もっててな」
山籠もりとは義忠も想像しない意外な返答であった。
でも、山に籠もって未だ発見されていない鉱脈を探し当てたのかもしれない。普通なら考えられないが、芭蕉なら十分にあり得る。
「悪ィけど義忠、馬車の中のものをそこらの若い連中と一緒に運び出してくんねぇか」
「おおっ、任せておけ!」
となると馬車の中には希少な宝石の類が積まれてあるのだろう。
期待して義忠は馬車に登ると幌を開けた。
「……芭蕉、これは一体なんだ?」
ところが中身は期待していたものとまるで違った。それどころか
「何だって見たら分かるだろ、御堂に祀る仏像だよ」
「仏像? これが仏像、だって?」
言われてみれば確かに一本彫りの、荒々しい彫刻だった。
しかし誰もが見れば一目で分かるほどに素人の作。
が、問題はそんなものではない。
「だってこれ、お前じゃないかっ!」
そう、芭蕉は仏像と言うが、明らかにそのモチーフとなったのは芭蕉本人であった。
芭蕉がとてもつもないドヤ顔を浮かべて右手をサムズアップさせているという、なんというか見れば見るほど叩き壊したくなる像だった。
「まぁなー。何の仏像を彫ろうか迷いながら作ってたんだが、気が付けば俺になっていた」
「しかも彫ったのはお前かよ!」
「自分でも前から薄々気付いていたんだ。俺ってもはや人間をとっくに通り越して、仏様の領域に入っているんじゃないかって。いやー、図らずも証明されてしまったな、あっはっは」
「あっはっは、じゃない! こんなものを本気で飾るつもりかっ!?」
「当たり前だ。いくら
荷物が金目のものじゃなかっただけでもショックなのに、しかもそれが仏像とは名ばかりの出来の悪い芭蕉フィギュアとあって、義忠の心の中で再び不安がもくもくと広がっていった。
一緒に運んでくれる若い職人たちの冷たい視線も痛い。
彼らだってきっとこの幌の中にはお目当てのものが入っていると期待していたはずなのだ。なのに何が悲しくてこんな胡散臭い像を運ぶ羽目になったのか。
なんだか義忠はとても申し訳ない気分になった。
しかし、まだ空が運んできた荷車がある。
その中身は芭蕉が頼んでいた、空の故郷で獲れる物であろう。おそらくあちらでは安く買えるが、こちらの都では高く売買されているものに違いない。それを売って職人たちへの報酬にするはずだ。
てか、そうじゃないと困る。最悪、殺される。
「よし、んじゃいっちょやるかァ!」
御堂の中に芭蕉像を運び終えた義忠が不安を抱えたまま出てくると、すでに扁額へ寺の名を書き終え、入り口の上へ飾り置いた芭蕉が空の運んできた荷台の幌へ手をかけた。
自然と親方を含む職人たちの目が、荷台の中身へと集まる。
義忠も扁額に書かれた寺の名前を確認することを忘れ、願うような気持ちで芭蕉の外した幌から飛び出してくるものを見やる。
「…………」
そして次の瞬間、中身を知る空と芭蕉以外、全員の目が一斉に点になった。
「……貰ったお金で買えるだけ買ってきた。足りる、芭蕉?」
「おう、十分十分。どれもいい感じに熟れていて旨そうだ」
そう言うと芭蕉は荷台にいっぱい詰まれたそれをひとつ拾い上げて、服の袖でごしごしと汚れを落とすとかぶりと齧りつく。
「うん、うめぇ! やっぱり秋は柿に限るよな!」
唖然とし続ける皆の前で柿を堪能する芭蕉。
しばらくむしゃむしゃと頬張って嚥下すると「では、ここで一句」と宣った。
『柿食えば 金がなるなり 法隆寺』
その直後である。
ゴトンッと何か重いものが落ちる音が『法隆寺』と書かれた扁額を飾った御堂の中から聞こえてきたかと思うと、観音開きになった扉の中からあろうことか金塊が溢れ出てきた!!
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