第十三話:然るべき時
「とりあえずしばらく様子を見ることにしよう」
芭蕉がそう告げてから、三日目の夜が明けた。
一行は変わらず美顔胡の洞窟に留まっている。水は芭蕉の俳句でいつでも補給可能、食料も近辺で採取できるもので十分に事足りた。
普通ならこのままここで試験が終わるのを待てばいいのだが……。
「おい、芭蕉! 一体どういうつもりだ!?」
義忠が憤懣この上なしとばかりに苛立った声をあげた。
「どういうつもりってなんだよ? もしかして俺がお前より茸を一個多く食べたのを怒っているのか? だったらお角違いだぞ。
「……育ち盛り。栄養大切」
「その割にはあまり育ってないみたいだが?」
「……今どこを見た? 芭蕉、殺す」
芭蕉のエロい視線に気づいた空が、素早く懐から忍び刀を取り出す。
慌てて芭蕉が「うひゃうひゃ」と笑いながらその場から跳び退いた。
「ぱおーん!」
「あ、すまんすまん。食事中は静かにしないといかんよな。おい義忠、そもそもは茸なんかを気にするお前の器の小ささのせいだぞ。おかげで美顔胡に怒られちまったじゃねぇか!」
「茸なんてどうでもいい! そうじゃなくて一体いつまでお前は静観を決め込むつもりなんだ!?」
もとよりすぐには動かないという芭蕉の判断を、義忠は苦々しく受け止めていた。
それでも芭蕉のこと、時間と共に被害がさらに広まれば動くはずだと思っていた。
だが、三日経っても依然として動こうとしない。
この三日間で芭蕉が洞窟の外へ出たのは、食料を摂りに行く時と排泄だけ。あとは洞窟に籠もっては寝たり、象の美顔胡と戯れたり。おかげで芭蕉も美顔胡の言葉が多少なりとも分かるようになったが、だからどうしたという話である。
「分かっているのか? こうしている間にも受験生たちは天災の犠牲になっているんだぞ?」
「そうだなぁ。天災に捕まらなくてもそろそろ水分不足でヤバイだろうなぁ。この辺りにはツルナシなんて生えてなさそうだし」
「だったら何故動かんッ!? 会試が始まる前にお前、言ったよな? 『人として助け合う心を忘れちゃいけない』と」
「ああ、言った」
「ならば今こそ人として助けてやる時ではないのかッ!?」
あの夕餉の時、芭蕉にそう言われて義忠は己の未熟を恥じた。
科挙に参じたのは父の汚名を晴らすのが最大の目的だが、上級官僚となってこの世を正しい方向へ導きたいという想いもまた、真面目な義忠は当然強く持っている。
ならばこそ、その試験においても正しき人間の道を歩くべきだと、あの時の芭蕉に教えられたような気がしたのだ。
それなのに多くの受験生たちが困っているこの状況において動こうとしない芭蕉に、義忠はどうしようもなく憤りを感じていた。
「それにお前も聞いたであろう、あの
芭蕉たちが美顔胡の洞穴に留まっているのはここが安全であることともうひとつ、情報収集が出来るからでもあった。
この峡谷には美顔胡のように過去の試験で獣になってしまった元受験生が大勢生息している。長い年月が経って完全に野生化してしまった者もいるが、美顔胡のように獣になって年が浅いものの多くはまだ人間だった頃の自我が残っているらしい。
故に彼らとは美顔胡を通じて意思疎通が可能で、特に鳥類の元受験生たちには何か動きがある度に伝えてくれていた。
「顔笑? ああ、お前が言っていた博打うちのことか?」
「奴はただの博打うちじゃない。生涯無敗。これまで一度たりとも負けたことがない伝説を持っている」
「ふーん、なんかイカサマでもやってるんじゃねぇの?」
「そんなものがあればとっくに誰かが見破ってるだろう。そうじゃないから伝説になっているのだ」
「へぇ。でもその割には相変わらず人間様が飲める池は見つかってないみたいだぜ? 伝説の勝負師なら一発で見つけそうなもんじゃねぇか」
「生涯無敗と言ったが、実は何度も負けているらしい」
「はぁ? どういう意味だよ」
「一発勝負じゃなくて、複数回の勝負の末に勝ち負けを競うタイプで無敗なのだ。例えば先に五勝した方が勝ちみたいな奴だな」
「ああ、なるほど。そいつは面倒だな。その手の勝負に強い奴は単純に運が強いだけじゃない。駆け引きに長けてやがるんだ。そして大抵は死生観がイカれてる」
「そうだ、自分の命を日頃から投げ出している奴だぞ。他人の命なんてそれこそ道端に転がる石ころと同じだ!」
事実として顔笑が天災に付き添うようになってから、受験生たちが獣化するペースが早まってきていた。
このまま目的の池が見つからなければ被害はますます大きくなるばかりだ。
「何も天災たちを止めようなんて無茶は俺も言わん。しかし、これ以上の被害が出ないよう、今からでも残っている受験生たちをここに避難させるべきだ!」
「おいおい、簡単に言ってくれるが、それって最悪の場合はどうなるか分かって言ってるのか?」
「ああ。邪魔をしている俺たちを排除しようと天災側が仕掛けてくるかもしれん」
「だよな。そうなると……死人が出るぜ?」
「だとしてもこのまま見過ごすわけにもいかん! それにこのまま傍観していれば、天災たちが必ず水場を見つけ出すとも限らんではないか。もし見つからなければ、どちらにしろ奴らは俺たちを襲う。だったら同じことだ。それなら今のうちにこちらの仲間を増やしておけば」
「だからそれだと余計な死人が出ると言ってるじゃねぇか!」
分かんねぇ奴だなと芭蕉が義忠を睨みつけた。
だが、そんなことで怯む義忠でもない。こちらもこちらで芭蕉の考えを正してやるとばかりに睨み返してくる。
「らしくねぇぜ、義忠。てめぇは冷静な判断が出来る奴だと思っていたんだがな」
「らしくないのはお前の方だ、芭蕉。お前ならやろうと思えば天災だって倒せるはずだぞ」
「……ダメ。天災を殺すのは私の仕事」
「だそうだ」
ふたりの睨み合いに無表情なまま割り込んでくる空に、芭蕉の表情が苦笑へと変わる。
「空がそう言うなら仕方がねぇ。やっぱりここはまだしばらく様子見と――」
「芭蕉、まさかとは思うがお前、ここで受験生がひとりでも多く脱落すればいいと思っているのか?」
緊迫した空気が少し緩み、話を切り上げる好機と見た芭蕉だったが、義忠がそれを許さず、ついにずっと思っていたことを口にした。
「天災の凶事を止めないのは、それが狙いなのか?」
問いかけながら義忠は心の中で芭蕉に否定して欲しいと願っていた。
いつものように笑いながら、あるいは多少怒りながらでもいい。『そんなわけあるかっ!』って言って欲しかった。
「……だとしたらどうするよ、義忠?」
が、義忠の願いも空しく、芭蕉はニヤリと笑って逆に問いただしてくる。
その表情があまりにも禍々しく義忠には見えた。
「許さんッ! 自らの手を汚さず、他人の外道行為を利用するなどとは、たとえお前でも、いやお前だからこそ許してはおけんッ!」
義忠が怒声を放って構えを取る。
その身体から噴き出た闘気はあまりの怒りで洞窟を揺るがし、ぱらぱらと天井から小石が落ちてきた。
「考えを改めろ、芭蕉! さもなければ俺は今ここでお前を粛清するッ!」
「あー、そうだな、さっきの言葉を訂正するわ。お前って確かに普段は冷静だけどよ、その中身はもともとこういう熱い奴だったよな」
「戯言で胡麻化すな、芭蕉!」
「胡麻化してなんかいねぇよ。そうだ、義忠。お前はそういう奴だった。俺が言った『人として助け合う心を忘れちゃいけない』って言葉をしっかり受け止める熱い奴だったな。だけどな義忠、俺はがっかりだよ」
「なんだとっ! どういう意味だ!?」
「俺さ、この生試験が始まった頃に教えてやったよな。物事には然るべき時があるってよ」
「それがどうした!?」
「その時に俺はこうも言った。然るべき時以外の策なんてのは『こうなったらいいな』って願望でしかねぇって。お前が訴えている他の受験生たちをここで救うことは、まさにその典型さ。みんなを助けてやった結果、戦うことになるけどそれもなんとかうまくやりすごしたい、ってな」
「そんなむしのいいことは考えてない! 俺は少しでも犠牲者を減らしたいと」
「だから少しでも犠牲者が出る時点でその策はダメなんだってなんで気が付かねぇんだ?」
「なにっ!?」
「犠牲者をひとりも出さない! そういう視点で考えたら、ここは然るべき時が来るまで待つの一点だろうが!!」
その時だ。洞窟の中へ一匹の鳥が慌てて飛び込んできた。
その様子から三人には美顔胡に通訳してもらわなくても分かった。ついに天災たちがお目当ての池を見つけたのだ。
「ほら、然るべき時がやってきた。んじゃ、いっちょかましてやるかな」
芭蕉が両手を頭の上にあげて背伸びし、呆気に取られる義忠の横を通り過ぎて洞窟から出て行く。
義忠には一体芭蕉が何をするのか、全く予想がつかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます