第十一話:ぱおぱおぱおーん

 義忠の幼馴染の美顔胡が科挙を受験したのは三年前のことである。

 郷試を合格し、会試でも第二試練まで進んだのは義忠も知っている。

 が、それ以降の足取りは今日の今日まで一向に掴めなかった。おそらくは試験で死んでしまったのだろうと考えた義忠は、今回の科挙にそんな幼馴染の弔い合戦の意味合いも込めて臨んでいたのだが……。

  

「ぱお、ぱお、ぱおーん!」

「なんと! そうだったのか!」

「ぱおーん! ぱおーん!」

「ふむふむ、なるほど」

「ぱおーん! ぱおぱお!」

「うむ、分かった! 早速仲間たちにもそのことを伝えよう!」


 象になった美顔胡の言葉に耳を傾けていた義忠は大きく頷くと、その様子を眺めていた芭蕉たちへと振り向く。

 

「どうやらその池の水を飲むと象になってしまうらしい。だから飲んじゃダメだ」

「ええっ!? 本当にそんなこと言ってんの、そいつ!?」

「うむ!」

「でも、ぱおぱおしか言ってない……」

「ああ。だが幼馴染の俺には分かるんだ」


 義忠が通訳するには、なんでもこの森にはこのような呪いの池が108もあるらしく、ただひとつだけ人間が飲める普通の池があるとか。

 ただしそれがどれなのかは美顔胡も知らないと言う。

 

「ぱおんぱおーんぱお、ぴえん、ぱおーん!」

「そのひとつをどうにかして探し出さないと、ぴえん通り越してぱおーんだそうだ」

「あ、今のはなんとなく俺にも分かったぞ。意味はよく分かんねぇけど」

「……呪いの池を見分ける方法はないの?」

「ぱおん。ぱお」

「ないそうだ。ただ」

「ただ?」

「ぱおーん、ぱおーんぱおおおおおーん」

「なんだって!?」


 美顔胡の鳴き声を聞いて義忠が険しい顔つきになる。

 

「どうした?」

「なんでも天災が仲間たちに次々と池の水を飲ませているらしい」

「なるほど。仲間を犠牲にして真っ当な池を探し出すつもりか」

「ぱおんぱお」

「おまけに試飲役を増やす為に次々と他の受験生たちを襲っているそうだ」

「……最低な奴」

「ぱお、ぱおっ!」

「ん? ああ、それは助かる。おい、どうやら近くに洞穴があるらしいぞ。とりあえずそこに身を隠して今後の対策を練らないか?」


 見れば天高くあった日もかなり傾き、辺りの陰影が濃くなってきている。

 森の中での野営を考えていたが、洞穴があるならそれに越したことはないだろう。

 芭蕉は義忠の提案に頷くと、今度は振り落とされたりはしないだろうとばかりに懲りもせず美顔胡の巨体によじ登り始めた。

 

 

 

「おー、これよこれ!」


 案内された洞穴は、普段は美顔胡が使っているものらしい。

 そう聞かされて芭蕉たちはあちらこちらに糞尿が巻き散らされたものを覚悟していたが、実際はそんなことはまるでなく清潔そのものだった。

 どうやら姿は獣でも、心は人間のままらしい。聞けば象にはなってしまったが、仙人のような暮らしをしていると言う。

 

 そんな美顔胡を喜ばせたのは、久々に触れる人間の叡智――焚火であった。

 人間としての知識はあるが、なんせ体が象なのである。どうにも火を起こすことが出来そうにない。

 しかもこの地の呪いの池は猿やチンパンジーといった霊長目にはならず、イノシシやブタ、鳥などの火を起こせそうな動物にばかりなるので、同じく獣になって落第した他の受験生たちの手を借りても不可能であった。

 

 季節は春から夏へと移り変わろうとしており、さほど寒くはないものの、焚火は身体だけではなく心まで温かくする。

 加えて久しぶりに会った友人たちとの時間はとても楽しく、大満足した美顔胡はその巨体を横たわらせて眠りについている。

 

 一方、美顔胡に負けずリラックスしている男がここにもう一人。

 道すがらに集めた山菜や好みで作った食事でまん丸に膨らんだお腹を天へと晒した芭蕉が、あろうことかクゥに膝枕までしてもらってご機嫌である。

 

「うひょー! やっぱ思った通り、いい太ももだ。ボリュームには欠けるが、ほら見ろよ義忠、押し付けた親指がぴたぁとくっつくぜー!」

「好色ジジイか、お前は」

「……これが私にやってもらいたかったこと?」

「おう! 女の子の膝枕は長年の夢だったんだ!」

「……呆れた」


 もっとも空が呆れたのは言葉通りの意味だけではなかった。

 暗殺者である自分に、かくも隙だらけの姿をさらけ出すことにも唖然としていた。

 今なら一瞬で芭蕉の命を摘み取ることができる。それを芭蕉も分かっているはずなのに、一体何を考えているのだろうか?

 

「さて、これからどうする? とりあえず俺たちの分の水は、芭蕉のおかげでアホみたく簡単に確保できたのだが」

「アホみたいにとはなんだ。ありがたい俳句のおかげだぞ。お前ら、もっと俳句様に敬意を表せ。あとこの方法を思い出した俺様にも拍手!」


 芭蕉が膝枕をしてもらいながら『古池や 蛙飛び込む 水の音』と詠む。

 するとたちまち空中に小さなアマガエルが現れて、これまた唐突に出現した空中の池にぽちゃんと飛び込む。跳ねた水滴がまるで狙ったかのように芭蕉の開けた口へと吸い込まれ、喉を潤した。


 これぞかの名水・蛙の水しぶき。

 ちなみに登場するカエルは用途に応じて大きさの変化が可能で、それに準じて池の大きさも変化し、喉を潤すどころか三人まとめてびしょ濡れにすることも出来たりする!

 

「ああ、悪かった。とにかくその自由過ぎる俳句の馬鹿馬鹿しさと、『だったら最初からそれを思い出せ』と芭蕉に一言物申したい思い付きに、とりあえず表向きは感謝しているとして」

「義忠、お前いい性格してやがるなー」

「しかしだ、このまま一週間ここで過ごすわけにもいかないだろう?」

「なんでだよ? 食べ物も一週間程度ならこのあたりで採取できるぜ?」

「天災だ。奴のやっていることを見過ごすわけにもいかん」

「あー、受験生たちを次々に池へ落として調べてるって奴か。ご苦労なこった」

「俺たちがこうしている今も犠牲者が増え続けている。なんとかしないと」

「なんとかって何をするつもりだよ? 俺、前にも言ったよな。お前は天災と何の関係もないんだ。余計な首は突っ込むなって」

「それはそうだが……しかし、このまま何もしないでいるのは」


 横になった美顔胡に背を預けながら、義忠が忸怩たる想いを吐き出すように拳を地面へ押し当てる。

 正義感が強いのが義忠の良いところだ。が、時に強すぎる正義感は自らを死地へと誘う。さてどうしたものかと芭蕉は視線を義忠から上へと向けた。

 極上の太ももの持ち主と目が合う。

 

「まぁ、いい機会か。なぁ空、教えてくれ。天災あいつについて知ってることをよ」


 空はじっと芭蕉の目を見下ろすと、小さくコクンと頷いた。

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