第十七話:さらば友よ
この時代、ほとんどの上級官吏が科挙の合格者である。
であるからして
どうきな臭いかと言うと、簡単に言えば裏で金が支払われていたのではないかと勘繰れるところがあるのである。
つまるところ、それぐらい強欲壺というのは金の匂いがする官吏であった。
資料によると当時の都で強欲壺に裏金を献上していたと推測される商人は数百人にも及び、また強欲壺から金を貰って彼の昇格を手助けしたとみられる上級官吏もまた十指を越える。
まさに強欲壺の動くところに金の動きあり。なかなかの悪徳官である。
その強欲壺がかつて大きなピンチを迎えたことがある。
部下のひとり、
もちろん強欲壺はこれを強く否定し、逆に曽義之こそが横領の真犯人であり、自分はその罪を擦り付けられようとしていると主張した。
さて、この曽義之なる官吏はどうやら強欲壺とはまるで正反対で道徳と忠義に厚く、汚い金とはまるで無縁の人物であったらしい。
以前から黒い噂が絶えない強欲壺と、天子と民に尽くす忠臣の曽義之。どちらが本当のことを言っているのかはふたりをよく知る者からすれば一目瞭然であり、本来ならばここで強欲壺が失脚するはずであった。
しかし、実際は強欲壺に軍配が上がる。
天子の裁きによって横領の犯人は曽義之となり、彼は職を奪われた上に牢へ投獄された。
ちなみにこの時に強欲壺が周囲にばらまいた金は、官吏たち100人の一年分の給料にもあたったとも後年の研究で明らかになっている。
「その曽義之が俺の親父だ……」
金試験の説明が終わり、強欲壺はおろか他の受験生たちもいなくなった貢院の中庭に芭蕉たちはまだ残っていた。
日は既に中天にかかろうとしている。盛夏は過ぎてもまだ暑さが残る季節、特にデブった芭蕉はじっとしていても汗が滲み出てくるのに、さらには義忠が先ほどから熱い闘気を身体中から迸らせているのだからたまったものではない。
それでも芭蕉は黙って義忠の話に耳を傾けていた。
「芭蕉には前にも話したが、親父が横領なんてするわけがない。あの強欲壺の罠にはめられたんだ」
「義忠の親父さんとは会ったことがないデブが、堅物なお前さんとあの強欲ブタ野郎を見比べたら、どっちが正しいのかなんて一目で分かるデブ」
「……
物騒な物言いだがこれも空なりの励ましなのだろう。でも、やたら滅多に殺しちゃダメ。
「で、どうするつもりデブ? 親父の敵に会えたわけデブが、今のお前では何も出来ないデブ?」
「ああ、悔しいがその通りだ。それでひとつ考えたんだが……」
義忠が硬い表情を少し緩めながらも、どこか苦々しいような表情でその言葉を口にする。
「この金試験、俺はお前たちとは別行動を取ることにするよ」
「水くせぇことを言うなデブ。仇討ちなら付き合ってやるデブ」
「……空も」
「ふたりともありがとう。だが、そうではないのだ。何の証拠もないのに仇を取ったところで親父の名誉が戻るどころか、むしろさらに地へ堕ちるだろう。だから仇討ちをするつもりはない。そうではなく、奴がこの金試験の試験官を務めることが問題なのだ。三ヵ月もの中断があったのは、第三試練の試験官がなかなか決まらなかったからだと聞く。そこへ奴が試験官に名乗りをあげたということは……」
「ああ、つまり奴は受験生の中にお前の名を見つけて、なんとしてでもここで落とすために志願したってわけデブか」
「そうだ。奴は自分の利になることしかやらん。なのに何の得にもならん試験官をやるのは、そうとしか考えられん。だから俺に関わっていたらお前たちだって落とされるだろう。友としてそれだけは避けたい」
言うまでもなく義忠にとっても苦渋の選択であった。
芭蕉と出会って武試験に挑み、空とも出会って生試験を生き残った。
しかし、武試験では何をすることもなく、生試験でも美顔胡の通訳こそしたが、やはり役に立っていない。むしろ芭蕉の真意を見抜くことが出来ずに詰め寄るようなことまでしてしまった。
言うならばここまでこれたのは芭蕉のおかげだ。だから何としてでもその恩義を返したい。
また空とは貸し借りの関係はないが、この幼い少女がとんでもなく苦難な道を進んでいることを知っている。
だから彼女に対しても自分に出来ることがあれば少しでもその手助けをしてやりたいと思っていた。
なのに、このままふたりと一緒にいたら、間違いなく強欲壺は芭蕉たちも標的にするだろう。
自分が落とされるのは仕方がないと耐えられるが、何の関係もないふたりを巻き込むのはとても耐えられない義忠であった。
「だから今回は別行動だ。なに、心配するな。俺は絶対に合格する。だからお前らも」
無事に今回も合格して、俺の分まで科挙を勝ち抜いてくれ――そう言いたいのをぐっと我慢して、義忠は芭蕉たちに背を向ける。
その瞳は前を向き、決してもう二度と振り返ることはない……はずだった。
「おい、義忠。ちょっと待つデブ!」
芭蕉が義忠の肩に手をやると、思い切り力を込めて無理矢理振り返らせた。
「……芭蕉、分かってくれ。俺だって本当はお前たちと一緒にいたい。だが、それだけはダメなのだ。それではお前たちも試験に落とされてしまう」
「あのなぁ、義忠。お前はまた勘違いしてるデブ」
「勘違い、だと?」
「ああ。あのハゲブタがお前を目の敵にしていて、お前と一緒にいたら俺たちも巻き込まれるから別れるとか、そんなのはお前の一方的な都合デブ! ちっとは俺のことも考えるデブ!」
「考えたから別れた方がいいと言っているではないか!」
「いいや、ちっとも考えてないデブ! というか、巻き込まれるというなら、金儲けしてこいってお題を奴が出した時点で、もう十分に巻き込まれているデブ。自慢じゃないデブが、俺は金儲けなんて生まれてこの方やったことがないデブ。その上にお前の助けまでなくなったら、俺が落ちちまうじゃねぇかデブ!」
「……は?」
引き止められることはある程度覚悟していた義忠である。
が、それは友情とかそういうものであって、まさかそんな我が儘な理由で引き止められるとは思ってもいなかった。
「おい空、お前はどうデブ? なにか金儲けのあてはあるデブ?」
「……人を殺せばお金が手に入る」
「やはりそれしかないデブか。となれば少しでも金を多く持ってそうな奴を狙って闇夜にブスリとやるデブ」
「おいちょっと待て、お前たち! 何を物騒なことを話している!?」
「だって仕方がないデブ。お前がいなくなったらもう俺たちに残された手段は殺人強盗ぐらいしかねぇデブ」
「そんなわけないだろう! まともに働くなりなんなり色々と方法はあるだろうが!」
「アホか、そんなことで試験に合格するような大金が手に入るわけねぇデブ。……いや、待つデブ。生試験で獣から人間に戻してやった連中を片っ端から締め上げて、謝礼金として根こそぎ徴収するという手があるデブ!」
「おい、芭蕉! どんどん思考が闇落ちしている! いい加減にやめろ!」
義忠は肩に置かれた芭蕉の手を振り切ると、思わず頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
芭蕉が口ではそんなことを言いつつも、実際はそんな事をしないのは知っている。が、同時に芭蕉が突飛すぎる発想な持ち主であり、なにより俳句がそれを可能にしてしまうことを義忠は十分すぎるほど知っていた。
いざとなれば何かとんでもないことを企てるかもしれない。
その時は誰かが隣で止めないとダメだ。空は……うん、止めるどころか天災を殺るのに合格が必要なら芭蕉以上になんでもやりそうな気がする。
「芭蕉、さっきは俺がいなかったらお前は落ちるって言っていたよな? ということは俺が残ればまだ何かまともな方法で合格できる目途はあるのか?」
「ああ、もちろんデブ。義忠、お前と空が手伝ってくれるのなら、三人とも合格出来る手があるデブ」
もちろん、あのハゲブタがどんな卑怯な手を使っても潰せねぇほどの手デブと言って、芭蕉は強欲壺にも負けないほどの邪悪な笑みを浮かべるのだった。
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