第十六話:強欲壺登場

 最近、どうにも宮中に不穏な空気が漂っている。

 それもこれも今回の科挙のせいだ。

 

 科挙と言うものは国家の安寧の為に、優秀な人物を広く国中から集めて試験するものだ。

 それ故に試験中に受験者が命を落とすことは珍しくない。何故ならそれほど苛烈を極める国政に耐えうる人物が求められているからである。

 科挙如きで命を落とす軟弱者など、まつりごとの場に必要ないのだ。

 

 しかし、死んだりするのは受験生であって試験官ではない。

 なのに今回は最初の武試験でいきなり試験官である剛毅将軍が亡くなった。

 公式には不慮の事故によるものだとされているが、人の口に戸はたてられない。世間の下々はともかくとして宮中で働く官吏たちは、剛毅将軍が受験生の手によって非業の死を遂げたのを知っている。

 

 それだけでも異例であるのに、次の生試験では試験官が役職を罷免、つまりはクビになってしまった。

 

 試験官の立て続けの死亡・失脚なんてことは、長い科挙の歴史でも例にない。宮中がざわつくのも当然であろう。

 しかも運が悪いことに、次の第三試練で試験官を務める予定だった官吏は小心者で有名な男であった。度重なるアクシデントに、次は自分も何かしらの不幸に見舞われるのではないかと気が気ではない。

 そしてついにはその心労が限界に達したのか、第三試験がまだ始まってもいないのにぽっくりと心臓麻痺で逝ってしまった。

 

 ここまでくるともはや祟りである。

 が、祟りだろうと偶然だろうと、とにかく早急に代わりの試験官を決めなくてはならない。

 だが、これが揉めに揉めた。

 そりゃあそうだ、ここまでケチがついた仕事を誰がやりたがるというのだろう。お互いがなすり付け合っては一向に決まらず、とうとう三ヵ月以上ものの時が過ぎ、季節も夏が終わろうとする頃にようやく決まったのが――。

 

「第三試練の試験官は戸部尚書の強欲壺ゴウ・ヨクコになったそうでございます」 


 陽の光も差し込まぬ宮中の奥の奥。簾の向こうにある蝋燭の覚束ない明かりがぼんやりと照らす中、漆黒の衣に身を包んだ男が恭しく報告する。


「ほう。自らに利することがなければ動かぬあの男が、か。くじ引きか何かで決めたのか?」

「いえ。聞き及んだところによりますと、それまでずっと我関せずと決め込んでいた強卿が、突如として自ら買って出たそうでございます」

「……ふむ。何か裏がありそうだな」

「目下、調べております。それよりかの者はいかがいたしましょうか?」

「よい、次はなにをしでかすか、ここは見てみるとしょうぞ」

「承知いたしました」


 その返答とともに蝋燭が消され、部屋は暗闇に包まれる。

 そして男たちの姿もまたいつのまにやらかき消えていた。

 

 

 

「ふぁぁぁ。まったく、待ちくたびれたデブー」


 さて場所は変わって宮中から少し離れた貢院こういんの中庭にて、芭蕉は大きくあくびをして不満をこぼした。

 生試験が終わった後、受験生たちは元の砦ではなく都へと送られた。

 会試の試験も残りふたつ。無事合格すればその場で天子様にお目通りするということもあり、受験生の数もそれなりに絞られたとあっては不正防止の監視もしやすいと、ここからは都にて試験が行われるのだ。


 そして三ヵ月の中断の後、ようやく試験が再開されるとあって受験生たちは貢院の中庭に集められたのであった。


「ったく、待ってる間に夏が終わっちまったじゃねぇかデブー」

「…………」

「こんな所に押し込めやがって、ひと夏の恋もなにもあったもんじゃないデブー」

「…………」

「まぁ、しかし、ようやく第三試練が始まるのは良かったデブー。久々に身体を動かすとするかデブー」


 芭蕉が両腕を空高く伸ばし、頭上で手のひらを組み合わせて背伸びしようとする。しかし……。

 

「手、手が合わせられないデブー。一体何が起きているデブか!?」

「何が起きているって、太りすぎに決まってるだろうがっ!!」


 それまでずっと芭蕉の隣で沈黙を守っていた義忠が、とうとう耐え切れずにツッコミを入れた。

 この二ヵ月あまり、貢院で待つしかなかった受験生たちではあるが、そのほとんどは第三試練に向けて鍛錬を怠らなかった。

 なのに芭蕉と来たら飯は食いまくるわ、食ったら寝まくるわで、義忠の忠告も聞かずにただひたすら怠惰な日々を送り続け、丸々と太ってしまったのだ!

 

「太りすぎ? はっはっは、そんなわけないデブー」

「語尾にデブがつくほど太りながらよくそんなことが言えるな」

「別にデブなんて付けては……って、いきなりなにをするデブか!?」


 義忠が不意に芭蕉の頭を押す。あまり力を入れずに、ゆっくりと。

 が、それだけで芭蕉がコロンと倒れこんだ。まるでダルマだ。ただし起き上がりこぼしのダルマと違って

 

「お、起き上がれないデブー。義忠、助けてデブー」


 地面で両手両足をじたばたさせるだけで起き上がれない芭蕉に、義忠は大きくため息をつくのだった。

 

「……おはよ」


 そんなふたりのもとへいつものボロ布を身に纏ったクゥが、とことこと芭蕉たちへ近づいてくる。


「空、助けてデブー」

「……珍しい。しゃべる豚だ」

「豚じゃねぇデブ! 芭蕉だデブ!」

「……あ、ホント、よく見たら芭蕉だ」


 冗談なのか、本気なのか。よく分からないリアクションをしつつも空が芭蕉へ手を貸して引っ張り上げる。

  

「ふぅ、助かったデブー……って臭っ! めっちゃ臭いデブ! 空、一体どうしたデブか!? お前、めっちゃウンコくさいぞデブ!」

「……ん。ずっと厠に閉じこもってた」

「変なもんでも食って腹を壊したデブか?」

「……違う。天災がウンコしにくるのを待ってた」


 何かにつけて言葉足らずな空ではあるが、だいたい言いたい意味は分かった。

 天災が用を足しにくるところを狙って厠で張っていたのだろう。

 

「あのなぁ、いくらウンコの最中でも天災の命は取れねぇぞデブ」

「……そんなの、やってみないと分かんない」

「分かるんデブ。あいつは常に結界を張ってやがるからデブ」

「……なにそれ?」

「あいつ、いつも汚れひとつない白い服を着てやがるデブ? 生試験の時のことを思い出してみると分かりやすいデブが、あの環境でも顔はおろか服すら汚れていなかったデブ。てことは身体全体に結界を張って守ってやがるんデブ。でもただ汚れない為に結界を張っているわけなんてないデブ?」

「……不意打ちされないため?」

「そうデブ。だからウンコ中だろうと寝ているところだろうと常に結界を張ってるデブよ。お前の短刀なんて軽く弾き返しちまうくらいのデブ」

「……だったらどうしたらいい?」


 空がボロ布の中からじっと芭蕉の顔を見上げてくる。

 その表情は真剣そのもので、まさに人生そのものを賭けている者の目だった。

 

「まぁ、今はようく考えるデブ。それで何か思いつくことがあればまた俺に報告してくるといいデブ」


 だが、だからこそ芭蕉は冷たく突き返す。。

 教わるのではなくて自分で考えて自分で答えを見つける。それが今の空には最も大切なことだった。

 

「それにな、多分だけど天災の奴、ウンコなんてしねぇんじゃないかなデブ」

「……そうなの?」

「ああ、会試が始まる前にあいつが飯を食っているところを見たデブ? あれは飯を食っているという感じじゃないかったデブ。飯の情報を取り入れているって感じだったデブが、あいつが人間じゃなくて饕餮ってバケモノならばそれも頷けるデブ。あいつにとって食事とは栄養じゃなくて知識なんデブよ。だからもしかしたらあいつの知らない知識をしこたまぶち込んでやれば消化不良で腹を下すかもしんねぇデブ」


 ガハハと芭蕉はひとりで笑うが、空からしたら笑い話ではなかった。

 なんせこの数日間の努力が無駄骨に終わったどころか、最初から当たりの入ってないクジを懸命に引くような見当違いも甚だしい行為だったことが分かったのである。


 とても笑い飛ばす気持ちになれない。

 ぶっちゃけ結構へこんでしまって思わず「……デブデブうるさい。このデブ芭蕉」と愚痴るほどだ。

 

「と、とにかくいよいよ第三試練が始まるな。空、良かったら今回も俺たちと手を組まないか?」

「……俺たちってことはこの豚も?」

「ま、まぁ、今の芭蕉では足手まといになるかもしれんが、生試験では助けてもらったのも事実。その借りを返す意味でも……おっと、どうやら試験官がお越しになられて――」


 突如として義忠が口をつぐんだ。

 逆に目はこれほどかとばかりに見開かれ、十数メートルの前方に立って受験生たちと対面する丸々と太ったハゲ男を凝視する。

 その表情は驚きと怒りと喜びが入り乱れては、その度数を常に変えるような複雑なものであった。

 

「受験生の諸君、ワシは強欲壺。戸部尚書である」


 芭蕉に負けず劣らずのブタ男が名乗りを上げると、受験生たちの間からおおっと驚きの声があがった。

 戸部尚書とはざっくりと言えば財務大臣のようなものだ。本来なら科挙は礼部の管轄だが、今の形になってからは様々な官省の官吏が試験官を務めている。

 が、それでも礼部尚書以外の別の大臣が試験官を務めるなどというのは異例中の異例であった。

 

「いいかね、諸君。官吏と一言で言っても様々な役どころがあり、それぞれ必要とされる才能は違ってくるもの。しかしだ、その根っこにあって最も大切な能力はただひとつ」


 強欲壺がいかにも強欲そうな笑みを浮かべた。

 

「金だよ、金! 金を引っ張ってくる力が無ければ、人間、何も出来んのと一緒だ!」 

 

 ぽかんとする受験生たちを前にして、強欲壺が堂々と宣言する。

 

「というわけで第三試練は金試験、一ヵ月で多くの金を集めた者上位十名を合格としようぞ」


 その下品すぎる表情、そして生死を賭けた科挙試験においてあまりにも意外すぎる試験内容に、受験生たちはたまらずざわめき始める。

 芭蕉に至っては「うっわー、めっちゃ低俗な試験きたデブー」と強欲壺に聞こえるのも憚らない声で感想を述べた。

 

 ただ、その隣りにあって義忠はいまだ強欲壺を睨みつけていた。

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